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#67 お焼香の意味と南無阿弥陀仏
どうも。
防災ライフスタイルブランド「+maffs」中の人。
北里 憲です。
初めてご覧いただく方は、是非こちらも合わせてお読みください。
さて、昨日はおかんのすみこが、町のドンだったかも知れないことに戦慄を覚えつつ、忙しなくみんなとコミュニケーションするおかんに、ばぁちゃんの面影を感じ、そこから僕のDNAに刻まれたばぁちゃんとの繋がりを感じた話をしました。
そんな本日は、この数日で今更ながら知ったことの話。
ばぁちゃんの訃報を受け、顔を見に行き、昨日の通夜を行いながら、「これって何でだっけ?」って妙に冷静なことを2つほど思ったりするのは、もう自分の性格なのだろうなと。
朝からグーグル先生で検索。
一つ目は、「お焼香」って、何なんだっけ?ってこと。
二つ目は、今回のお経では僕ら参列者がお経(南無阿弥陀仏というワード)を一緒に唱えるという部分があって、これって初めての経験だったのは何で何だっけ?ってこと。
で、一つ目のお焼香。
親父の葬儀の時は喪主だったりで、そこまで思うことは流石になかったのだけど、今回はみんながお焼香をする際に、1回だったり、3回だったり、そもそもどういう意味があってやってるんだっけ?と、何だか気になった。
調べてみると、
お焼香は主に「匂い」をその場に立たせる事を目的としており、その匂いには様々な意味が含まれています。
抹香やお線香の匂いにはお参りする人の身と心を清める効果があるとされており、穢れを取り除いた清らかな心身で故人を供養するという意味があるのです。また、仏教では故人が四十九日まで食べる物は「匂い」であるとされているので、故人に食べてもらうという意味でもお焼香が用いられます。
と。
何だか、そう思うと、ひとつまみの意味が変わってくるし、ばぁちゃんへの気持ちが入ったものになったのでした。
二つ目のお経。
これまで、お経に合わせて僕ら参列者が南無阿弥陀仏と発声するという経験はなかったのだけど、今回は住職が方法を説明したりもしたのだった。
南無阿弥陀仏と唱えると、不思議とばぁちゃんへの気持ちが届くような気になったり。
調べてみると、母方の宗派は浄土宗で、父方は浄土真宗だった。
これが全ての理由であるかとか、浄土宗なら全ての場合でそうかはわからないけど、どうやら浄土宗には「念仏を熱心に唱えると往生できる」という教えがあるのだそう。
そこから、僕ら参列者も念仏を一緒に唱えるという流れになっているのかと、納得した。
これまでは父方の葬儀が多かったので、疑問を持つことはなかったのだなと。
で、ここからはちょっとそこから派生した僕の妄想なので、正しいとかは置いといてね。
宗教は昔から信者を増やすことは一つの目的だったはずで、だからこそ宗教が誕生して以降、「わかりやすさ」だったり、「救われやすさ」みたいな大衆化を行ってきてるという話はどこかで読んだ。一方で、それに対するアンチテーゼとして、厳格な修行や行いを求めるハードコアな宗派もあったりする。
大衆化のなかで、今回のようにお経を一緒に唱える。というような風習は、ある種のコールアンドレスポンス的な要素があって、「参加型」と現代で言われるようなコンテンツのあり方の何世代か前の型なのかも知れないな。
なんてことを思ったりもしたのでした。
おかげさまで、ばぁちゃんの葬儀も無事終了しました。
ばぁちゃんのお墓は町の高いところにあって、街を見渡せる、空の広い場所でした。
あの家にばぁちゃんは居ないのだけど、僕の田舎はずっとあの「真鶴」という町なので、また会いに行こうと思います。
さて、本日はこの辺で。
最後まで読んでくれてありがとう。
また明日。
防災をライフスタイルに。