何歳でもリセットしてやってみる
こんにちわ〜
@osamu036110です。
いつからかわからないのですが、「信じる」ことが弱くなっている。
ふと我に帰ると、あらゆる事に、何となくのできない理由をつけている私がいたわけです。表向きは違いますが、心のどこかで感じている。
これって、あらゆることに、その状態で入っているわけです、なぜか。
幼い時からやらないといけない環境
わたしの理想【「切り込む環境」づくり】とは、という視点で話してみたいと思います。
むかしから私は、「切り込み隊長」または、「特攻隊長」みたいな気持ちが、わたしの中にあり、ところどころで目立った存在でした。
「笑わせないといけない」
「逆境に強くないといけない」
「みんなを繋げないといけない」
などなど、先陣を切ってやらないといけないという気持ちが、心のどこかに常にあったわけです。
私がやらねば誰がやる!?なぜ?とりあえず、おれがやるのが当然??
ですから、幼い時から何かしらの集合体のなかで、リーダーをやったり、まとめやくをやったり、常に「まとめる」ことに、やらなければいけないという無意識を感じて、これまで生きてきました。
良い時もあれば、当然、悪い時もある。そんな感じの繰り返しです。
やらなくていいという選択肢が、ある意味無かった?
しかし、それは時に、ものすごい反発をもって、自分の気持ちを無気力にさせることがあった。
「なぜ、こんなことをしているのか?」
「何かひっかかる感じがする?」
「〜しなきゃいけない」という、まわりからのプレッシャーを感じてる
「なぜか、いらだち、嫌悪感をまわりに対してもってしまうのはなぜ?」
「なんで、いつもおれがやらないといけないの?」
やりたくないことをやっていたら、自己肯定感なんてもてるわけがない。
常に疑心暗鬼になるし、自己嫌悪にもなる、やらされている感が強くなる。
これって根本的におかしいですよね?
やらないという選択肢をもてる環境
小さなことでも、「やりたいことをやる」そんな環境
つまり、わたしのいう「切り込む」とは、やりたいことを思い切ってやっちゃおうよ、まわりがどんなことを思ってもやる、誰かにバカにされても、どんなに小さなことでも、一緒にやろうと。
一緒にやっていこう、一緒につくっていこうがポイントです。
だから、まわりからは、今までそんなタイプな人だと思わなかったとか、それって恥ずかしいことだよとか、これからは一緒につるめないねとか、いろんな変化がまわりで言われたり、感じたりすることがあると思う。
自分の人生だから何歳でもリセットしてやってみる
それでも、わたしは「やりたいことをやる」気持ちを尊重して、一緒に感情の共有や、やっていることの確認を一緒にしていきたいと思う。
それが、あなたにとっても、私にとっても「主体的になる」ことだから。
それが積み重なって、「信じる」ことが、自然とできるようになると思う。
まとめ
【「切り込む環境」づくり】とは、どんな小さなことでも、主体的にやろうとしている人の存在を認める。どんなことでも、やっていいんだと。
自分がやろうとしていること、やりたいと思っていることがあるけど、一人だから、あきらめていることがあったら、一緒にやりたいですね。
わたしも、スタートは一人ぼっちですから笑
※わたしは去年の8月から、毎日20個のゴミを誰に言われるでもなくひろっています。毎日ごみが路上にあるもんですね〜笑。何か気持ちがよいので笑
でも、やりたいからやる、まずは、ただそれだけでよいのでは。
おおそれたことよりは、やってみたいと思った身近な小さなことを積み重ね、心と体を健康にして、新たな自分のための何かをやろうとなる。
ブログも、得意でなくても、その不得意なことをやっているプロセスを見せることで、変化していく過程が大事なことだと思っている。