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国民皆保険は反故になっている

国民皆保険の幻想

日本が国民皆保険になったのは、昭和33年に国民健康保険法が制定され、昭和36年から始まっています。平成12(2000)年から介護保険制度が始まっていますが、同年から保険料滞納者に対しては保険証を取り上げて、資格証明書を交付することになりました。

保険料滞納者はもともと保険料を意図的に払わない比率は低く、収入が伴わないために払えない人が大半です。短期保険証、資格証明書の交付は収納率の向上を目論んだようですが、無い袖は振れない人が殆どです。このため、一部自治体は資格証明書を「交付しない」決定をして制裁的な対応を見直すところもでてきてます。

制裁的な対応で収納率が向上するわけはありません。我が国は「老人に冷たい国」だという指摘もあります。既に高齢で働くこともできない人が、更に医療面で不利益を被り、医療を受けない、食事も満足にできずに亡くなっている人がいます。地方自治を通して浮かび上がる現実です。

国民の自衛策はあるか

国民健康保険料が地方でどんどん負担が増加しています。原因は高齢者の増加ですが、その多くは生活習慣病です。生活習慣病の大きな原因は、筋肉量の低下です。筋肉は加齢とともに必ず低下するわけではありません。はっきりと年齢に関係なく何歳からでも、運動によって増やすことができることが分かっています。

残念ながら、こうした高齢者に健康を回復する情報が行き渡りません。また、知っていたとしても努力しようという気力がわいてくる生活環境にあるのかどうか気になります。高度成長期は人口ボーナスであるなら、超高齢社会は人口オーナスとされます。

せっかくこの世に、日本に生まれてきました。世界的に見れば、この何十年も日本は平和でした。運動くらいは、ちょっぴり努力したいものです。自分の健康のため、健康保険財政のための自衛策はひたすら中年期から意識して体を動かすことではないでしょうか。

筋肉を増やす運動指導者がいるか?

残念ながらひたすら筋肉を増やせといっても、ノウハウもなければ、一日の時間も限られていてモチベーションが上がりません。医師でさえヘルスリテラシーに長けているとは、けして言えません。運動には種々の運動があり案すが、筋肉を増やすにも大きな筋肉から徐々に増やしたほうが代謝が上がります。

それらの視点から、指導者が地域にいるかどうかで成果が分かれます。大きな自治体でも生活習慣病に効果がる腹囲がなかなか小さくならないという人が、健康指導を担当していることはざらで、運動の指導的立場の方さえ、発病との因果関係を理解できない人も少なくありません。指導者が地域にいるか、適切な立場で指導できるかが問われます。

高齢者のからだを理解した指導者がいるか

高齢者は個人差が大きく、なかなか自我も強く、指導内容が理解できない、あるいは適切に実行しない人が多いようです。筋肉は原則として毎日動かすことが重要ですが、高齢者のからだは長くあまり使わないからだとなっています。

中には若い頃によく使ってきたために、高齢になってガタが来た、障害が出たと思い込んでいる人がいますが、正しくいうなら正しく使えていないだけです。再び運動療法によって正しく筋肉を使えば、徐々に正しい位置に戻ろうとします。その過程で痛みもなくなりますから、本来痛みをとるために手術は要りません。

残念ながら病院の対応を見ると、現代医学に十分なノウハウがないようですから、痛みをとるために根本的な原因である筋肉の硬化を放置したまま手術が施されます。手術後に再び膝が痛い、腰が痛いなどという人が多くいるのはこのためです。

医学を疑う心を持とう

何でも常識が正しい、多くの人がやることは信頼できると思ってはいけません。落とし穴は、案外大きいものです。何歳になっても自分で動くことが重要だと認識はあるでしょう。それに比して、自分のからだを必要かつ十分な運動量といえるほど動かしているかは甚だ疑問です。

こうした疑いを持たない人は、ただただ医療に身を任せるだけで何の自助努力もしていない人ばかりです。加齢に伴う疾患は、多くが努力不足の結果といわれてもやむを得ません。その事例が最近有名になっている高齢者で運動指導などを行う人たちです。いずれも筋肉をしっかり維持しています。

かつての一時期、高齢者は医療費無料の時代がありました。無料だから、安易に医療に頼り過ぎる発想が根本に身についてしまったのかもしれません。そこから脱却しなければ、自分の人生を思うように生きたといえないのではないでしょうか。後悔のない晩年を送るためにも、筋肉を増やす努力をしてみては如何でしょうか。きっと脱病院化につながるはずです。

宜しければ、サポートお願いします。「生活習慣病は、自分でしか治せない」と考えています。運動と食事での貴職の生活習慣病の治癒体験を教えて頂ければ幸いです。また、わたしの考え方の不足な点があれば、ご遠慮なくご指摘頂けると幸いです。どうか宜しくお願い致します。