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19歳のとき引退間際だった男の話

 
彼は西アフリカ系の家庭に生まれた。
家族は両親と兄弟2人。
 
身体能力が高く、クリケットとサッカーが大好きな子供だった。

 
15歳になると陸上競技に打ち込むようになる。
種目は短距離。
 
結果はすぐに出た。
 
世界ジュニア選手権で優勝。
(15歳での優勝は当時の史上最年少)
競技を始めてから1年もしないうちに世界に名前が広がった。

その速さの源は
長身を生かしたストライド走法。
歩幅の広さが特長の走りだった。
 
17歳のとき、
200mでジュニア世界新記録を叩き出した。
 
しかし、彼はそのあと故障。
この後の試合には出場できなかった。


故障の原因は、
 
持病の脊椎側彎症。
(簡単にいうと背骨がねじれているということ)
 
この持病が原因で、
太ももの筋肉に大きな負担がかかり故障につながっていた。

 
才能に恵まれながらも、
故障が原因で試合を欠場することが増え、
出場しても勝てない時期が続いた。
 
さらに、レース中に肉離れを起したこともあった。

勝てない日々が続いたことで周囲からは

「もう限界じゃないか?」
「さすがにキツいか?」
 
などの声が囁かれ始め、

 
当時19歳の彼に引退説も持ち上がった。

 
 
そこで彼はチームドクターと共にある取り組みを始めた。

持病を治すことは不可能なため、
故障を防ぐためのトレーニングを開始。
その期間はなんと、約2年
 
気が遠くなるようなトレーニングだが、地道に続けたことで成果は表れた。

故障が減り、21歳で出場した世界選手権で銀メダルを獲得した。

ここから彼の空前絶後の活躍が始まる。
 
22歳のときに出場したオリンピックでは、
100mを人類で初めての9.6秒台で走った男になり、
23歳のときには9.58秒を記録。
 
100mを9.5秒台で走った唯一の人間になった。
 
さらに、200mでも
「向こう100年は破られない」
と言われていた世界記録を更新。

 
人類史上最速のスプリンター

 
と評された。

 
オリンピックでは100mと200mで
3大会連続で1位に輝き、
リレーも含めると合計8個の金メダルを獲得した。
 
その後も数々の大会で金メダルを獲得し。

 
「世界で最も有名なアスリート」で7位、
「アスリート長者番付」でも23位にランクインした。
 

そして31歳のとき、
記録づくめの現役生活にピリオドを打った。

 
19歳のとき引退間際だった男は、
陸上界の生きる伝説になった。

  
  
彼の名前は、皆さんご存知の

  
  
  
ウサイン・ボルト
  

  
以上、「19歳のとき引退間際だった男の話」でした。

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kenkusumoto1002
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