「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT8:不思議な卒業試験①


 建築学科では、設計はそこそこ・・デスクワークはいまいち・・という感じで、なんとなく過ごして・・、就職先も決まり・・いつの間にか4年生の10月くらいになっていました。


 設計課題になると数日連続で徹夜するくらい気合が入っていたことを覚えています。


 


 そんな私に、またもピンチが訪れました・・。



 必修単位の「構造」の試験がどうしても取れず、追試験まで落ちていたのです・・(――;)



 東北大学の建築学科は、実は、「構造」分野で優れている大学で、原子力発電所など特殊建築の構造計画を国から委託されるほどだったのです。


 そのため構造の授業が難しく、私のような単細胞では理解しにくいものでした・・。



 最後の再追試験に残ったのは約10名・・。



 もちろん試験を取れなければ、卒業できず1年後に持ち越し・・。

 10人くらいだと、カンニングも出来ない(;_;)



「そうだ!答えをみんなでサインで連絡しあう方法があるぞ!」・・うまくいくかなぁ・・(^^;)


 「ちょっと・・いや・・かなり、やばいなあ・・」


  と、久々に机に向かって猛勉強・・。


  就職先の会社には、「もしかすると、1年卒業がずれるかもしれません」・・と念のため報告。


 猛勉強するも、参考書や教科書をめくっても理解できない難しさ・・(@@;)


 最後には「こんなの解かんなくたって生きて行けるじゃん」・・と投げやりになる始末・・(ーー;)


 そんな勉強をしていた試験2日前・・ 自宅の電話が鳴りました。


 実家のおふくろでした・・。


おふくろ 「顕志・・おじいさんがまずい状態なんだけど・・帰って来れない?」

私 「え? まずいって、どんな状態なの?」


おふくろ 「もしかすると、亡くなるかもしれない・・」


私 「えぇ・・!。でも俺、明後日、最後の卒業試験なんだよ・・。」


おふくろ 「でも、死んでしまってからではなんだから・・先生に言って帰ってこれないの?」


私 「・・・」
(そりゃそうだよなぁ・・死に目に会うのと、試験とどっちが大事か・・)


私 「先生に融通きかせてもらえるか、明日聞いてみるわ・・」



翌日、私は、構造の教授に電話して、祖父が危篤状態になり実家に戻らなければならないことを伝えました。


 教授は快諾してくれまして、後日、1人追試験を行うことになりました・・。


 ・・しかも、教授室で・・


 1人追試験・・って、「カンニング」 も 「答えの伝達」 も絶対に無理じゃん(;;)・・。

ガーン(--;)

 


 そんな、絶体絶命の窮地に追い込まれながら・・試験当日、私は実家に戻りました。

 

 

 

ここから、ありえない不思議な展開が待っているのです。

 

事実は小説よりも奇なり


つづく・・

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