自分の名前がついたルール
社会人野球で圧倒的なピッチングを見せ、
日本プロ野球(NPB)のドラフトの目玉として注目されていたが、
彼はメジャーリーグ挑戦を表明した。
これをきっかけに彼に続いてアマチュアの有望選手が海外に流出することを恐れたNPBは、
「日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、海外球団を退団した後も一定期間はNPB球団と契約できない」とする新ルールを設けた。
猛者揃いのメジャーリーグで
日本プロ野球未経験の選手が活躍できるのか疑問を持つ人も多くいたが、
彼は日本人で初めてNPBとマイナーリーグを経由せずにメジャー契約を締結。
ボストン・レッドソックスへの入団が決定した。
1年目の夏、
8番手投手としてメジャー初登板。
その4日後には初先発を果たし、
日本人メジャーリーガー最年少で先発勝利を記録した。
2年目のシーズンは右ヒジの故障によりシーズンを全休した。
3年目もシーズンのほとんどをリハビリに費やした。
才能が大きく花開いたのは、
5年目のシーズンだった。
「圧倒的」と称されたレッドソックス救援投手陣の一角を担い、一度も離脱することなくチームに帯同し自己最多の71試合に登板。
チームのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。
社会人時代にメジャー挑戦を表明した際には、
批判も多く飛んできたが、
その決断が間違いではなかったことを
自らの右腕で証明した。
ちなみに冒頭に書いたドラフトの新ルールは、
通称「田澤ルール」と呼ばれている。
彼の名前は、
田澤純一
以上、「自分の名前がついたルール」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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