スターが履く3足の草鞋
代表メンバー入りが確実視されていた自国開催のW杯。
直前で彼はエコノミークラス症候群を発症。
大会には間に合わず、
彼はメンバー入りを逃した。
復帰すると所属クラブで躍動。
史上最年少でJリーグMVPと得点王の2冠に輝いた。
海外志向が強かった彼は、
ドイツのチームに移籍した。
ここでも1年目から活躍する姿を見せ、
当時、連続無失点記録を継続していた鉄壁のGKオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘンを相手にゴールを決めた。
また、ドイツリーグでプレーした日本人として初めてハットトリックを達成、
その翌年には日本人史上2人目となるヨーロッパ主要リーグ年間2ケタ得点を記録した。
その後はJリーグに復帰し、
韓国のリーグでもプレーした。
そして住民票を沖縄に移し、
柔道の野村忠宏との共同出資で沖縄SVを創設。
自身がオーナーを務め、
オーナー兼監督兼選手としてプレー。
「さまざまなスポーツ競技を地域密着で行う」という理念のもと、チーム運営に励んでいる。
2020年からは監督業からは退き、
オーナー兼選手として活動している。
彼の名前は、
高原直泰
以上、「スターが履く3足の草鞋」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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