新年こそ「何言ってるかわからない」ことを綴ろう
MISAさんがシェアしてくださっていたおかげで、Sakiさんのnoteへ辿り着き、そのまま筆を執っている(正確には、Blackberryのkeyboadをポチポチしている)。
「何言ってるかわからない」人ばかりを周囲に集める趣味がある私としては、2024年という変化の年に益々やって行きたいのは、その素晴らしい人々のネットワークを繋いでいく、ということである。
いや、更に遠慮なく推し進めて表現するならば、趣味を仕事にする、と敢えて申し上げたい。
「何言ってるかわからない」と言われることを喜んで受け入れる人々のおかげで、たくさんのブレイクスルーが生まれてきたことは、歴史を紐解くまでもない。
手前味噌であることを憚らずに申し上げるなら、喩えば私は明日、遠く東北の地から来る珍客(最大限の敬意を込めて、敢えてこう表現させていただく)にご依頼いただき、広辞苑で「山」の項を引くと2番目の意味として出てくる、ある山へのアテンドをする予定をしている。
この方とのご縁を遡ると、昨年の早春に愛知県で初めてお会いして以来の友人が、3月に私が主催する旅へ参加してくれたのがきっかけであった。
その旅は、#前田観光 と称して、私が人と人/人と土地/人と人以外の存在とを繋ぐ旅で、この友人は石川県と福井県を1泊2日で巡る道程に、遠く杜の都から来てくれたのだった。
その際、私はもう少し長い別の旅へ行く予定があると公言していて、友人から「親友もその旅へ行くことになっていて、他に知り合いがいないはずから、よろしくお願いしたい」との依頼を受けたのだけれど、それが上述した珍客なのである。
長旅の詳細は、「#QUANTAリトリート沖縄」とSNSなどで検索していただくとして、何はともあれ現地では無事に(というか、その珍客は全くもって無事からは程遠く、体調不良真っ只であった)出逢うことが出来て、親睦を深めるとまでは行かぬまでも、私にとってもご本人にとっても、とても大きな旅をともにした者同士として、戦友のような意識でいると、(私は)思っている(向こうはどうなのかしらん)。
脇道なのか本筋なのか判然としない、そんなエピソードがあった3月から9ヶ月ほどが経ち、私に連絡をして来てくれたおかげで、比叡山へとアテンドするのには、やはり「何言ってるかわからない」理由がある。
それと言うのも、3月に沖縄で出逢って以来、ご本人は日本各地の寺社仏閣を巡っては、そこで願掛けをするでもなく、由緒を紐解くでもなく、とあるお役目をただただ果たしていて、そのお役目を引き受けて以来、最も行きたい場所の一つが、私の実家から程近い比叡山なのだそうだ。
行ないの尊さに感銘を受けている私は、このご依頼を二つ返事で受けたのだけど、このお役目は一般的な意味において、目には見えないものであって、誰にでも分かるものではないから、わざわざ滋賀県の古刹を巡るためだけに私を頼って来られることの不思議を、敢えて説明するものでもなかろうと思う。
「何言ってるかわからない」けれども、現代我々が用いている日本語では説明がつかないけれども、それで良いのである。
さて、ここまでたった一人のエピソードに1300字を費やした私が、これから書くことこそ「何言ってるかわからない」の本旨であるが、これから先は敢えて場所を変えて書いてみたい。
書かんとすることを短く纏めるならば、“ドグマの没落と、センスの台頭”とでもなろうか。
センスと言えば、ということで、S.E.N.S.のアルバム“透明な音楽”をシェアしておこう。
考えてみれば、上述のプラットフォームのMediumという名も、絵を描く人には馴染みがある、例の透明な画材を指す言葉であり、数年来?久しく書いていなかった透明な場所で、また出逢い直すことができれば幸いである。
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