帰りたくない。。。
祖国での一番の思い出は、
少年時代の夏休み期間の恒例行事「準遊牧生活」だった。
約1ヶ月間、伯父の牧場で過ごした。
ゲルという移動式の住居で寝泊りし、必要な水は井戸まで汲みに行き、食事は狩猟で得たものを調理していた。
毎日、草原を馬と一緒に駆け回り、羊の世話もした。
少年時代のこんな日々が、しなやかな足腰の原型となった。
「あの経験がなかったら、今の私はないでしょう」と彼は懐かしそうに振り返る。
兄は柔道の教師になった。
しかし、弟である彼は柔道をやることを固辞。
「どうしても日本で相撲をやりたい」と家族に願い出た。
母親は内心、
「日本に行けばきっと厳しい稽古が待っている。経済的な苦労も知らずにのびのび育った次男が日本での修行・生活に耐えられるはずがない。きっとすぐに戻ってくるに違いない」
と早々に帰郷することを見据えて、日本に行くことを許可した。
彼の他6人の相撲入門希望者と共に来日。
それぞれの受け入れ先が決まっていくなか、細身だった彼を受け入れてくれる部屋はなかった。
滞在期限が迫り、
まだ日本語ができない彼は「I don't want to go back...」と英語で涙を流しながら相撲関係者に訴えたという。
その姿を見かねた母国の先輩力士が、
知り合いに頼み込んで受け入れ先を探してくれた。
そして、当時はまだ弱小部屋だった宮城野部屋に入門が決まった。
師匠は当時の彼を「身体が小さかったから期待はしていなかった」という程度でしか見ていなかったそうだ。
その一方で、筋肉のしなやかさや柔らかさは評価していた。
入門後2ヶ月は稽古はせず毎日吐くまで食べさせ、牛乳を2ℓ以上飲ませた。
来日から半年後に初土俵を踏んだが、
翌場所では負け越しを経験した。
しかし、
地道な身体づくりが身を結び、
彼は急激な成長を見せる。
身体の成長と共に番付を上げていき、
入門からわずか3年で新入幕を果たした。
その後も好成績を残し続け、
入門から5年目で関脇に昇進。
6年目で大関に昇進した。
そして、
7年目には大相撲の最高位である横綱に昇進。
横綱昇進後も、
歴代2位となる「63連勝」や歴代1位となる幕内最高優勝「43回」という記録を作り、
現在も不動の横綱として君臨している。
彼の名前は、
白鵬(第69代横綱)
以上、「帰りたくない。。。」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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