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二人の時間


高校3年生のとき、
韓国で開催された日韓米3国親善高校野球に日本代表として出場した。
 
  
彼は当時からアメリカのメディアからも注目されていた。
この大会にアメリカ代表として出場していたのちのメジャーリーガー、トリー・ハンターは、
「まず驚いたのは彼は高校生なのにあり得ないくらい大勢のマスコミを引き連れていたことだ。その高校生を巡ってロックスターを取り囲むような騒ぎになるなんて、一体どんな怪物だ?と思っていたよ」
 
 
その年のドラフト会議では、
読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、福岡ダイエーホークス4球団から指名を受けた。
 
その中で、長嶋茂雄監督が抽選を引き当て、
読売ジャイアンツへの入団が決定した。
 
プロ入り後の活躍は誰もが知るところである。
 
球界屈指の4番打者に成長し、
日本では通算332本塁打を放ち、
日本での最後のシーズンでは50本塁打を記録した。
   
日本人打者でシーズン50本塁打を記録した選手は彼を最後に18年間出ていない(執筆時)
   
    
日本での数々の実績を引っ提げ、
メジャーリーグの名門校ニューヨーク・ヤンキースに移籍。
日本人初ワールドシリーズMVPに輝くなど、
主力として活躍した。
 
 
彼の活躍を語るうえで欠かせないものが、
巨人在籍中に長嶋茂雄監督と二人きりで毎日行っていた「素振り」である。
    
    
長嶋監督は、
彼を三年間で球界を代表する選手に育てるための「1000日計画」を立ち上げた。
東京ドームの試合ならドーム内練習場で、
遠征先ならホテルの長嶋の部屋で、彼に素振りをさせ付きっ切りで指導をしていた。
 
この「素振り」が彼の現役時代の活躍を支えていた。
 
 
引退会見の際には、
「現役生活20年間で一番の思い出を教えて下さい」という記者の質問に対し、
 
「いっぱいありますね……やはり、長嶋監督と毎日、2人で素振りした時間ですかね。一番印象に残っています」
 
と涙を堪えながら語った。
 
 
引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーに就任。
主にマイナーリーグの若手育成に尽力している。
 
また、不定期で読売ジャイアンツのキャンプ期間中に臨時コーチに就任しており、
坂本勇人や岡本和真の才能開花に大きく貢献している。

 
 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
 
松井秀喜

以上、「二人の時間」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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