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自分史Vol.3-1~浜崎あゆみ『Duty』に寄せて

2000年9月27日。浜崎あゆみの3rd Albumである『Duty』の発売日だけ、20年経つ今もなお記憶している理由はどこにあるのだろうか。先だって挙げた前作、『LOVEppears』を聴きに聴いて過ごした15歳前後の私が、このアルバムに寄せていた思いや、それに纏わる背景や関連する思索について、ここを読みに来てくださる方の期待さえ一旦は忘れて書いてみたい。このアルバム唯一の希望である『AUDIENCE』の一節を心の支えにして。

別に誰より先を歩いて行こう
なんて気持ちはなくってね
だからと言って誰かの後ろから
ついてくワケでもないけどね

2000年というのは自分自身にとっては中学校を卒業し、高校へと進学した時期にあたっていて、大人の目線で振り返ってみるなら、達成と挫折を立て続けに経験した年とも言える。SPEED辺りに始まってEvery Little Thing,the brilliant greenを聴きながら、好きなことや好きな人に囲まれ、思春期ならではの思いはあったにせよ、概ね楽しい時間で占められていた中学生時代から、Do As Infinity,GARNET CROWそしてFourplayと徐々に複雑な音へと深みへとのめり込むようにしながら、好きなことと言えば音楽とオーディオ、そしてほんの少しの得意な教科で点数を取ることくらいで、2001年9月11日の出来事なども相俟って(そう、YeLLOW Generationもこの時期)行き場のない思いが渦巻いていた頃は、浜崎あゆみ史上最も重苦しいアルバムを聴いていた時期とぴったりと符合する。当時は挫折ということさえ理解できておらず、高校と言う場所をただただつまらないと感じて、授業が終わったらすぐに校門を出ていた。行き帰りの道中は、8枚入れたMDケースからポータブルプレイヤーに、帰宅してからは、すでに100枚は超えていたコレクションからBOSEのAMS-ⅡのCDプレイヤーかSONYのMDS-W1に入れたディスクを、スピーカーやSONYのヘッドフォンMDR-Z900を通じて、耳に入れていたように思う。音響趣味が高じて、そして挫折を挫折として受け入れることもできずに、赤点さえ取った理系科目が必須の国立大学を志望校としたのだった。当時も歯が立たないことくらい、頭では理解していたけれど、音響設計学科を志望している自分くらいしか、拠って立つところがなかったのだと、今にして思う。

『Duty』という言葉は、自分のボキャブラリーに無く、辞書を引いたはずだけれど、そこに書かれた意味は、15歳のつまらない生活の中で、「すべきこと」さえできていない自分にとって厳しいものだったことは確かで、また歌詞を支配する世界観には恐怖さえ感じていた。

確かにひとつの時代が終わるのを
僕はこの目で見たよ
だけど次が自分の番だって事は
知りたくなかったんだ


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