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「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT47:独立準備

長い間 心の中に抱いていた恐怖心は、奇跡の出来事によってすっかり打ち消され、
「独立する」という腹は決まりました。
 まず、「立つ鳥あとを濁さず」として、きちんとローコスト住宅の手法をまとめて、上司にレポートとして作成することにしました。

  そして、正月中、じっくりと本格的にどう進めていくか考えました。

 「どういう家」を「どういう価格」で「どういう営業方法」でやれば市場に受け入れてもらえるのか?・・。

 どこの地域を市場とするか?・・。

 誰と組むか?・・。


 某建材メーカーの片山さん(仮称)は、「いい住宅を建てれば簡単に売れる」という感覚を持っているので、やはり心もとないと感じました。
 住宅営業したことない人では売れないだろう・・という予感がするので、営業・設計・現場管理まで私がすることになり、結局、苦労するのは私だけのような絵が浮かぶのでした。

 友人 小田(仮称)の同僚  江原(仮称)は、3つほど年上なのですが、雰囲気はエゴイスト。
 頭が良いせいか、自分の意見を押し通す論理展開に長けているタイプです。まず、相手の逃げ道を1つ1つ納得させる形で塞いで行き、だから自分の言っていることが一番正しい・・という、論理展開をします。
 さすが、大手ハウスメーカーの営業をしていただけあって、お客さまを説得するのがうまいです。
 金融の知識も相当あるようなので、先物取引の営業をさせても、お客さんをだましていけるほどの頭脳と話術を持っているように感じでした。
 しかし、私まで洗脳されて取り込まれそうな気がして組むのには危険な香りがプンプンしました。

 
 ただ・・、そのころの私は、それほど人を判断できる人生経験がなかったので、出した結論は「流れに従う」でした。

 ここまで「流れ」が来ているのなら、決して破滅の道への「流れ」ではないだろう・・。まじめに生きてきたつもりだから・・という開き直りで構えることにしました。
  

 

 

誰と組んで独立するのか



 正月明けから、片山さんや江原氏と会いながら各々の考え方を話すことが何度かありました。牧田との絡みも総合的に考えていくと、基本的には牧田と組んだほうがやりやすいという感じがしました。

  片山さんは候補から外れました。

  江原氏は「親の土地に自宅を建てるつもりなので、それを、新住協の考えを盛り込んだ家で建ててもいい。そこを、事務所として使ったほうが営業的にも経費的にもいい」という案を考えていました。
 さらに、友人 小田君から 「江原は人相は悪いが、金計算はすごいぞ!。組んだ方がいい。」という話までされました。

 私 「んでもなぁ・・。多分、性格や考え方は、合わなそうなんだよなぁ・・」 
 小田君 「きれい事言ってても、金でつまずけば人生終わりだからな!。一回組んでみて、やっぱり耐えられなくなったら、そのときはそのときで考えたらや?」

 
 確かに、牧田に岩手県に来いといっても、牧田は帰国後すぐに結婚して仙台で暮すと言っているし・・。私も岩手県で旗揚げするには、Cホームの勢いがまだまだ強かったのです。
(当時、Cホームの社長は、独立した人間を敵とみなして、取引建材店などに圧力をかけるのでした。そういう事情もあり、岩手県内では1年以上の空白を開けたほうが良さそうな感じがしていました。)

しかも、牧田が住むのは仙台市の泉区
    江原氏が家を建てるのも泉区
そして、
私が住むとしたら親のアパートの泉区・・と、
これまた偶然にも半径3km以内に3人の暮す場所と展示場予定地が集合していたのでした。広い仙台市で、これだけ重なるのは、この方向に進むべき「流れ」なのかな・・と思い、結論は江原氏と組むことにしました。

仙台市泉区3人の拠点


 条件は、牧田も入れて3人でやることでした。

 牧田は、冷静に相手の話を分解するタイプなので、江原氏が一方的に自分の考えを押し付けようとしても、その論理展開が本当にいいのか・・、他の視点からの考えがないのか・・という捉え方をしてくれると思ったので必要不可欠でした。

 江原氏は、「スタート時からでは経費が合わない」とか、「営業経験無いのに生産性が・・」とか、抽象的な論理展開で拒絶しようとしましたが、
牧田も入れて3人でスタートする・・という条件だけは押し通しました。

 このことが後々に驚きの展開につながるのでした。



事実は小説よりも奇なり。


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「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT48:あらたな展開


ようやく、新会社をスタートさせるメンバーが決まった4月頃です。
予想もしなかった新たな展開が起こってきました。

またまた信じられない電話がきたのです。
岩手県に来たため、しばらく取引してなかった仙台市のホンダ建材(仮称)の三浦部長からでの電話でした。

 
三浦部長 「白鳥さんお久しぶりです!。」

私 「え!三浦部長ですか?。超~久しぶりですねぇ!突然どうしたんですか!?」

三浦部長 「いやいや、白鳥さんて、いつ仙台に戻ってくるのかな・・と思いまして・・電話しました。」

私 「は・・? どういう意味ですか・・?」

三浦部長 「いやぁ~。白鳥さんもそろそろ独立して住宅会社でも始める時期ではないのかなぁ・・と思いましてねぇ・・。」

私 「 ・ ・ ・ 」

私 「誰からか、何か聞いたんですか?」

三浦部長 「いえ、何も知りませんが・・」

私 「え・・それで、この電話内容ですか・・。ちょっとびっくりですねぇ・・。」

私 「実は、今年中に仙台に戻って、会社をおこす予定なのですが・・。」

  


 すごいタイミングの電話内容だったので、
どんな展開が待っているのだろうか・・と、
ゾクゾクともワクワクとも
表現しにくい感覚を覚えました。

 

 

ホンダ建材(仮称)さんとの新たな展開


 実は、ホンダ建材では、自社で造っている特殊な木材を広めるためいろいろ作戦を考えており、その中に1つに「小さい住宅会社をバックアップして育ていこう」というプロジェクトを考えていたのでした。
 もちろん、木材を優先的に使ってもらう期待値込みの話でした。
その1社として私に会社を興さないか・・の打診であったようです。
 三浦部長さんの話もあり、後日 ホンダ建材 の 木戸社長(仮称) と会うことにしました。
 この展開とタイミングはあり得ない・・
これも「流れ」かな・・と相変わらずです。

  

ホンダ建材へは、当然ですが江原氏も同行しました。
ホンダ建材の 木戸社長の話は、大まかには簡単でした。
会社を興すにあたっての助言と、強制はしないがホンダ建材で取り扱う予定の木材に興味が出れば使ってみないか・・という内容でした。
その中での助言とサポートも申し出てくれました。

木戸 社長 「共同経営は、基本的に難しいぞ。
特に2人は、バラバラになる可能性が高い。
3人居たほうがいいぞ。」

木戸 社長 「せっかく仙台でやるんだったら、有限会社なんかじゃ格好がつかないぞ。仕事を受注することを考えても、株式会社にしたらどうだ。」という話なのです。
会社を乗っ取る気はないから、不足分を出すというのです。 

(当時、『株式会社』にするには、資本金1000万円を準備しないといけないという社会ルールだったのです)

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「出資をする」と、この文章では簡単に書きますが、現実の話ではそうそう簡単な話ではないのです。もしかすると出資したお金は0にもなるのですから、出資をしてくれるというのは、かなりハードルが高いのです。

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その時点で、私は200万円。江原氏は300万円まで出せました。
牧田に100万円捻出してもらい、残り4割の400万円を木戸社長が出すのはどうかという提案がでました。
木戸社長「そうすれば、誰も50%以上の株がないので、1人の力では独裁的に決裁できないから良いバランスだし、全員株主だから、雇われ社員ではないという立場にもなる。」というのです。

 
 それまでは、私と江原氏が出資して有限会社とし、牧田は貧乏旅行の真っ最中だったので、従業員扱いになるかなぁ・・と考えていました。出資者と従業員では、発言力に差があるので、確かに全員出資は良い事だと思いました。

 江原氏は、発言力のありそうな外部の人間を入れるのは毛嫌いしましたが、「株式会社」という看板には魅力を感じていたみたいで、話し合いの結果、木戸社長の出資を受けることにしました。

私にとっては、意見を言える人が多いほど丸め込まれる危険性が減るので、願ったり叶ったりの話であり、牧田にはメールで事情を説明し、身内から100万円借りてもらうことで解決しました。




ー絶妙な布石となるバランスー



 ここに、4:3:2:1という、
絶妙な出資比率の株式会社
発足が決定しました。

神仕組みのバランス

会社の代表取締役は、自宅を展示場兼事務所として提供する江原氏です。
当初はこういうバランスになるとはもちろん考えていませんでしたが、結果として、会社の登記直前にもっとも良いバランスになることができました。

この「流れ」でいいのだろう・・と強く感じました。

  

そして・・、

 

このバランスがのちに私の人生を左右する「大きな布石」になることも、そのときは予想だにしませんでした
神様が仕組んだ布石バランスと思わざるをえません。 

 

事実は小説よりも奇なり。


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「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT49:心に引っかかっている2つ


ホンダ建材さんからの偶然の電話にはじまり、
会社は4:3:2:1という絶妙な出資バランスの資本金1000万円の株式会社として無事登記されました。
 全員が出資者であり、従業員という立場の者がいないことも責任感の面で素晴らしいことであり、この「流れ」は間違いないものだと強く感じました。

ただ、2つの心に引っかかっていることを残して・・。


岩手と仙台市の地域性


 話は変わりますが・・、私が岩手県で暮して、その地域性で魅力を感じたことがあります。
 それは、大手ハウスメーカーでなくとも地場の工務店が元気だということであり、「法人」でなく「個人事業」であっても住宅会社として受け入れてくれる社会ができているということです。
そういう意味で岩手県であれば、1人でもやれる可能性は感じていました。



 しかし、百万都市の仙台市は違います。
 大手ハウスメーカーがひしめき合い、展示場をかまえていないとなかなか芽を出すのが難しい環境という印象です。
 ましてや、「法人看板」は信用性の1つに見られ、いかに100万人の人口がいようとも、零細規模の地場工務店で仕事を取るのは難しい時代でした。

 ネットやホームページというものでアピール出来ないその時代は、「個人事業で発足したばかりの住宅会社です」・・では、強烈なアピール性がない限り、受け入れてもらえないであろうと簡単に予想できました。
 そのため仙台で住宅会社を興すのであれば、江原氏の提案する展示場は必要不可欠の要素でもありました。


心の中で引っかかっている2つ



そんな中での 私が『心に引っかかっている2つ』は、こうでした。
 ひとつは、やはり『岩手という地域が、小さい工務店のがんばれる土壌』であるということです。
 仙台で独立するという「流れ」は、それまで身の回りで起きた出来事から判断するに間違いない
 でも、岩手で仕事をしたいという未練は残っていたのです。
それでも、1年くらいはCホームの社長の目もあり、居ないふりをする必要性を感じていました。

 
 もうひとつは『やはり、江原氏と長い間(10年とか)できるのか?』という疑問でした。
 独立して牧田も含めて会社を興すには、仙台市でスタートというこの「流れ」は間違いないという自信はありました。
しかし、私を知っている方々で人生経験も長い人からは、
白鳥君・・組む人を間違っていないか?」・・とまで何人にも聞かれました。
 それでも、「流れ」自体は間違っていない思いが強かったので
「まあ、流れは間違っていないから大丈夫でしょう」と答えていました。
 ただ、もし俺に守護神がいるなら、「江原氏と組むことで何を得なさいと言っているのだろうか?」と自問自答することもありました。

 

江原氏は、それほど灰汁が強かったのです。

 
 そんな、複雑な思いを抱いて新会社の準備をしているときでした。
 その心の引っ掛かりを打ち消すような思わぬ 新たな「流れ」が起きてくるのです。

  

事実は小説よりも奇なり。


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「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT50:Cホーム(岩手)での残り8ヶ月、もうひとつの「流れ」


 私は、4月の時点で直属の上司に今年いっぱいで現場を仕上げて退社する旨を伝えてました。退社するまでに、ローコストや、会社の仕事で得たものをレポートとしてまとめることも約束しました。

  新会社の骨格ができてから退社を伝えるのは虫が良すぎると思い、まだまだ模索段階ではっきりさせておきたかったのでした。上司からは止められましたが、勇気をもっての挑戦なので理解してもらいました。
 気持ち的に退路を断ったこの頃から、残りの期間にもうひとつの「流れ」が起きたのです。

 
 私が退社することが水面下で少しずつ業者さんにも知れてくると、ある業者さんから思いがけない提案を言われました。


岩手の拠点


「アパートを解約しないでそのまま残してたらや?岩手での拠点がなくなれば、本当に岩手に戻って来れないぞ。仙台でやるのもいいが、いつか岩手でもやってみたらどうだ?」というのでした。
アパート代ぐらいは何社かに声かければ、すぐに手を挙げてくれるはずだというのです。

 これは、思いがけない提案でした。
『心に引っかかっている2つ』の解決策としていいかもしれない・・という直感がしました。
 
○ 江原氏と距離を置く。
○ 岩手で仕事をする。

 この2つを解決する方法として、岩手に拠点を残すという手段は、今後のいろいろな状況変化を想定しても非常に都合が良かったのでした。

 1年間仙台でやって、牧田も住宅業界に慣れてきたら、岩手県に戻って支店として自由にやろうという方法も思いつき、なんとなくレールが見えてきました。
『引っかかっている部分』も解決策の道筋が見えたことで、少し気が楽になりました。
 

 数日後、江原氏に「岩手に支店を作って展開するという趣旨の説明で、アパートを残しておく」話をしたら・・、
江原氏からは、よく分からない理由をぎゃーぎゃーと並べて、大変な剣幕でまくし立てられました。
 そのときの会話で分かったのですが、江原氏は自分の言ったとおりに動く有能なロボットが欲しかったようなのでした。


 いわゆる飼い犬が欲しいようなのですが、そういう考えでは逆に江原氏は大変な思いをすると感じました。
 私もロボットになる気はないですが、牧田は私以上にロボットになるタイプではないからなのです。
 当たり前ですが、一人で考えて動く人間ほど一般的にロボットになるわけがないのです。

 

 私は流れに従って進むタイプのため「人」を見る力は不足していますが、江原氏もそういう意味では「人」を見る力がなかったのです。

 これから牧田が加わったら、どういう展開が待っているのか少し興味が沸いてきました。


事実は小説よりも奇なり。


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「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT51:牧田、帰国・・。そして、ありえない展開・・


牧田が帰国したのは8月でした。 

 江原氏は、牧田と会った事もないためか、帰国する前から牧田の存在が邪魔なような感じが強く・・「牧田は住宅業界の経験がないから営業もできないだろうし、基本的には見習い扱いにするから」とか、「まだ仕事が見えていない状態で、仕事の取れないの人間を雇うのは経費の無駄になる」とか、言いたい放題でした(--;)
 できれば、一緒にやりたくないということも言っていました。
 私は、「まぁ、これも流れなんだから組むことに間違いはないと思うよ。いろいろ出来事を並べると、これでいい流れなんだよ。」と軽く言っていましていた。


 しかし、江原氏には、この「流れ」という『数値で計算できない可能性』は不愉快だったようでした。 自分の器の中で数値に置き換えて計算できる可能性しか信じたくないタイプの性格でした。


牧田のお土産



 そんなモヤモヤの状態の中で牧田の帰国となったのです。

 私は、初めて3人で顔を合わせた日、江原氏が牧田に対してどんなひどいことを言うのだろうか・・とヒヤヒヤしていました。

 
牧田 「よ!久しぶり」

私 「元気だそうだなぁ!」

 私と牧田は久々の再会にニコニコしてあいさつしていましたが、
江原氏は明らかに何か暴言を言いたそうなオーラを出していました。


 私「こちら江原さん(牧田に)。」 「こっちが牧田(江原氏に)。」

 牧田「どうも・・。よろしくお願いいたします。」 

 江原氏「よろしく・・」

 
 明らかに江原氏は何か言いたそうでした。

 私は、心の中で・・「初日から暴言をは吐かないよなぁ・・
いや・・江原氏なら初日だからこそ釘を刺す意味でキツイ言葉を言うはずだ」・・とドキドキしてきました。

 しょうもない雑談を数分交わしたあと・・、
江原氏が、重い口を開きました。


 江原氏 「ところでさぁ・・牧田さぁ・・」

 私は心の中で「げ・・。もう暴言吐くの・・(@@;)」とドキドキでした。
 きっと、「営業も出来ないんだから・・」みたいに下げすむんだろうなぁ‥と。

 
 しかし、牧田は何かを察したのか、江原氏の話を止めるように・・話し始めました。

 

 牧田 「ちょっとその前に急ぎの相談があるんだけど。」

 私 「なになに?」。
 私も、江原氏の暴言を遮る目的で間髪入れずに牧田の話に合いの手をいれました。

 牧田「実は、家づくりの相談が入ってきて、早速で申し訳ないんだけど、その仕事をこの会社で受けれるかどうか相談したかったんだ。」

   

 

牧田のとんでもないお土産

 

一瞬、ポカーンとした時間が流れました。

 

なんと・・
牧田は、『新会社の初仕事』という
とんでもない『お土産』を持って帰国してきたのでした。


詳しく話を聞くとそれも強烈にびっくりするような話でした。

 それは、前述した牧場のオーナー畑岡さん(仮称)から、「やっぱり家を建てるから、帰国したら牧場へ遊びに来なさい」という話があったというのです。
 すでに私と牧田は、当時の都市計画会社には務めていなかったのにも関わらず、牧田に直接連絡があったのでした。
牧田は、帰国前にメールでやり取りして、新しい会社での初仕事にしてもらえるように話までしていました。

 


しかもその規模は半端なく大きいものでした。 


 海外のゲストルームも兼ねている住宅なので、面積・工事費とも私の人生では未だに経験のない規模でした。
 会社を設立して、最初の仕事をどういう方法でGETするか画策して悩んでいた私たちにとって、のどから手が出るほどの物件でした。

 住宅業界の経験も無く経費の無駄・・できれば混ぜたくない・・
とまで言われていた牧田が、帰国と同時に一般住宅4~5軒分に相当する物件を持ってきたのでした。
 この展開はさすがに私も予想しておらず、かなりびっくりしました。

 江原氏にとってはかなりバツの悪い展開になりましたが、自分の非を認めないこと信念にしている江原氏は、あとで私に屁理屈を並べるような論理展開で、自分のそれまでの発言の正当性を主張してきました。

私は、その姿が滑稽に思えました。 

救いだったのは暴言を吐く前に、牧田からこの家づくりの話が出たことでした(^^;)。


 こんな、面白い展開で新会社10月のスタートを迎えることになりました。

 

まさに「事実は小説よりも奇なり」です。

 

お天道様は見ています。


 

「流れに従って生きる」⑥ー独立準備~編ーACT52:岩手拠点の「流れ」が加速度的に動き出す 


 新会社のはじめての物件が畑岡さま邸という・・何故か岩手県(牧場が岩手県なのです)での仕事となりました。
 岩手県にはつくづく縁があるなぁ・・と感じ始めていたころ、北上市の拠点となるアパートの家賃を出してくれる業者さんも3社ほどあっさり見つかり、岩手に戻るという「流れ」は少しずつ強くなってきました。 
 将来の期待料ということで1年間の期限付きでアパート代を援助してもらうことになりました。
 
 
 私は10月・11月・12月と3軒の現場を引き渡し退社する時期が近づいていました。
 Cホーム最後の現場は、Cホームに入社して最初に知り合ったお客様藤原さん(仮称)です。これも何かの運命だったのでしょうか・・、不思議なものです。
 
 


人生を左右する出来事


 この残り3ヶ月の間で私にとって岩手への流れが加速し、さらに人生を左右する事件が起きました。

それは、10月に引渡す現場での出来事です。
私は1人で竣工検査をしていました。
 私が2階の吹き抜け付近で検査中だったとき、1人の見知らぬ女性が、きょろきょろと物色しながらリビングに入ってきたのです。
 何のあいさつもなく入ってきたので、お施主さんの親戚の方かな・・と思い、すぐ1階におりて「お世話さまです」とあいさつをしました。
 

するとその人は「どちらさまですか?」と私に聞いてきたのです。
私は慌てて「あ、この現場の設計と現場管理をしました白鳥と申します。」
 

するとその人(Aさん)も慌てて・・、
Aさん「あ!そうでしたか!すみませんでした。私、カーテン屋の菅原と言います。」

私 「・・・」

私の心の中(普通、カーテン屋さんならそちらから名乗るだろうに…。)
初めて入ってきた現場で、その現場担当に「どちらさまですか?」と聞くとは変わった人だ・・と思いました。
 

そんな変な女性は・・、現在は・・、私のかみさん・・なのです。
変な人だと思いましたが、そのときは、山口智子に似た美人さんだとも思いました。(・・と、書いておきましょう)
 

 Cホームに居たときも多少色事っぽい話はあったのですが、これも私のいつものパターンで、2~3回くらい偶然に出会ったりなどの出来事が重ならないと、きっと縁がないんだろうな・・とあきらめも早かったのです。
 結局、美人さんの多い岩手県で、パートナーを見つけないまま仙台に戻るのか・・と半ばあきらめていました。
 

 これ以上、かみさんのことを書くと、果物ナイフで背後から刺されそうなので終わりにしますが、岩手を離れる最後の最後で偶然が重なることが多い人に出会ったことで、私は、ますます岩手に戻ってくる流れだろうか・・と思ってしまいました。
 

かみさんには、その後、私が再独立するタイミングで非常に救われることになるのです。
 
 さらに、11月に牧田から「話がある」ということで、わざわざ北上市に来るという事がありました。
飲みながら話を聞いてみると、牧田は若干お疲れモードでした。

 牧田の話では、「住宅業界のことは勉強中で知らないことが多くて云々・・」という話はあるのですが・・、要は江原氏のトップダウン方式と頭ごなしにガーガー言ってロボット化を目指す雰囲気にストレスがたまっているようでした。
 

 自分(江原氏)は牧田より住宅業界に通じているから従えという感じなのでしょうが、スタートして1ヶ月でこれでは先が思いやられると感じ、
やはり1年後には岩手に戻って北上支店でもいいので自由にやろうと強く感じました。
 
 
 

Cホーム退社


 そして12月・・、私はついにCホームを退社することとなりました。
 Cホームには2年しか居ませんでしたが、プラスになったことはそれなりにありました。
1つは給料が破格に高く、独立する貯金ができたこと。
2つ目は、ローコストをはじめいろいろと追求する「時間」と「結果」を得られたこと。
経営面では正直言って何の勉強にもならなかったような気がします。

 この2つのプラスは非常に大きなことであり、このことだけでもCホームにいた甲斐は十分あったと感じました。やはり、「ここに存在する意味がある」の姿勢で、最初から逃げ出さずにがんばって良かったと最後は思えました。

 そんなこんなで・・この時期の私は、「独立の流れ」 と 「もう一度、岩手に戻る流れ」 の2つの流れを強く感じて生活しておりました。
 


事実は小説よりも奇なり。


お天道様は見ています。

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★「流れに従って生きる」①ー大学生活編ーは下記より飛んでください。
歴史上初の出来事によって大逆転で志望校に合格!そして・・ありえない話の連続ストーリです(実話
10代の皆さんの勉強に臨むヒントになるかもしれせん。
「流れに従って生きる」ー①大学生活編ー ACT1:大学受験勉強|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」②ーN建設編ーは下記より飛んでください。
安月給の会社で5年、自分スキルを上げた爆笑ストーリー(実話)!
20代の若い社会人の皆さんのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」②ーN建設編ーACT13:ここに居る意味がある|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーは下記より飛んでください。日本が初めてワールドカップに出場した大会。会社を辞めて観戦に一人旅。そこでも起きる不思議な出来事…(実話)。なにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」③ーフランスワールドカップ編ーACT31:不思議な出会いその①|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーは下記より飛んでください。
次の行き先を決めないままN建設を退社。
しかし、人生とはうまくつながるものです。人生の転換を考えているかたになにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」④ー転職準備編ーACT37:HAさんとの不思議な縁|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーは下記より飛んでください。
Cホームでの経験が次の人生に大きく影響しました。
最後は宝くじで10億当たる以上の出来事で電流が流れます。
人生で岐路に立つ方になにかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑤ーCホーム編ーACT40:Cホーム入社|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーは下記より飛んでください。仙台でのスタートは衝撃の出来事の連続です。
まるでジェットコースターに乗ったような展開は、起業を目指している方へのなんらかのヒントになるかもしれません。
「流れに従って生きる」⑦ー仙台スタート編ーACT53:「項羽」と「劉邦」|けんけん(白鳥けんし) (note.com)


★「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーは下記より飛んでください。
ついに最終章!。今まで仕込まれていた絡まった糸の数々が全てここにつながっていたのか・・と驚きます。
怒涛のラスト18話・・・是非読んで下さい!。
事実は小説よりも奇なり。お天道様は見ています。
「流れに従って生きる」⑧ー再独立編ーACT66:大どんでん返し|けんけん(白鳥けんし) (note.com)

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