「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT81: ものすごい偶然・・そして終焉
2人だけの株主総会の翌日、STさま邸の建て方の日がやってきました。
㈱木の香の家を改革する一連の行動の最終日に、STさまの建て方という日が重なったことも不思議な感じでありました。
しかし、この日はそれだけではなかったのでした。
建て方開始前の 私 と T大工さんとのやり取りから
それは始まります。
その日は、少し早めの7時半に現場に着いて、コーヒーを飲みながら前日の株主総会の報告を30分くらい話し込んでから建て方作業をスタートするつもりでした。
T大工さん「昨日、2人で株主総会なんて命拾いして良かったなぁ」
私 「ホントですよ。事前の妄想では生きるか死ぬか・・血を見るかどうか・・と怯えてましたが、結果的にはすべて杞憂に終わって、あっさり代表解任が決まってよかったです。」
T大工さん「今から、『昨日のは無しだ!』とか言ってひっくり返しに来ないの?」
私「無理でしょう。株主総会で決まったことですし、既に筆頭株主のHo建材の社長にも報告済みなんですから」
T大工さん「だったらよかった。これで、前向いて進めるね」
私 「ほんと、肩の荷が1つおりました(^^;)。多分、今日の夕方に会いますけどね。」
大工さん と クレーン
T大工さん「ところでさぁ、今後の現場での建て方のときなんだけど・・、やっぱりクレーンは俺が使い慣れているクレーン屋ではダメなのが?」
私 「ん~・・。できれば、㈱木の香の家のOBさんのクレーン屋さんで行きたいですね。」
T大工さん「でもなぁ・・クレーンと大工ってある程度、呼吸もあったり、無理も言えたりすることで工事がスムーズに進むんだけどなぁ・・」
私 「私が㈱木の香の家に在籍していたときに、少なくともそのお客様の工事で給料もらったということにもなるので、出来ればOB様の事業を応援したいですね。」
T大工さん「それじゃ仕方ないなぁ・・。
気が合いそうなクレーン屋だといいんだけど・・」
WGさんクレーンさん登場
こんな会話をしながらコーヒーを飲んでいると、朝8時ころに、少し遅れてWGさんがクレーンを運転して現場に近づいて来ました。
私は、WGさんのクレーンを運転する姿は初めてだったので、打ち合わせの普段着とは違う不思議な印象でした。
クレーン車のボディーには大きく『WGクレーン』と書いてありました。
そして、現場に着きそうなタイミングで減速し始めたとたん・・
T 大工さんが口にくわえた缶コーヒーをこぼすような勢いで、驚いたように叫んだのです。
「白鳥さんのクレーン屋て、こいづが!?」・・と。
私 「そうですよ。」
T大工さん「こいづ、おれのクレーン屋だ!」
私 「え!?マジすか?」
WGさん「あれ?Tさん・・。なんで、この現場に居るの??」
T大工さん「なんでもかんでも、俺がお世話になっている人って白鳥さんだ!」
私「なんだぁ・・。知り合いだったんですか!」
私「WGさんにあの時、『私が依頼している大工さんはすごく丁寧ですから、私の依頼している大工さんでWGさんの家づくりをお願いします』って言ったのは、実は T大工さんのことだったんですよ!」
WGさん「え!?俺もだ。俺の知っている大工使ってくれ・・って言ったの、Tさんのことだったんだ!」
T大工さん「ええーー、WGさん、木の香の家で自宅建てたの!?言ってくれれば良かったのに!」
WGさん「あのとき、10月ころ内部造作してもらいたい現場あるんだけど空いてない?・・て聞いたじゃない・・」
T大工「だって、自分の家だなんて、一言も言ってなかったじゃないか。しかも 木の香の家 って名前を少しでも言ってくれれば・・」
その後は、このものすごく長い時間の中で『絡まった糸』をときほぐすような話で、しばし現場はスタートしませんでした。
それにしても、100万都市 仙台市には大工さんが数千人はいると思います。
クレーン車も数百社あると思います。
特にWGさんは塩釜市という仙台の2つ隣の市でクレーン会社をしています。
そんな中で、WGさんの家づくりを依頼する大工さんを、私とWGさんが同じT大工さんを指名して、おのおの裏で交渉していたとは・・
こんな偶然あるのでしょうか・・。
何百人という大工さんを知っているWGさんが自分の家を任せたいと指定したのがT大工さんだったことが、私はうれしく感じました。
その日は、私がWGさんにE氏の解任を説明するまでもなく、T大工さんからWGさんに真相を伝えてもらいました。
帰宅するとき、WGさんはクレーンを現場に置いて、T大工さんの車に同乗して帰りました。翌日もクレーン作業があるためです。
私からT大工さんに事の真相を伝える依頼したわけではないですが、話してくれていることは今までの付き合いから分かっていました。
この「ものすごい偶然」と「それを解きほぐす解析」は、まるで一連の会社設立から改革に絡むどろどろとした糸を解きほぐし終焉を迎えるその日には、本当に『ふさわしい出来事』でした。
今日という終焉の日は「流れが間違っていなかったんだ」・・
とつくづく感じました。
終焉
案の定、その日のうちにE氏から電話があり、私は、夕方会社へ会いに行きました。
E氏は、その日の午前中は落ち着いていないようでしたが、午後には気持ちの整理がついたみたいで、全て(社長解任)を了承しました。
そして、持ち株を牧田以外の全員が抜いて、牧田の親類で株を引き取ってもらうことで、株式会社木の香の家の一連の騒動は本当に終焉を迎えました。
こうして2002年2月、仙台市には牧田が代表の(株)木の香の家 が誕生し、岩手県には私が代表の 木の香の家-木精空間-が誕生しました。
共同経営とは、いろんな人が言っているように本当に難しいです。多分、最初から私と牧田の2人で会社を始めていても、数年後には途中で空中分解して、どろどろした関係になっていたと思います。
最終的にこういう形で牧田と私が各々の城を持って落ち着いたのは、遠回りだったようで、実は、最短距離を走っていたような気がしました。
E氏は性格的には合いませんでしたが、数値の細かさや先を読む金銭感覚は経営の勉強にもなったことも事実です。私の人生のレールの中では存在してくれてよかったのだと振り返ると感じます。
いろんな面で、やっぱり「この流れ」も正しく、「そこにも存在する意味」はあったのだと。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。