何者にもなれなかった男
今日サーモンばっかだな
大好物のサーモンを見るだけで興奮してた頃の自分はもういない。
なんなら、業務を連想するから普段の食事なんかでは見たくないまである。
まさかサーモンに対してこんな気持ちになるなんて、
あの頃の俺は想像もしてなかっただろうな。
そして、今のこの状況も。
まな板に置かれたブロック形状のサーモンを淡々と一人分の大きさに切っていく。週末ということもあり店内は子連れの家族で大盛況なんだろう。回転寿司チェーン店のキッチンのバイトを始めて数ヵ月が経つ。大分早く捌けるようになった。
あの頃は本気でプロ野球選手になれると信じて疑わなかった。
小学校から野球を始め、中学校の頃に県代表選抜に選ばれた時から本気でプロを決意した。そして、高校は甲子園常連校に入学し一年生からマウンドに立ち投げていた。
全てを野球に注ぎ込んでいた。
プロになるそのために。
しかし、下校途中事故に遭ってから全てが変わってしまった。
飲酒運転の車が対向車線から飛び出し歩道に乗り上げてきたのだ。
命に別状はなかったが、野球をするには絶望的な怪我だった。
その後治療に専念するも、再びマウンドに立つ日は来なかった。
高校卒業し失意の中、実家に帰った。
何もかもがどうでもよくなっていた。
職にもつかず引きこもり、やっと最近バイトを始めてた。
なんのために生きているのか。
いっそのこと全部無くなっちまえばいいのにな。
そんな事を考えているとバイトの終了時間になった。事務所から出ていく。裏口のドアを開けると、外はもう日が暮れて薄暗い。
店の入り口に笑顔の家族連れの姿が見える。
大切なものを失ったらきっとあんな風には笑えない
微笑ましいなんて思えない。
今この店を爆破したらどうなるかな
なんてな。
ドンっ
いきなり右足に衝撃を受けて少しよろめく
下を見ると、
薄暗い中、小さな手と足で太ももに必死に抱きつく
まだ幼い息子だった。
振り返ると電灯の下でレジ袋を持つ妻がこっちに向かって歩いてきていた。
そう言えば、幼稚園の頃は戦隊モノのヒーローになりたかったっけな。
なんて考えてたら
「だっこー!」と下の方から
ふっと我に帰り、
そうだ父親になったんだ。
家族を守るヒーローにならなきゃな。
なんてな。
よしっと、息子を抱きかかえて歩き始める。
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