一番嬉しかった
横浜高校入学時から「松坂2世」と呼ばれ、
母校の大先輩と比べられることが多かった。
高校2年までは、
主に2番手投手として試合に出場。
2年春の甲子園では準優勝に輝いた。
しかし、
先発した決勝戦では大量失点を喫し悔しさも味わった。
悔しさを晴らすべく迎えた夏の神奈川大会。
チームは決勝まで勝ち上がり、
決勝戦のマウンドを任されたがここでも失点を重ね、甲子園出場を逃した。
先輩達が卒業し、
自身はエースになった。
そして迎えた高校最後の夏。
彼は甲子園に帰ってきた。
メディアは彼を、
「松坂2世」
「プロ注目右腕」
と取り上げた。
1回戦は報徳学園(兵庫代表の強豪)相手に勝利。
2回戦は京都外大西(翌年の甲子園準優勝校)に延長戦の末、勝利。
3回戦は明徳義塾(説明不要の超名門)を撃破しベスト8に進出した。
全ての試合を一人で投げ抜き、
高校野球ファンは
「横浜高校のエースはタフで粘り強くて素晴らしい」と評価していた。
準々決勝では、
それまでの連戦の疲労もあり
この年の優勝校・駒大苫小牧に敗戦。
横浜高校はベスト8で敗退した。
試合後のインタビューで彼はこう語った。
「周りの人たちが自分のことを(松坂2世やプロ注目ではなく)横浜高校のエースとして見てくれたことが一番嬉しかった」
高校3年間、
他の高校球児と違う見方をされ続けたことから解放された気分だったのかもしれない。
高校卒業後はドラフト1位でプロ入り。
最多勝を3度獲得し、
先発投手の最高の栄誉「沢村賞」も受賞。
球界屈指の投手に成長した。
彼の名前は、
涌井秀章
以上、「一番嬉しかった」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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