「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT75:「動き」あり
こんな感じで私はE氏と連絡を絶ったまま平穏な日々を送っていました。
初物件の菅原様邸も無事に完成し、お金の回転も小さいですがバランスが取れ、さらに菅原様邸の引渡し間際に仙台のST様邸の着工と、新会社のスタートとしてはあまりにもうまい滑り出しでした。
さらにさらに、菅原さん(現かみさん)の勤め先であった小さなカーテン屋さんで、唯一の同僚であるOiちゃんの実家でちょうど家を建て替えるという話が出てきたのです。
菅原さんが当社をプッシュしてくれて、私はOiさまと打ち合わせをする機会を得ました。
数回の打ち合わせの結果、STさま邸の完成時期である4月頃にOi様邸着工という契約ができたのです。
場所は金ヶ崎町、規模はなんと・・平屋70坪でした。
まだ駆け出しでアパートの一角を事務所として使っていた個人事業の私に、70坪もの家づくりを依頼してくれたOi様には本当に感謝でした(><)
会社が軌道にのるかどうかの大事なスタート時期に、私はかみさんに2度も助けられました。その後、カーテン屋さんのお客様宅の自宅リフォームも受注させていただき、計3度も会社のスタートダッシュの仕事を得ることが出来ました(足を向けて寝られません)。
菅原さま邸の建て替えのタイミングだけでもビックリしましたが、カーテン屋さんの唯一の同僚の家づくりもこのタイミングに重なったことで、本当に「流れ」が正しかったんだなぁ・・とつくづく思わされました。
STさま邸の着工は12月頭でした。そのために業者さんとの工事打ち合わせなどで仙台に行く機会が増えていた11月、ついに「動き」が起きました。
ー動きありー
牧田から私に電話が入ったのです。
第1期の決算報告を兼ねた株主総会の話で打ち合わせがしたい・・という内容でした。
E氏と会うのは避けたかったので、牧田と私と2人で総会日程など打ち合わせしようということになりました。
仙台市内のファミレスで久しぶりに牧田と昼飯を食べながら話をしました。
総会の日程調整などの雑談をしながら、私は切り出しました。
「どうだ?そろそろ住宅業界も分かってきただろうし、社長する気ないか?」・・と。
牧田は、少し考えながら「俺は、株の1割しかもっていないから決められない。やれと言われればやってもいいよ。」と初めて言葉にしました。
うわさ通り、相当ストレスがたまっていたのでしょう・・。
今までは、「住宅業界が分からないから」という理由で代表を引き受けてきませんでしたが、E氏と2人になったここ2ヶ月の間に、決断せざるを得ないほどの境遇だったと感じました。
『次の一手』をどうするか・・私はHo建材の社長に相談に行くことになるのでした。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。