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29.南インドの旅:コーチン、東インド会社の本拠地で、ヴァスコ・ダ・ガマの果てない夢を共有する

 コーチンは天然の両港に恵まれ、フェニキア人商人、古代ローマ人、アラビア商人で賑わってきた町だ。16世紀以降はオランダ、ポルトガル、イギリスなど、西洋諸国の支配下におかれ、東インド会社の本拠地であった。そのため、インド国内では最もキリスト教徒が多く、独自の文化を育んできた。フォートコーチンではさまざまな文化にふれることができる。


 1506年に建造されたサンタクラス教会はカソリックの教会、その美しさに魅了される。

 バスコ・ダ・ガマは3回目のインド遠征の際に、この地で亡くなった。その墓は、聖フランシス教会に作られた。遠い異国で亡くなった彼は、どんな想いでアラビア海を眺めたのだろう。


 マッタンチェリー宮殿の中では、ポルトガル支配下、オランダ支配下の歴史、そしてケララ伝統の壁画を見ることができる。フォートコーチンの変遷は、インドの西洋世界との文化の相剋の歴史であり、また西洋諸国同士の海外進出の争いの縮図でもあり、興味は尽きない。


 ユダヤ人地区のシナゴクは、今もユダヤ人の影響を感じさせてくれる。

 海沿いには瀟洒なレストランが並ぶ。アラビア海の潮風に吹かれながら食べるシーフードは格別だ。


 また海沿いにはチャイニーズ・フィッシュネットと呼ばれる魚を取るための網があり、その前の店では、アラビアで取れたてで生きのいい海の幸を料理してくれる。フレッシュでとてもおいしい。

 ケララは古来、内陸インドより、ヨーロッパ、アラビアとの関係が深いところだ。今でもケララの家族のうち、ひとりは必ず中東で働いていると言う。コーチンはインドとヨーロッパ、そしてアラビア世界との関係、歴史を再認識させてくれる町だ。ぜひ訪れて欲しい。



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