母親のために闘った男の話
彼は小学校2年生のときから元プロボクサーの父親からボクシングを教わった。
しかしその指導はとても厳しく、
それに反発して中学時代は卓球部だった。
市の大会で優勝したこともある。
高校に進学したが2年で中退。
その理由は、
当時、遠距離恋愛をしていた女性と一緒に暮らしたかったから。
退学の理由を作るために意図的に赤点を複数取った。
(後に定時制の高校を卒業している)
その後ボクシングジムに入門。
これは、上記の女性と一緒に暮らすのを許可する代わりに父親から出された条件だった。
ここから本格的にボクシングに取り組むようになる。
19歳でプロデビュー。
22歳のときに日本ランキング4位の選手に勝利し、注目を集めるようになる。
25歳で世界初挑戦。
相手は7年間無敗のタイ人チャンピオン。
当時、その階級では敵無しと言われており下馬評はチャンピオン優勢だった。
しかし、試合が始まると勝負は互角。
10ラウンドにはチャンピオンをダウン寸前まで追い込み、最後まで壮絶な打ち合いになった。
結果は判定勝利。
彼は世界チャンピオンになった。
その翌年、母親の体にガンが見つかる。
最先端の治療を受ける際には約300万円の費用がかかるため、その医療費を稼ぐことが彼のモチベーションのひとつになった。
その後の彼は世界王座を防衛し続けた。
その防衛回数は10回。
稼いだファイトマネーの多くは母親の治療費に充てられた。
そして迎えた11回目の防衛戦。
相手は他団体のチャンピオン。
世界王者同士の対決。
序盤は優位に試合を進めていた。
しかし、迎えた4ラウンド終了間際。
相手の左フックをもらいグラついたところに連打を受けレフェリーストップ。
記録は4ラウンド2分59秒でKO負け。
あと1秒でインターバルに入るところだった。
これにより連続防衛は10回でストップ。約5年間守り続けた王座から陥落した。
その半年後、
約4年に及ぶ闘病の末、母親が天国に旅立った。
55歳の若さだった。
新しい階級での世界戦を1ヶ月後に控えている中で起こった悲劇だった。
そして迎えた世界戦。
階級を上げ、2階級制覇をかけた一戦。
激しい打ち合いを制し、判定勝利。
再び世界王者になり、試合後はリング上で母親の遺影を掲げ喜びを表した。
その後、
彼はもう一つの階級でも世界王者になり
3階級制覇を達成。
そして、「戦う理由がなくなった」
という言葉を残し、世界王者のまま引退した。
現在はボクシングの解説やバラエティ番組などで活躍し、舞台で役者デビューも果たしている。
彼の名前は、
長谷川穂積
(写真:デイリースポーツ)
ちなみに、
彼が高校を中退してまで同棲することになった女性とは後に結婚。
2人の子宝に恵まれている。
以上、「母親のために闘った男の話」でした。