物をひとつ手放して、気づきをひとつ得た話。
リサイクルショップに行きたかったの。地元のハードオフ。オフハウスも併設してる。好きなライターさんの記事で、ハードオフはその名の通り機械系に強くて、オフハウスはマジでなんでも買い取ってくれるって聞いたから、買い手がつくのかわからない田舎町だけど、持っていってみるか、と思って。DJコントローラー。昨日まで付属品が行方不明で手放すに手放せなかったDJコントローラー。
何それ?って人に一応説明すると、パソコンに繋いで、対応したソフトを使って好きな楽曲AとBを交互に再生したり、うまいことそれらをかっこよく連続して聴こえるように繋いで録音して「このmixサイコー〜俺の選曲マジアガる〜〜↑↑」ってしたりできる機械(厳密にいうと録音をする為には前述したソフトの機能が必要)。
もっと簡単にいうとチキチューするお皿みたいな物がふたつついてる大体長方形の機械。DJって聞くとなんかお皿みたいな物をキュッキュしてるイメージだと思う。あれあれ。あれを持ち運べるようにコンパクトにひとまとめにした物。
私が持っていたのは赤が基調になってて初心者用のお試しソフトみたいなデータが入ったCD-ROMがセットになってる奴だった。何年か前に色違いのコントローラーを友人に触らせてもらって、使い方がわかりやすかったから同じ物を探していたら、たまたま秋葉原の中古屋で安くなっていたのをTwitterで知って、買いに行った。
思い入れもそれなりにあった。名前もつけていた。単純に、もう触る機会がなくて(機会を今後作るつもりと、予定がなくて)、持ち歩く為に買った物でもなくて、まぁ、充分楽しんだかなと思ったので、売ることにした。
そもそもが好きな音楽に合わせて好き勝手踊るのが好きで、クラブに興味があって、私はオタクなので、オタクが主催するオタクの為のオタク系クラブイベントがあると知って、当時ハマっていた好きなゲームの世界観にマッチするそのイベントに足を運んで、何度も通って、ちょっと命を救われもして(怪しい宗教とかではないがオタクは情緒に関する言語表現がいちいち大袈裟なので、そんな感じに理解して欲しい)。
そこで知り合った人の中にも趣味や仕事でDJをしている人がいて、初心者や実践練習をしたい人向けに都心のクラブで毎週機会を提供してくれている人がいて、面白そうだからやってみたいと思って、地元から現場に通うのも大変だったから、家で練習したことの発表の場としてそこを時間借りすることにした。その為にコントローラーを買った。
今もそのイベント自体は休止中だけど存在はしていて、また行きたいと思ってはいるけど、自分がDJとして舞台に立ってしたかったことは、与えて頂いた機会と、自己満足の機会との両方共、割とやり尽くしたと思っていて、単純に「やってみたい」のラインは過ぎて、もうやらなくてもいいかなと思ったので、とりあえずやめるか、と、使わなくなったコントローラーを今日やっと売りに行ったという訳だ。
またやりたくなったらもっと新しいしばらく使えるコントローラーを余裕のある時に買いに行けばいい。物をすぐ欲しがるから家に物がいっぱいあって、物を手元に置き続けていると寝るスペースがなくなる。
欲しいから物を買うのに、段々物が増えていくことには次第に耐えられなくなっていき、ある時何かの拍子に「あ、これ手放そう。今はいらん」って、物を処分したり売ったり誰かに譲ったりする。使わない時間が多くなってきた物を生活する場に置き続けていることが苦痛になる。
手放して後悔した物も多少はあったし、オタク的に火葬の際に棺に一緒に入れてもらわにゃあならん、と一生手放すつもりのない物もあるけど「今はいらん」の気持ちを「いやいや、勿体無いから」という言葉で誤魔化そうとすると、散らかる部屋で寝るストレスがいつか爆発するので、私にはこういうやり方が合っている。
リサイクルショップに行く前、早く部屋を片付けて苛立ちから解放されたい気持ちと、台風が近づいてきているので(私は低気圧に弱い為)具合が悪くでかけたくない気持ちがせめぎ合って苦しんでいることをTwitterに書いたら、私のそのツイートを見た友人が「周りの頼れる人に代わりに持っていってもらうことはできないのか」という旨のリプライを送ってきた。それを見た私は、そうか、人に頼るって方法もあったのかと思い出した。
他人に何かをお願いするという行為そのものが重荷になる性分で、私の為に時間を割いてもらうことが申し訳ないだとか、お願いする際にどういう調子で話しかけようか(どうしたら相手に不快感なくお願いを聞いてもらえるか)とか(聞くかどうかはお願いされた本人の都合なのに)、そんなことばかり意識してしまって、最終的に「自分で全部やるのが一番楽」だと思っていたんだけど、それは全部ぜんぶを一人で抱え込むっていうことだ。
一人でやった方が楽だと思い込んで、いつの間にか「自分のことなんだから自分でやらなくちゃ」と無意識に抱え込んでいたなぁと、友人のリプライで気づかされた。
今日の場合は、丁度家族の都合が合わず頼れる人がいなかったので、結局自分でリサイクルショップまで行ったんだけど、友人のリプライに背中を押された形になったことと、忘れていた自分の自己責任感の間違った方向への強さ(もっと自分を追い詰めずに他人を頼った方がいい場面もあるだろうなということ)を思いださせてくれたことに感謝したい。自分の悪い完璧主義にずっと自分で苦しんでいるから。ましになってきたと思っていたけど、まだまだ楽になれる可能性があるらしい。もっと適当に気楽に生きたいので、このことをまた思いだせるようにここに書いておく。
友人、声かけてくれてありがとね。
今日はこんなもんで。
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