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伸び悩んだ選手のその後
全国高校サッカーではベスト8に進出。
大学は早稲田に進んだ。
大学在学中に日本代表に招集されるほど、
攻撃的なポジションの選手として将来を嘱望されていた。
大学卒業後は大きな期待をかけられ、
日立製作所(現・柏レイソルの前身)に入社。
しかし、同社のサッカー部に入部すると伸び悩むようになる。
ベストイレブンに選出されたシーズンもあったが、全体的には思うような成績は残せず35歳で現役を退いた。
晩年には本来のポジションとは違うディフェンダーも務めていた。
引退後はすぐに指導者としてのサッカー人生をスタートさせた。
U-23日本代表監督に就任すると、
長らくオリンピックから遠ざかっていた日本を
28年ぶりの本大会出場に導いた。
これだけでは終わらず、
本大会ではサッカー王国ブラジルを破るという番狂わせを演じた。
この試合は「マイアミの奇跡」と言われ、
今も尚、語り継がれている。
この後、いくつものJリーグクラブの監督を務めることになる。
まず、古巣・日立製作所の後身である柏レイソルの監督に就任。
国内カップを制覇しクラブ史上初のタイトルをもたらした。
次にガンバ大阪の監督に就任。
Jリーグ発足以来、タイトルとは無縁だったチームを上位に押し上げ、就任4年目でクラブ史上初のリーグ優勝に導いた。
そして2018年ロシアワールドカップ開幕のわずか2ヶ月前、成績不振により解任されたハリルホジッチ前監督の後任として日本代表監督に緊急就任。
本大会では、
低い下馬評を覆し、
日本代表を2大会ぶりのベスト16に導いた。
監督としての数々の功績が評価され、
日本サッカー殿堂入りも果たした。
現在は、U-23タイ代表の監督を務めている。
彼の名前は、
西野朗
以上、「伸び悩んだ選手のその後」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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