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相方の狙い通り

大阪で有数の進学校に通っていた。
その中でも成績は学年トップクラス
 
当時通っていた代々木ゼミナールからは
授業・模試を全て無料で受けられるゴールドカードを交付されていたほどだった。
 
高校3年生のときに
「お前と話してると楽しい。芸人にならへん?」
と今の相方から誘われ、快諾した。
 
相方は、「コンビの売りになるから」
成績優秀な彼に京都大学への進学を勧めた。
 
相方の勧め通り、京都大学を受験。
現役で合格を果たした。
(ちなみに、当時は5教科6科目で800点満点。彼の点数は719点という高得点だった)
 
 
大学進学後、
芸人としての活動を始めようと
オーディションを受けるが、
なかなか合格することができなかった。
 
オーディション合格を勝ち取るまでに要した時間は1年半だった。
 
 

デビュー直後は、
舞台に立つ機会は少なかったため、
アルバイトをしながら舞台に上がっていた。
 
しかし、1年目の夏。
新人20組程で争う「新人王決定戦」で優勝
この頃からファンが付き、毎日ファンレターが届くようになった。
 
高学歴ということから、
赤本にサインを求められることも多かったそうだ。
 
翌年にはテレビに初めて出演。
 
大阪の番組の企画で他のコンビ2組と共に
ダンスユニットを結成。
CDデビューも果たした。
 
 
大阪では有名人になったが、
全国的な知名度は今ひとつだった。
 
また、お笑いの仕事が増えていたこともあり、
留年と休学を経て9年かけて京都大学を卒業した。
 
  
彼の名を全国区に押し上げたのは
「クイズ番組」だった。
 
フジテレビのクイズ番組に初出演し優勝
そのまま4連続トップを飾った。

これをきっかけに
他局のクイズ番組からも
ひっきりなしに声が掛かるようになり、
全国的なブレイクを果たした。
 
 
その後は、
企業との共同開発した実用ノート「スイング・ロジカルノート」を発売。

勉学の推奨・啓蒙に尽力した人に贈られる
国際教育学会・舘糾(たちただす)賞を受賞。
 
現在も高い学力と豊富な知識を生かし、
高学歴芸人として活躍している。
 

 
 
 
彼の名前は、

 
 
 
 
宇治原史規

以上、「相方の狙い通り」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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