爆弾と付き合い続けた男
カナダで生まれ、小さい頃から野球をしていた彼は、18歳でプロ入りした。
4年間マイナーリーグで下積み時代を過ごし、
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で
カナダ代表に招集された。
そして、念願のメジャーリーグ昇格も果たした。
順調にキャリアを重ねていたが、
メジャー初登板から約3ヶ月後、試合中に右ヒジに痛みを訴え降板。
トミージョン手術(靭帯を移植する手術)を受けた。
長いリハビリを経て、
1年後に復帰したが痛みが再発。
2度目のトミージョン手術を受けることになった。
再び長期のリハビリを経て実戦復帰したものの、
メジャーでの登板機会は少なく、マイナーリーグでの登板が続いた。
アメリカでの契約が切れた彼は、
28歳で読売ジャイアンツに移籍。契約期間は1年だった。
最初は不安定な投球が見られたが、
シーズン途中から復調。
故障離脱した期間もあったが、最速160キロの速球を武器にポジションを確立。
チームに欠かせない中継ぎ投手になり、
翌年の契約を勝ち取った。
2年目は故障もなく年間を通してチームに帯同。
「最優秀中継ぎ投手」というタイトルも獲得し、
複数年契約を勝ち取った。
以降も巨人中継ぎ投手陣の屋台骨としてチームを支え続け、メジャーリーグ球団からのオファーも届いた。
しかし、彼はそのオファーを断り巨人でのプレーを選択し2019年まで在籍。
来日当初は1年契約だった男は、
8年もの間「巨人愛」を貫き活躍した。
また、2019年9月27日の
「ありがとう慎之助・メモリアルゲーム」では、
主役の阿部慎之助から指名を受け来日初先発も経験した。
現在の彼は巨人を退団。
東京オリンピックにカナダ代表として出場することを目指しプレーしている。
そして、オリンピック終了後に現役を引退することを表明している。
彼の名前は、
スコット・マシソン
以上、「爆弾と付き合い続けた男」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。