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全世代型社会保障構築会議での発言録

勿凝学問439

何を話したのかを忘れる前に、自分のためにメモを


第20回会議(2024年12月6日)

○権丈構成員 私は、2006年に年金部会の下につくられた「パート労働者の厚生年金適用ワーキンググループ」の委員になって、これまで適用拡大に関わっております。私は、この間ずっと適用拡大は絶対正義だと言ってきました。「絶対正義」という言葉を使ったのはこの1点しかありません。ほかのところでは使っていない。

 適用拡大の目的は、被用者でありながら第1号被保険者の中にとどめ置かれている第1号被保険者の4割を占める人たちに厚生年金を適用することです。彼らが厚生年金に入ることができれば、彼らが負担していた1号の定額保険料1万7000円弱が労使折半の保険料の下で本人負担分が半分ほどになりますから、働く人の手取りが増えます。かつ、厚生年金という2階部分の年金も保障されるようになります。今言われている106万円、壁なのかどうか分からないのですけれども、その106万円の賃金要件までを撤廃すると70万人の人が1号から2号に移ることができるので、70万人の人の手取りが増えます。これはぜひやってもらいたいと思っております。

 加えて、適用拡大は成長戦略だとも言ってきました。適用拡大の適用除外規定というのは、事業主負担をしなくても済む安い労働力を雇うことができる一種のダンピング・システムなわけですね。そうした適用除外規定をなくしていけば、企業は生産性を上げるために企業家精神を発揮せざるを得なくなります。最低賃金の引上げを成長戦略と捉えている人も多いと思いますけれども、これは同じロジックです。私はこれをずっと、アトキンソンさんよりも前から、言っていました(笑)。

 逆に言うと、厚生年金をはじめ、被用者保険に適用除外規定があったために、貧困とか格差をなくすために存在するはずの社会保険そのものが非正規雇用を推奨して格差を生む原因になっていたという、絶対にあってはならない状況が続いていたわけなんですね。

 この構築会議では、これまで「適用除外」という言葉が使われています。みんな「適用拡大」と言うけれども、ここでは「適用除外」という言葉が使われて、2022年12月の報告書では、「被用者保険の適用除外となっている規定を見直して適用拡大を図ることが適当と考えられる」と書かれています。

 そもそも被用者保険に適用除外規定があることのほうが初めからおかしいわけです。先ほど香取委員が発言されたドイツでは、適用除外がないと同時に、短時間労働者を雇う企業に対してはペナルティーを課して負担分が多くなっているわけですけれども、その逆を行っているこの国は政策形成過程で何かおかしさがあると私は昔から見ています。

 そうした中、岸田内閣は勤労者皆保険を掲げました。岸田さんが政調会長のときには、自民政調の報告書に、「所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも事業主負担は維持すること等で、企業が事業主負担を回避するために生じる見えない壁」、企業は意識しているけれども労働者からは見えません、そういう「見えない壁を壊しつつ社会保険の中で助け合いを強化する」、これこそが勤労者皆保険だというスローガンを掲げました。関係者から見ると、もう拍手喝采ですね。

 事業主には例外なく事業負担を課す。ドイツもそれをやっています。そして、被保険者本人には、構築会議の報告書にもあるように、「国民年金制度との整合性を踏まえつつ」、例えば20時間以上から本人負担を課すという形で、事業主負担はずっと課していくという制度が勤労者皆保険の原型になります。そこをゴールとしておかないと、被用者保険が非正規雇用とか格差を生む構図は変わりません。その意味で、今回の適用拡大は一歩前進だと私は評価しています。

 それと、国民年金の被保険者期間を40年から45年にする45年化というのは、今回は見送られましたけれども、年金部会では勤労者皆保険と45年化は王道の改革と私は言い続けています。というのも、公的年金を本来あるべき姿にしていくのが勤労者皆保険と45年化だからです。あれらは、本来あるべき姿に向かっていくという改革です。

 勤労者皆保険と45年化を同時にやった複合効果は所得代替率に対して結構大きくて、この2つを同時にやると、基礎年金をはじめ所得代替率を相当高くします。そして、今日議論に出ている調整期間の一致をさらに重ねると、なお一層所得代替率は上がって、今の所得代替率61.2%が過去30年投影で63%を超えて、成長移行・維持ケースになってくると約69%になります。

 財政検証の結果が以前よりもどんどんハッピーな方向に向かっている状況の中で、所得代替率69%に上げるために合計で3兆円とか4兆円規模の増税をしようとする人が霞が関とか永田町に誰が出てくるのだろうかというのが私の疑問です。先週の年金部会で話したことは、調整期間の一致をやると、さらなる適用除外規定の見直しと45年化という王道の改革の道は閉ざされるということでした。

 先週の年金部会では、調整期間の一致をトロイの木馬に例えて、その木馬を城の中に入れるとトロイの城塞が陥落するというカッサンドラのような不吉な予言をしてきたわけですけれども、さて誰が信じてくれるかなというところですね。

 今回の改革が調整期間の一致と呼ばれていたように、問題は調整期間の不一致でした。そして私は厚生年金の調整期間を延ばしていくことには昔から反対はしていません。それを行うと厚生年金の積立金が上積みされていくわけですけれども、その使途を今決める必要はないのではないかとも思っています。

 今回は45年化を見送ることになりましたが、5年後の財政検証の様子を見ながら、さらなる王道の改革を行うために年金も汗をかく。「汗をかく」という言葉は年金部会で小野委員が使い始めて、私も使っているのですけれども、年金部会で用いているキーワードで、マクロ経済スライドのフル適用ということをやらなかった、年金が汗をかかなかったから起こってきている調整期間の不一致という問題を、国庫負担で解決していくことはどうも筋が違うのではないかというのは小野委員と私が言っていることです。

 次に、年金と成長戦略についてです。人手が不足すると、賃金をはじめとした待遇改善を図って労働力を確保したり、労働をロボットなどの資本に置き換えて対応するのが市場の働きです。市場の規律というのはそういうことを企業に求めます。そして、数年前から就業調整をする人たちがいたときにでも、多くの企業は手取りが減らないように、賃金を上げたり、ボーナスで保険料を補填して対応していました。そういう企業が幾つもあった。

 そうした企業と労働力の確保の面で競合するライバルに補助金をあげる制度ができるとどうなるか。そして、その制度をごまかしながら使っているという話も先ほど横山先生からありましたけれども、そういう制度があったらどうなるかということで、もしかすると成長戦略とは逆方向の正直者がばかを見る政策になる可能性さえあるのではないかと私は当初から見ておりました。

 そうした意味で、今回、年金局が提案してきた就業調整をする可能性のある人たちを対象として事業主負担割合を高くできる道を準備して、今ある年収の壁・支援強化パッケージに置き換えるというのは成長戦略として妥当なものと私は評価しています。

 今回、どうしてもなさねばならないことに高在老の見直しというのがあります。高在老の支持者が世の中には結構多いのですけれども、それは資料1の12ページの左の図を見て、高所得者の年金を減らすのは再分配だから良いことではないかと判断しているところが、いろいろと講演で質問が来たりすることこから考えてみると、どうもあるのですね。

 しかし、この制度の問題は、2019年の『年金部会における議論の整理』にあるように、「同じような所得を得る者の間での公平性の問題」とか、「繰下げ受給をしても在職支給停止相当分は増額対象にならない」という理不尽さにあるんですね。どうして対象は賃金だけで、本当のお金持ちがいるところの役員報酬は対象ではないのか、どうして繰り下げても減額されたままなのですかと、そうした素朴な疑問に答えることができないから、初めてこの問題に直面した年金受給世代の人たちは、納得のいかない制度だと思いながら泣き寝入りしている状態です。みんな年金制度への不快な思い、嫌悪感を抱きながら、大方働くんですね。 
だから、労働経済学者が調査をしても、就労への影響がないということになるのは当たり前だけれども、私はこの泣き寝入りの感覚、年金への不信感が高まっている感情を計測してもらいたいと思っているけれども、これはなかなかできないだろうと思っている。 7月の財政検証で、標準報酬月額の上限を上げると、拠出と給付の間にタイムラグがあるので、その間の積立金の運用などを介して将来の年金全体の給付水準も上昇することが示されました。この財源を用いれば、高所得者優遇だという批判を受けることなく、理不尽な制度を見直すことができるので、ぜひこれは進めてもらいたいと思っています。
ワークロンガーが社会・経済政策の最上位に位置づけられる今の時代に、それを実行していこうとするとペナルティーが課される、しかも正当な理由もないような政策は、私は早急になくしたほうがいいと思っています。 
最後に、本日の資料にはなく、来週の年金部会での議論になるのですけれども、加給年金の廃止、つまり年下の配偶者が850万の年収以下の人たちならばもらうことができるという訳の分からない加給年金という制度が今もあるわけですけれども、それを廃止する。
あと遺族年金の課税化。これが非課税になっているから非常に多くの問題が出ている。老齢年金は課税で、遺族年金が非課税になっていて、今は自分の厚生年金と遺族年金との併給時には、自分の厚生年金を先に受けて、遺族年金は差額を上乗せするというルールになっています。その結果、共働きで自分の厚生年金がある人はその年金に課税され、遺族年金しかない人は非課税という状態になっている。つまり、遺族の年金給付水準が同じであっても、共働きのほうが不利になり、ほかにも医療・介護の自己負担とか保険料の負担面でもいろいろとおかしなことが起こっていることは、これは年金部会のほうではあまり扱おうとしていないのですけれども、私は大きくこれを扱っていく必要がある考えていると同時に、もう既に政府税調で問題提起しております。
税調と年金部会の両方が歩調をそろえて進まないと実行できないので、遺族年金の課税化というのは今後の年金部会でも提起したいと思っております。 以上になります。

フリーディスカッションというか、突然振られて

○赤澤大臣 お忙しい中、私共が心から信頼を申し上げる先生方にお集まりをいただきまして本当にありがとうございます。日頃の精力的な御検討に心から感謝をしておりますし、清家先生には、ここは忌憚のない議論をするところだと前回言っていただいて、大変うれしく、頼もしく思った次第でございます。
・・・
そんな中で我が国は高齢社会であり、高齢者の方たちが政治的にも大変な発言力を持ち、政治を動かすところもあり、そんな中で過去30年のトレンドで示した結果を基にやろうとしておられる例のマクロ経済スライドの期間の調整というのがあります。
我々は今分岐点だけれども、今後、経済について言えば相当真剣に、単に物価上昇がコストプッシュ型でなくて生産性向上を伴うものにしていき、しっかり成長も実現していこうとしている中、出そうとしている数字が、ホラーストーリーっぽい最悪の場合はこうなりますよというつもりで示したものをもって大騒ぎになることについて、私自身は非常に気にしています。
そういう意味で、意義とか効果とか影響というものも含めて先生方には熟議をいただきたいというのが私の思うところです。
その点も含めてよく検討いただいて、我々が目指している成長ケースは恐らく先生方もそのとおりに完全に実現することはないだろうと思われ、ただ、我々からすると過去30年のトレンドをそのまま行くようなものは、そうはならないことに全力を挙げているので、現実的にはその中間ぐらいのものが出てくると、もしかすると期間の調整をやらないで済む場合もあるかもしれないということを率直に思います。
結果的には我々がそのまま一生懸命今の方向で続けていければ、一言で言えば杞憂だったかもしれないという事態も絶対ないとは言えないので、その辺のことはぜひ踏まえて御議論いただきたいと思います。
最終的には男女ともに年齢を問わずに希望どおり働ける環境をつくり、全世代が活躍できる社会保障を展開して、若者が仕事も子育ても面白い、楽しいと思ってもらえる環境づくりにつなげたいと思っているので、引き続き闊達な御議論をお願いしたいということを申し上げておきたいと思います。
以上でございます。
○清家座長 大臣、ありがとうございました。 それでは、ここから、ただいまの大臣の御発言も含めてまた議論を進めたいと思います。 権丈委員どうぞ。
○権丈構成員 大きな改革をすることの必要性を言うためには、やはりホラーストーリー系になっているところがあるのですね。そこで世の中では炎上しています。どうしてそんなに大きな改革をする必要があるのだと。そして、やはり年金というのは駄目なのではないかということで炎上していて、先週ぐらいに私は『ABEMA Prime』に呼び出されて、この調整期間の一致に対して若い人たちがみんな批判する中で、それを僕が弁護するという訳の分からないポジションで行くことになって、そこで言ったのは、そんなに年金は毀損していないし、年金はそんなに悪い状態でもないのだよねという話をしていくことになります。
それと整合性を持つ結論は、そんなに大きな改革は本当は必要ないのだけれども、だから僕は年金部会でも反対しようと思うけどねというようなストーリーになるわけです。
 そこで感じたのは、先ほど私は財政検証の結果が以前よりもハッピーな方向に向かっているという話をしまして、実際のところ、女性の就業率が高まって被保険者期間が長くなっていくと、共働きだったらこの国の年金は何かやらなければいけないことがあるのかなというぐらいに生活が安定していくような結果が出てきているわけですが、一方で本当に年金が若い人たちに不信感を与え、そして、政府不信の源になっています。
 彼らは年金はもうもらえないものと思って、強制的な制度でお金を持っていかれているので、政府を憎むという感覚になっていますね。そして、僕から見ると、彼らの心がすさみ、そのすさんだ隙に魔の手が伸びていく可能性が多分にある非常にリスキーな状況にあるなというのをこのテレビに出たときに思った。
 同時に、根本的なところで彼らに分かってほしいと思うのは、年金は保険であるということですね。民間保険で給付負担倍率を計算すると、付加保険料もあるので、確実に1を切ります。普通のオルカンとかいろいろなところの貯蓄性の金融商品を計算するときに、給付負担倍率や割引現在価値という形で比較して、こっちの商品のほうが得だとかあっちの商品のほうがいいという計算は成立するけれども、保険にはそれは当てはまらないのですね。
 保険に入ることによるリスクヘッジが効いているので、そこでの効用の増加があるがために、給付負担倍率が1を切ったからといって払い損という話に確実にならないのですけれども、はやりの試算の給付負担倍率、若い人たちはこんなに損をするというような試算そのものもおかしい。厚労省は事業主負担を入れないで計算するとか、経済学者たちは入れて計算するとか、実は両方とも間違えています。両方とも間違えていて、リスクヘッジ、年金で言えば長生きリスクへのヘッジ、亡くなるまでの終身給付による効用の増加がカウントされていないのですね。
 昔、社会保障の教育推進に関する検討会でそういう計算を議題にしたときに、私は昔の数理課長に電話をかけて、かつて数理課がやった2.2倍の試算そのものを否定させてもらうと言った。年金は保険だからそういう計算そのものが妥当でないからと。そして、厚生労働省にも「公的年金保険」という「保険」という言葉を前面に出して議論してくれと。そうでないと、給付負担倍率を持ち出してただの金融商品と勘違いしてみんなが議論していくと、年金不信が高まっていき、そして、強制的に保険料を徴収されているという意識になって、そこから解放しますという人たちが今はあの世界でもうヒーローです。そして、そういう試算をしている人たちもSNSの世界でヒーローなのですね。僕たちの目の前にはいないのだけれども。だから、これはかなり危ないというのをこの前のアベプラで思いました。
○赤澤大臣 大変ごもっともで、恐らくそうした議論を適用すると、自動車の保険も成り立たないということになるのですよね。掛け金を掛けて、いざ事故を起こしたときのために保険料を払い続けて、事故を起こさずに一生を終えたら、保険金を払った分だけ損をすると言っているようなものなわけですよ。
純粋な保険であれば。積み立てた分が無事故なら返ってくるみたいな金融商品もありますけれども、保険の本質は、毎月幾らか払って、いざ事故を起こしたときにお金をもらえる権利を有していることをもって毎月お金を払うと思っているのだけれども、払った分のお金、積み立てた分だけ損しているではないかと捉える人もいるのかもしれません。
逆に言えば、年金も当然ながら、65歳とか年齢設定がありますけれども、その後は少し体がきつくなって現役のときほどは働けなくなったリスク、逆に言えば日本は元気老人が多いので、そのリスクはあまり顕在化しないけれども、働けなくなったときには年金を生活の足しにしよう、貯金と合わせて暮らしていけるようにしようみたいな考えだと思います。 先生方に議論していただいているこの問題は本当に重要な問題で、社会の流れを変えてしまったり、本当に大きな影響を与えてしまったりすることになるので、効果とか影響とか意義というものを先生方に議論し尽くしていただきたいなというのが担当閣僚としての切なる願いでございます。いつもやっていただいているので心から感謝いたします。
○清家座長 ありがとうございます。 ほかにはよろしいですか。
大臣の今のお話を伺っていて、どこかで聞いておられたのではないかと思うくらい、実は今おっしゃったことは今回まさに議論されたことでした。
1つは、今は何よりも支え手を増やすことが大事なのだから、社会保障制度は、年金も含めて徹頭徹尾それと整合的でなければいけない、という意見が非常にたくさん出ました。
それから、今おっしゃったマクロ経済スライドの問題についても、多くの委員から、試算をする際の経済前提をもっとしっかりといろいろなケースも考えて出さないと誤解を招きやすいのではないかという御議論がございました。いずれもまさに大臣が言われたとおりです。 まさに大臣の指摘された2つの点につきましては、今日ここで忌憚のない御意見をいただきましたので、それもしっかりと議事録には残ると思いますので、よろしくお願いいたします。
よろしゅうございますか。 オンラインで御参加の皆様からも何かございますか。よろしいですか。 それでは、ただいまの大臣の御発言も含めまして、本日の御議論についてしっかりと踏まえられて、引き続き厚生労働省において検討を進めていただければと思います。

第19回会議(2024年11月15日)

○香取構成員 すみません。ちょっと早く出なくてはいけなくなりましたものですから、御配慮いただきましてありがとうございます。
 ・・・私の理解では、「全世代型社会保障とは」というのは、初出は2013年の社会保障制度改革国民会議だったと思います。そこで、今日権丈先生がいらっしゃるので後でお話しいただけると思いますが、・・・
・・・
○権丈構成員 先ほど香取委員のほうから社会保障制度改革国民会議の話を振られたので、少し説明しますと、2013年の制度改革国民会議のときに全世代型社会保障というものを定義し、これをみんなで目指していこうという目標を掲げて十数年たつわけですけれども、何のために全世代型社会保障をやっていこうかというようなことは、2年前の2022年の12月にまとめられた『全世代型社会保障構築会議報告書』の中にヒントといいますか答えがあります。あの報告書には「市場による働きによって生じた所得分配の歪みを正す」のが社会保障だと書いてある。要するに、手取りを増やすという形で税、社会保険料を減らしていくというのは、市場による所得の分配を是とするということです。しかしそうではなく、市場による所得分配を歪んでいるとみて、その状態を改善して、社会的なウェルフェアを高めるために我々は全世代型社会保障を構築していこうということをやっている。そうなると、どうしても再分配という形でやっていかざるを得ないので、市場による分配に対して修正を図っていかなければならなくなってくる。そういう税、社会保険料による再分配のことが今の世の中では忘れられているわけですけれども、仕方がない。私は民主主義というのはそういうものだろうと思っております。
 私が準備してきた話に入ろうと思うのですけれども、今、話をした2022年の構築会議の報告書には「地域軸の視点」という柱が立てられています。人口減少と高齢化の衝撃というのは日本全国に一様に現れるのではなくて、すさまじく地域性があります。
人口増加社会というのは過去に我々は経験していたわけですけれども、いち早く課題に直面する問題先進地域は、人口がいち早く増加して、先に都市化が進んでいる地域でした。
 そうした社会では、国の政策の在り方を多数決で決めることを旨とする民主主義というのはそれなりに機能していました。ところが、人口減少社会に転じると、問題先進地域は人口減少地域であって、人口が少ない地域になっていきます。そして、人口減少社会で国の政策を従来のように一国全体での多数決で決めていると、問題先進地域が抱える課題への対応が必ず遅れることになります。
 私は2022年12月の『構築会議』のときに、「日医の会長選というのは各都道府県から代議員が376人選ばれて、投票が行われる間接選挙となっていると。この代議員の11%を東京が占め、9%を大阪が占めている。対して、人口減少が激しく、地域医療の崩壊が今も進んでいる北海道は3%、東北6県を合わせても7%、そして、山陰の鳥取、島根を足しても1%台です」と話しています。
 今の日本の政策形成方法は人口増加時代につくられたものでした。しかし、人口減少社会では問題解決の手法としての民主主義が機能不全に陥ります。
 医療に関して言いますと、病院収入というのは価格(P)掛ける量(Q)の積になるわけですが、人口減少の中で、Qが減少していって、先ほどの医政局長の説明でもあった高齢化の中でQの中の医療の質が変わっていくということで、人口減少地域の医療機関というのはこのQが随分減っていって、そして、病院収入というのが減少していくことになります。
 人口減少地域の医療機関はそういう状況に直面して、自らが持続するために医療機関の再編、連携をせざるを得なくなります。中には地域医療連携推進法人をつくって、電子カルテの共有などは当たり前、病床数のダウンサイジングなんて当たり前、同時に医療DXもどんどん進めていって、ブルシット・ジョブをどんどんなくしていって職場の魅力を高めていくというような形で、そういう働き方改革も当たり前というようなことをやる。と同時に、医療と福祉の連携の下での病床管理をデジタルで一体的に行うなんていうのは当たり前だろうというようなことを勝手に自発的にやっています。
 要は、日本の医療は経済学が言う生産可能性フロンティアのかなり内側にいて、地方で患者が減少し始めて経営が難しくなってくると、イノベーターが表に出てきて、我々が2013年の『社会保障制度改革国民会議』で描いていた地域医療構想と地域包括ケアの融合を独自に、そこまでやるかというぐらい展開しているわけです。
 そして、地方の医師会の会長というのは、我が県が必要なのは「家族丸ごと診る家庭医」ですとインタビューで話したりしていて、中央の動きを待っていたら自分たちの県は消えてなくなるという危機感を持っています。
 問題先進地域である人口減少地域のイノベーターたちが日々直面する問題を解決するために果敢に動いていく。国はそれを支援はしても妨げない。それが人口減少社会において、「地域軸」を強く意識した医療・介護政策の在り方になるのだと私は思っております。
 とは言っても、地域ではいかんともしがたい問題があって、それは医師の確保です。この問題を解決するために、「医師需給分科会」というのが2015年の12月から6年間にわたって計40回の会議を行っていました。欧米でも医師の地域偏在問題は物すごく深刻で、かなり研究が進んでいます。その結果、医師の地域偏在を解決するための政策技術は大体分かっていて、エビデンスレベルの高い順に言うと、地元枠、次に総合診療医というのは地域に根づきます。そして、3番目が地域医療の経験です。若いときにやる。
 WHOは2010年に国は医学教育への介入が不可欠と言っていまして、それは医学部で地元出身者を優遇すべし、homecoming salmon hypothesis、私は鮭の母川回帰仮説と訳していますが、そういう仮説に基づいての提言ということで、これは日本でも進めてきて、地元枠、地元枠ではないのですけれども、地域枠というところで、若い人たちの医師の配置というのが地域偏在という観点から見て割とまともになってきているという成果が出てきています。
 偏在問題を解決するための総合診療医の育成というのは、医師需給分科会でも繰り返し、あの会議は5回も中間報告をまとめているのですが、その報告書に繰り返し書かれるのですけれども、いつものように日本の民主主義プロセスで抹殺されていきます。
 3つ目の地域医療の経験というのが、2018年の医療法改正でできた医師少数地域での医療従事経験を認定して管理者要件とする制度でした。これは若い人たちを地域の医師の供給源として派遣するというのではなくて、地域医療を経験してもらうという意味です。若いときに経験すると、なるほど、面白いではないかという意識になって、後に地域医療に貢献してくれる人たちが出てくるということです。
 あのときの医師需給分科会のメンバーは、クリニックの院長になるためにも地域医療での経験要件を組み込もうと考えていました。しかし、いつものようにブロックされて地域医療支援病院のみとなった。そのときに我々が出していた条件が、認定資格そのものはJCHOとか済生会とか日赤というような病院の院長資格に使うことができるようにしておいてくれということでした。法律の立てつけはそうなっていると思います。ところが、2018年の医療法改正から6年たつのにいまだにどこも手を挙げておりません。
 最後に地方創生についても話をしてくれという話があったのですけれども、今の日本には、高齢者には年金もあれば、医療・介護需要もあります。そして、年金や医療・介護の財源は、負担能力が高い関東とか東海地方が多く負担してくれて、給付は高齢者が多い地方に流されています。つまり、140兆円近い社会保障給付は都道府県間で壮大な再分配を果たしてくれているわけです。政務官の熊本もそうですね。
 高齢者は経済の宝だと私は言っているのですけれども、私の高校の先輩に中村哲さんがいて、ペシャワール会に連絡をして、私がやりたいのは中村さんがアフガンでやったこと、すなわち砂漠にかんがい施設を造って、青々とした緑の大地に変えることなのだということを伝えて、あれを日本の経済でやりたいんだという説明をして、こういう話をどんどんしていくよと言っております。
 現実には、年金の家計最終消費支出では鳥取県と島根県というのは結構高いのですけれども、年金がどれだけ占めるかというと22%を占めていますし、その上に医療・介護の需要もあるから、若い人たちの雇用を生んでいます。酒田の日本海ヘルスケアネットは酒田市役所の2倍ほどの雇用を生んでいますし、福井に新幹線が通ったときに私が県の人たちに言っていたのは、新幹線に乗って東京の退職者が移住してきたら、駅で医療者と介護者がいらっしゃいませと迎えて、パーフェクトな地域包括ケアで迎えるためのまちづくりをしようと話してます。しっかりと医療・介護、そして、年金というようなことの需要がある、支払い能力のある人たちを迎えるまちをつくっていくのだというような話をしたりしているわけです。
地方に所得を流すチャネルがかつての公共事業から今は社会保障に変わったわけで、かんがい施設としての社会保障というのは、地方創生とまではかっこよく言いませんけれども、地方の持続可能性を高めるためにしっかりと機能しているということはこれからも言い続けていきたいと思っております。
 以上です。

第18回会議(2024年5月27日)

○権丈構成員 2点ほど。
 構築会議の報告書の中では「時間軸」というキーワードがあります。この言葉は、遺族年金とか支給開始年齢の引上げは20年くらいかければあるべき姿に移行できる。医療には、「永遠に解決できない課題リスト」というものがあるわけだけれども、これを解決するには時間軸を使って解決するしか方法はないという意味でこの会議で使われた言葉です。第2回会議ですから、2年前ですね。
 これは何を言っているかというと、提供体制を本当に変えるには、年金改革のように長い時間をかけて進めていくしかないと言っているんですね。
医療保険は、今年法律を変えましたから、来年こうなりますという方法でやっていけるわけですけれども、提供体制の改革はそれができません。それを無理にやろうとすると、今年決める改革が利害調整の末に名ばかりの改革になって、丸山眞男先生の言葉とはちょっと意味が違うのですけれども、引下げ平等主義のような性格を帯びてくる。そういう政策をこれまで繰り返してきたわけですけれども、とにかくみんな平等にであるとか、皆さんが漏れなくとかいう話がいつも出てくるわけですが、今回も関係者の中には既に嵐は過ぎ去ったと思っている人もいるかと思いますけれども、その繰り返しがこれまで永遠に解決できない課題リストというのを積み上げてきたわけですね。昔から、みんな何回も、同じことを議論するために集まっている。
 2013年の国民会議以降、医療政策はデータによる制御機構の構築を図っていくという方法でやってきました。しかし、あるべき姿をデータによって可視化して、あとは関係者の自主性に任せるという方法ではなかなか進まなかったという歴史が今、我々の目の前にある。土居委員もおっしゃっていたように、データの精緻化というのは今後また進むと思いますけれども、どうも過去10年間はそういう歴史だった。
ようやく地域医療構想、かかりつけ医機能、偏在問題という課題リストがそろったわけですけれども、ここまで来るのも大変だったかと思いますが、今日挙げられている3つの会議は、年金改革の方法とは異なって、時間軸の意識が薄い医療保険改革の方法で回されているように私には見える。これは勘違いでしたらすみません。医療という言葉があるから、医政局も医療保険と同じ方法で回すのでしょうけれども、提供体制と保険の改革は、本質的に違うということがあるわけです。
 本日は構築会議の位置づけの話が議題なので言いますと、この会議を年金改革方式で提供体制改革を行う会議体と位置づけて、2040年とか2050年にはここまでやるという遠いゴールを定めて、そこに向けてバックキャスティングに今を位置づけ、今回の提供体制に関する3つの会議の方向性を第1ステップとみなして評価していくというような位置づけで考えてくれないだろうかというのがあります。
 例えばかかりつけ医機能のところは、今日の会議では現状に鑑みて、土居委員もおっしゃっていたような案1というところ、構築会議の報告書の中には「幅広く対応」というのがありますので、この幅広く対応というところを強く意識した形での案1というもの。そして、案2にある2番目②、および最後の第4番目④にある相談というものを複合した形、この状況ぐらいが、我々、今日の話を伺いながら、遠い未来からみた我々の世界から言うと、ぎりぎりのところだよねというのがあります。だから、診療科を言っていくのだけれども、④対応可能として相談というものを意識しながら、同時に②研修の修了者がいること、又は総合診療専門医がいるというようなことを複合した形で考えてもらうのが、どうも今日話を聞いた中での合意点ではないかという気がしております。当然、遠い先の未来はあります。それを今後みんなで議論することができればと思っております。
 2つ目のところは、今日の議題とは関係ないのですが、私の時間の持ち分の中で話しますが、先日の参議院の参考人質疑の中で、野党の政治家から政府の言う実質的負担を増やさないという説明をどう思うかという質問があったときに、参考人は社会保険料を分子に置いて国民所得で割った社会保障負担率を実質的な負担の政策指標に用いることには異存はない。ただし、社会保険は助け合いの仕組みなのだから、社会保障連帯率と呼んだほうがいいのではないかと答えていました。
 それを聞いて、質問した政治家は、私はむしろ社会保険料負担率と呼びたいと言っていました。
昨年の統一地方選の頃、ある政党が五公五民キャンペーンを張って、メディアもそうだそうだと言っていたわけですけれども、あのときに使われた資料は財務省が作成している国民負担率です。
 今回も同じ財務省資料にある実質的な負担として社会保障負担率を明確に定義して議論をしているわけですけれども、メディアのほとんどは国民負担率は分かるのに、今回は意味が分からないと言う。あっちが分かるならこっちも分かれと私は言いたくもなる。本当に世の中には意味が分からないことが多いわけですが、ちなみに国民負担率も社会保障負担率もコロナ明けには下がっています。
 私は昔から共産主義は国民負担率100%になるような社会と話していたわけですけれども、先ほど話した社会保障連帯率の言葉に驚いて、私は負担率と呼びたいと言っていた人の政党は、本当は連帯を説いてくれていいはずの共産党でした。世の中は本当に不思議なことがあるなと思っております。
 以上です。

第17回会議(2024年3月21日)

○権丈構成員 2年前の2022年3月に立憲民主党の政務調査会から社会保険の財源調達ルールを用いた子育て支援連帯基金の話を聞きたいという連絡が来て出かけて話しました。
あのときは社会保障調査会と経済産業政策調査会合同会議とかという何か仰々しい名前だったのですけれども、そこで話をすると、それはとてもよいアイデアだと、立憲民主党から出したいくらいだという人もいて大いに盛り上がったのですね。
その4か月後の7月に参院選が行われて、彼らは議席を幾つも失って、立憲民主党では8月に長妻政調会長と岡田幹事長が生まれ、今に至っています。これが何を意味するのかというのは分かる人には分かると思います。
加えて、子ども・子育て財源はどのような仕組みで調達するかを議論していた昨年、熱心に支援金の考え方とか理念などを聞きに来ていた官邸周りの政治部記者はみんな異動して今や誰もいません。
支援金に関して、国会やメディアで500円の負担だ何だという全然分かっていないものになるのはもう仕方ないです。今、構築会議やこども家庭庁の人たちが国民に理解してもらおうと思って毎日説明している支援金のマーケティング環境がおかしくなっているのであって、制度が悪いわけではない。
その仕組みそのものは立憲民主党の人が自分の党から出したかったと言っていたもの、あるいは1年前に多くのメディアが理念、考え方の記事を書いて応援してくれていたものと同じものですので、自信を持って法案の成立に努めてもらいたいと思っています。
2021年の骨太の方針に、「安定的な財源の確保に当たっては企業を含め社会経済の参加者全員が連帯し、公平な立場で広く負担していく新たな枠組みについても検討する」と書かれていました。でも、その前にも財政審の建議には、「賦課方式を取る我が国の社会保険制度の持続性の確保や将来の給付水準の向上につながるものであることを踏まえると、医療保険制度を含め、保険料財源による少子化対策への拠出を拡充するという考え方がある」ということが挙げられていました。
先ほど菊池委員がおっしゃっていたように被保険者に直接、間接のメリットがあるというのはもうどうしようもない事実であって、これはやはりこの考え方のベースにあると思います。 こうした理念はすばらしいと思うのですけれども、企業を含め社会経済の参加者全員が連帯して協力するツールというのは社会保険、特に医療保険しかないですね。
ということで、医療保険の財源調達ツールを使った支援金制度の最大の山場というのは、経済界の協力を得ることができるかどうかということであったと思います。 2022年2月に子育て支援連帯基金の話を自民党の財政健全化推進本部で話をしましたらば、ある政治家から電話がかかってきて、先生は経済界にも財源調達に協力してもらいたいということですねというので、はいと言うと、私もその考えに支持しますという連絡が来て、こども未来戦略会議で会ったときには、あのときはお世話になりましたと言って挨拶をもらったのですけれども、皆さんのたゆまぬ努力のおかげで経済界は労使折半の使用者負担分を引き受けてくれるということになっています。
そうなると、次の山場は後期高齢者に8%ほど協力してもらうということになるわけですけれども、これは日本の社会保障の歴史の中で画期的なことだと思っています。後期高齢者に子ども・子育て支援に協力してもらうためには、高齢者をある程度利他的な存在と前提して、世の中は連帯、助け合い、分かち合いで成り立っているという理念を説いていく必要がありますし、年金、医療、介護の制度もそうなのですよということを国民に分かってもらうという作業をやっていかなければなりません。
支援金という制度はまさにその説得の作業が不可欠になることも私は意義があると思っておりまして、今日の資料1の36ページのほうの「おわりに」の3つ目のところに「本戦略に基づく制度や施策の内容、意義、目指す姿を国民一人一人に分かりやすいメッセージで伝えるとともに、社会全体でこども・子育て世帯を応援するという気運を高め、社会の意識改革を進めていく国民運動を、経済界や地方自治体など幅広い関係者の参画と協力を得ながら展開する」という文章がどういう経緯で入ったか知らないのですけれども、私はこれこそが今、支援金制度というものを使っているがための意義のあることだと思っております。
これまで私は、この制度ができれば、これまでも本にも書いたり、話をしたりしているのですけれども、「連帯を通じて個人、地域、社会につながりがあり、子育て費用を社会全体で負担していくという意識を涵養できる」と言ってきたわけですが、涵養できると言っているというのは、今はないということですね。これをつくらないといけないというのが社会保障をずっと眺めてきた私の本当に願っているところでありまして、まさに今、この制度をつくろうと頑張っている人たちは、この国の人たちに世の中は助け合いなのだ、連帯、分かち合いの仕組みとして成り立っていることを説いているわけですね。
ところが、支援金に反対している人たちからは連帯とか助け合いとか分かち合いという言葉は全然出てきません。これはどういう社会が望ましいと考えるのかの理念の問題であって、理念が違うのであれば党派に分かれて政治アリーナで闘えばいいということを私は考えております。
だから、今、なかなかよい民主主義の政策形成プロセスを我々が経験していると思っていて、この良いプロセスこの社会保険ツールを使うがゆえの支援金制度であるがために生まれてきているものだと思っております。
先ほど3時から4時まで自民党の財政健全化推進本部で話していて、その辺の話で質問が出たので言ったのは、今、本当にいい動きがあるわけだから、今、この国で必要なのは、この制度の重要性とかを理解した政治家の演説力が大切なのだと。国民の心を震わせるようなスピーチが求められているのであって、この局面では打って出てほしいという話をしております。みんな頑張ってねという、もう60を超えると何でも言えるのですけれども、政治家の人たちにみんな頑張ってねということで帰ってきました。どうもありがとうございました。

第16回会議(2024年11月30日)

○権丈構成員 まず、総論ですけれども、経済成長というのは物欲と金銭欲の葛藤の中で物欲が勝るときに起こるのです。消費がある程度飽和している今のような時代においては、社会保障というのは、将来不安を緩和して、金銭欲を抑えます。年金破綻とかいうのは本当に大罪です。 消費が飽和していない人や領域に所得を再分配してするわけですから、消費の底上げの効果があります。したがって、社会保障は今の時代は経済政策として機能します。ミクロ的に生活問題を解決するだけでなくて、マクロ的にも安心、平等の確保というのを本当に成長に資する政策だという話はもっと表に出してもらえればと思っています。 次に、働き方に中立的な社会保障制度についてですが、年収の壁には2種類あります。働く人たちに見える壁と見えない壁があります。働く人たちに見える壁については、世の中でよく議論されていますけれども、あれは10月にこの会議で紹介した公的年金シミュレ10 ーターの使用を適用拡大時に企業に義務づければほとんど解決します。そして、総理が政調会長のときにまとめて公約にもされた勤労者皆保険というドイツのミニジョブにも似た制度というのは見えない壁への政策です。そういう意味では、年収の壁、つまり見えない壁への対策として制度改正を行うという約束事は、時間軸の中でも早い段階に取りかかるべきことだと思っています。 ここで時間軸という話をしておきますと、この言葉は医療・介護の提供体制の改革に年金方式、つまり時間をかけて行う手法を適用しようという意味でここで使われてきて、時間軸を入れて来年、再来年の話ではないよということで、これまでできなかったことを今度こそやろうという意味でこの会議で使われてきました。だから、時間軸上の短期ならばまだしも、中期的な優先順位というのは物事の重要性に沿って並べるべきですが、関係団体との折衝を若いときからやってきた医政局とか年金局の人が関わると、長年の負け癖がついているからか、物事の重要性とか正しさから離れて、実行可能性の順に並べられることがあります。この会議に参加されて議論を聞かれている方々、事務局の人たちはそういうことはないと思うのですけれども、工程表をつくる際にはこの辺りはよく注意しておいてもらいたいと思います。 次に医療と介護ですが、12月の報告書にはかかりつけ医機能について「地域医療連携推進法人の活用も考えられる」と書かれています。ここは再度強調しておく必要があるかと思います。これから先、あそこが鍵になっていきます。 また、今日の資料1「これまでの主な意見」には生産性という言葉が多く出てきます。生産性には物的生産性と付加価値生産性があって、今では議論は付加価値生産性で行われます。ところが、この資料の中の生産性の多くは付加価値生産性でもない。この言葉は慎重に使っておかないと、関係者の都合がいいように使われることになるので、工程表を作る際には気をつけておいてください。可能な限り、業務の効率化とか機械化、資本への代替、我々専門の世界では、資本深化、資本装備率の引上げとかいう言葉を使うのですが、せめて業務の効率化とか機械化くらいには置き換えておいたほうがいいと思います。 この資料1には人手不足とか労働不足という言葉も出てきますけれども、1990年代に看護師不足で世の中は大騒ぎでした。要は1985年の第1次医療法改正後の駆け込み増床に見合った看護師がいないということだったんですね。不足という言葉は、供給サイドの現状を是と前提とした議論になるように仕組まれた場合が多いです。ですから、女性の就業率はほぼ上限に達して、前期高齢者の数も減少し始めたので、今までの弛緩した労働市場が逼迫し始めていて、今、労働条件が向上し始めています。これを労働力希少社会の到来と呼んでいるのですけれども、労働力不足と呼ぶと政策の方向性が変わってきます。 私は、市場のディストリビューション、分配がゆがんでいるため、政策介入、再分配の重要性は説いていますが、労働力とかいうような生産要素をどの領域にアロケーション、配分するかに関しては、アダム・スミスの教えに従って、生産要素を有効に使うことができる人に配分すべきだと思っています。したがって、リソース・アロケーション、資源配11 分は市場が得意としているところですので、これは市場の規律に任せようと。 ところが、労働力不足という言葉を使うと、何か困っている生産者を救わなければならない流れになって、その結果、おかしな補助金制度が生まれることになるわけです。レントシーキングというのはこの辺りから始まってきますので、気をつけておいたほうがいいと思います。 加えて、2013年の国民会議の報告書のときから、ニーズと需要の使い分けを明確に行ってきています。国民会議の報告書には、「高齢化の進展によりさらに変化する医療ニーズと医療提供体制のミスマッチを解消することができれば、同じ負担の水準であっても、現在の医療とは異なる質の高いサービスを効率的に提供できることになる」という文章があります。医療ニーズと提供体制の間にミスマッチがあるから提供体制の改革が必要になるわけです。医療費の8~9割近くが社会保険料と税から成る公共政策の下、税・社会保険料を払っている人たちの医療ニーズという正義を代弁しているから、医師ではない皆さんが、医療費の抑制とは違う観点から、病院は自分の私的なものだという皆保険以前の意識が残っている提供者たちの拮抗力になり得るわけです。 先ほどの労働力不足という言葉と同じ問題ですけれども、供給サイドの言い分の是非というのは、社会的な観点から見たニーズに即して判断すべきことです。2013年国民会議からずっとそうしてきましたので、今回の工程表でもよろしくお願いしたいということ。 それと、医療のところでDXが多く書かれていますが、構築会議の昨年の中間整理から「社会保障全般のDXを進める」べきとあり、12月の報告書ではプッシュ型による現金給付や個別サービスの提供を行うことができる環境を整備していくことが書かれています。とにかくこの国は、生存権を保障すべき国が国民の生活状態を把握できないという他国と比べて圧倒的に劣った状況にあります。社会保障のDXが進めば、勤労者皆保険をはじめ働き方に中立的な社会保障制度の構築も容易になりますので、医療に限らずぜひとも権利としての給付が公平、迅速、かつ効率的、これは昨年の報告書に書かれているのですけれども、そういうふうに行われるための国民の義務が当然視される「権利と義務の均衡」が取れた社会保障のインフラ整備を進めてもらいたいと思います。 最後に支援金についてです。大体この話は初めから社会保険料の上乗せとか医療保険料の上乗せという話は誰もしていません。医療保険料として集めたお金をほかに流用していいはずがないです。昔から記者たちに私は、そう誤解をされるおそれがあるので保険料の上乗せと言うな、ばかかおまえらということをずっと言ってきたわけですけれども、この制度の成立を妨害したい人たちが、医療保険料の上乗せと繰り返し読んで世の中に保険料の流用をイメージさせようとしていますので、事務局の人たちはそうしたフェイクニュースはしっかりとパトロールしておいてもらいたいと思いますので、よろしくお願いします。 以上です。
・・・
○香取構成員 御指名いただいたのでお話しします。 ずっと皆様方のお話を聞いていて、私はもう一度この会議の立ち位置というところに戻りたいと思います。今、土居先生から1ページのところで、こども未来戦略会議に徹底した歳出改革と書いてあるではないかというお話がありました。もちろん書いてありますが、別に社会保障改革は歳出改革だとはどこにも書いていないのです。ここで書いているのは、こども・子育て未来戦略の財源確保の一つとして、歳出改革を全世代型構築の観点からやってくださいと言っているわけで、歳出改革以外の社会保障改革をどうするかということは別にどこにも書いていないですし、さらに言えば「等」がついている。 もっと言ってしまえば、こども未来戦略でどのようなことが書かれているかということと、この全世代型社会保障構築会議がこれからどういう社会保障制度をつくっていくのかということは、ディメンションが違う話だと私は思います。なので、繰り返しになりますが、別に歳出改革が必要ないと言っているわけでもないし、やらなければいけないのですが、それだけを突出的に議論するというのは、この会議のミッションではないと私は考えています。 その話は、社会保障教育の話もちょっと関係するのですが、検討会の座長をお務めの権丈先生がいらっしゃいますが、社会保障教育の検討会というのは、私が厚生労働省の政策23 統括官のときにつくった会議で、この会議は何のためにつくったかというと、社会保障制度というものがなぜ存在しているのか、この国の政治というか統治の仕組みの中になぜ社会保障という制度が組み込まれているのかという、、社会保障の存在意義という基本のところを理解しないと、なぜ負担をしなければいけないのか、なぜこの制度に皆が関わらなければいけないのかということが理解されない。ただ形の上で医療保険だとか年金だとかでやっても分からないので、社会のありようの中にある社会保障というのをきちんと教育の中で教えないといけないということで始めたものなのです。なので、もちろん給付と負担もありますからそれはそれでいいのですが、もっとそれ以前のところが実はすごく大事だと私は思っていて、その意味でこの話はこの会議の立ち位置にも関わる話ではないかと思うので、一言申し上げます。
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○権丈構成員 香取さんがさっきおっしゃったところ、絶対言ってくれるのではないかなと思っていたのですが、20ページの教育のところ、私は香取さんがつくっていた「社会保障の教育推進に関する検討会」とか、あるいは財務省のほうで高校生に使う教材というところも私は関わったりもしていました。もちろん給付と負担の関係というのをやっていきます。それと同時に、社会保障の役割とか、社会保障の機能という言葉を、先ほどの土居委員の発言の前か後ろどっちでもいいのですけれども、加筆してもらえればと思います。
社会保障には生活安定・向上機能、所得再分配機能、経済安定化機能の3つの機能があるよね。どうして社会保障が市場経済の中で必要なのかとかいうような、「社会保障の機能、役割及び給付と負担の関係」とかいう文言を一つ入れてもらうと、なぜみんなが負担して支えている制度が存在するのかというようなところに話がつながります。
僕たちも何回も言っているのは、例えば今日も話したところだと、安心して生活ができ、平等な社会をつくっていくというのは成長にも資するからとかいうような話とかがあるわけですが、そういうことも理解してもらえればと思います。
あと、全体的な話なのですけれども、報告書の中であれが望ましい、これが望ましい、それが望ましい、地域医療構想が望ましい、リフィルが望ましい、医師偏在は改善しなければいけない、データはとか、分配はとか、いろいろあるわけですけれども、社会保障は、やらなければいけないことのリストをつくるのはそんなに難しくないです。でも、できないんです。それが実行できないというところが最大の問題で、だから私はずっと政治経済学という話をしているわけです。
例えば医師偏在の問題というのは、もう2015年から2022年の去年まで医師需給分科会というのが開かれていました。この偏在問題を解決していこうといって、会議で幾ら提案しても報告書になっていくとほとんど何もないような内容になっていくわけです。これを何とかしないと話にならないだろうというのがあります。
リフィルというところがなぜ進まないかというのを、私は大体いろいろなところのインフォメーションとかを持っていますけれども、進まないです。これから掛け声をかけても、進まないです。
2013年のときに何をやったかというと、さあ改革をしよう、方向性を出したよね、けれども、すぐにはなかなか難しいだろうから、先ずはみんなで自発的にやってもらうという仕組みでやってみようと。これができなかったら、次のステップに入るよねという覚悟を持ってみんなやっていたはずです。
できなかったというのであれば、手段が替わるというのは、私は当然のことだと思ってます。 賃金のデータを出しましょうと言ったらば、その会議の中で賃金のデータをなぜ出さなければいけない、そんなものはない、我々は共産主義ではないのだとかいうようなことが議事録で残っているようなものがいっぱいあって、結局出せないとかいうようなことが繰り返し起こって分析もできない。かかりつけ医のところも、私も香取さんも手挙げ方式でやっていこうと言うと、手を挙げない人たちが反対していく。
今の政策形成プロセスでは、それはある面仕方がない。 こういうプロセスを何とかしていく必要があるので、なぜこの10年間目標を掲げてできなかったのかというデータの可視化も大事だけれども、政策形成過程の可視化も大事だという資料「データによる見える化と同様に重要な、政策形成過程の可視化」を去年第10回構築会議に出したわけですが、そういうのに政治の方々みんなが関わっていきながらやっていく必要があると思いますし、私は、昔できなかったことができる環境に徐々になってきていると思うので、そういう意味で時間軸をしっかりと考えて、昔できなかったことを今度こそやるぞというところでやっていきましょうというエール、掛け声をかけてきたわけですので、ぜひ、かつてできなかったことがなぜできるようになってきているのかを含めて、政策形成過程というような、なぜできなかったのか、リフィルがなぜ進まないのかとかいうようなことはしっかりと分析する、あるいは検討していく、できなかった理由を考える、反省するというような文言も何か欲しいところがあります。以上です。

第15回会議(2023年10月31日)

○権丈構成員 (欠席の)香取委員の資料に、連合が目指す年金の姿は民主党が事実上放棄した一元化年金制度の図と基本的に同じというのがあります。
香取構成員提出資料(PDF/501KB)
確かにこの案に関しては、2013年の社会保障制度改革国民会議のとき以降議論していません。
日本労働組合総連合会提出資料(PDF/993KB) 2頁「連合が目指すべき姿――年金」
それは意味がないからです。
香取委員と私は同じ認識でして、例えば2011年の6月かな。要するに、民主党自身が彼らの年金改革案はどんなことになるのだろうかということを年金局に試算させていますね。それで、当時の民主党の幹部たちは、こんなものは表に出すものではないだろうということで、その試算を隠すというか、表に出さないというようなこととかのプロセスを経て、今、この案というのは静かになっているというのがありますので、2009年ぐらいからこの案がどのような運命をたどっていったのかというのは、もう一度歴史を検証されていった10 ほうがいいかとおもいます。そうすれば、佐保さんとは年金部会でも一緒なのですけれども、年金部会で建設的な議論ができるのではないかと思っております。 以上です。
○清家座長 佐保局長、何かございますか。
○権丈構成員 今、6月と言ったけれども、2011年の5月ですね。5月24日に民主党の隠蔽された年金改革案がリークされたりしていますね。そこで大騒ぎになるわけですけれども、ぜひその辺りも確認しておいてください。
○日本労働組合総連合会 権丈先生、御意見どうもありがとうございます。 私どものほうも御意見をアドバイスと受け止めさせていただきまして、しっかりそのときの内容等を改めて確認していきたいと考えております。ありがとうございました。

第14回会議(2023年10月4日)

○権丈構成員 今、新しい再分配制度をつくり始めようとしているわけですけれども、再分配制度には安定財源の確保が必要になります。なぜ必要なのかというと、景気や政治の変動という不確定要因がある下でも安定した給付を得るためです。
経済が順調だと、成長による果実を有効に活用すればよいではないかとの声が上がります。景気が悪いと、経済の足を引っ張るのかという声が必ず起こります。第三者の立場から見れば、成長の果実というのは、歳出に変動が生じてもさほど問題が起こらない他の分野に譲って、給付の安定性を要する新しい再分配制度をつくるのは成長の力が強い今が好機かと思っています。 先々週の年金部会で、ほとんどの専門家は106万円のどこが壁なのかというような感じでした。あの日、私は就業調整をしようと考えている人には公的年金シミュレーターの使用を企業に義務づけるという話をしていました。
皆さん、スマートフォンを今持ち出したら、公的年金シミュレーターというのを検索してほしいのですけれども、それを検索しながら、開きながらで私の話を続けていっていいのですけれども、そのシミュレーターを使っていくと、賃金が高く、長く働くほど将来終身で受け取る年金が増えることが棒グラフで分かります。
年収の壁の話とかは本当に誤解が多い。誤解ばかりなのですけれども、そもそも3号の制度はお得で不公平だという話がありますが、本当にそうなのかと。 厚生年金には3号分割というのがありまして、離婚する際には、離婚の理由を問うこともなく、問答無用で夫の厚生年金の半分を3号だった奥さんが持っていきます。これは私は良い制度だと思っているのですけれども、離婚しなくても、奥さんは基礎年金しか持っておらず、老後は夫の年金頼みです。 世の男性陣は3号制度をお得だと思っている節があるのですけれども、制度を正確に理解すれば、3号の保険料は夫が払っていると言うこともできます。 こういう話をすると、世の男性たちは自分の人生を後悔し始めるのですが、これは大いに後悔していい話です。
大体配偶者を安い労働力のままでいさせたいという層がこの国に物すごく多くいたというのは、誤った情報を信じ込まされた一種の催眠状態に近い状態だったと言えます。 ですから、この構築会議の報告書では、昨年、いわゆる就業調整に関しては「広報、啓発活動」を展開するとしか書かれていませんでしたし、私はこの集団催眠の状態を解くためにはこの活動が最も重要だと思いますので、同時に皆さんこの公的年金シミュレーターをやってもらいたいと思います。
130万円のところには、確かにそれ以上は働き損になるという領域はあります。しかし、多くの会社では30時間以上働くと厚生年金に入ることができ、働き損ではなくなります。ただ、非適用業種で働くような人たちは何時間働いても被用者保険に入ることができません。この種の問題を視野に入れなければ勤労者皆保険は実現できません。
勤労者皆保険については、総理が政調会長だったときの「人生100年時代戦略本部」の取りまとめに、「所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも、事業主負担は維持すること等で、企業が事業主負担を回避するために生じる「見えない壁」を壊しつつ、社会保険の中で助け合いを強化する」のが勤労者介護保険とまとめられています。
この形は社会保険発祥の地のドイツのミニジョブというのを日本に応用した形になるわけですけれども、この制度はマルチワークとか副業社会に対応できると同時に、香取さんもおっしゃっていた格差、貧困も緩和するためにぜひやり遂げてもらいたい改革で、勤労者皆保険の実現を私は心より応援していきたいと思っています。 一昨日の戦略会議で再分配政策の話が出てきて、そういうことを話していいのかというのがありますので、話をさせてもらいますと、全国市長会のほうから東京一極集中を問題視する発言がありました。
社会保障134兆円の給付側面を見ると、この再分配制度は関東とか東海地方から地方に対して物すごい額を再分配しています。私はこうした社会保障の役割を、中村哲先生がアフガニスタンに灌漑施設を作ったことによって砂漠を青々とした緑に変えた話に例えて、灌漑施設としての社会保障と言ってきました。高齢者は経済の宝だぞ、地方に高齢者を誘致して地方創生をしようと言い続けてきたのは、再分配政策というのは、東京一極集中の流れを緩和して地方を豊かにするからです。
付け加えますと、再分配制度を評価するためには、家計への給付は現金のみならず、保育、医療、介護などの現物給付も現金化してカウントした再分配所得で評価する必要があります。「所得再分配調査」というのはそれをやっています。その観点から見ると、社会保障そのものは確かにニーズに見合うように効率化を図る課題はあるわけですけれども、若い人たちの可処分所得を増やすために税や社会保険料を増やすことが絶対悪のような議論というのは、何だか一方的過ぎて不思議に見えるわけです。再分配制度がなくなると可処分所得は増えますからね。社会保障を全部なくすと可処分所得は増えます。
この構築会議の昨年末の報告書には、市場による分配のゆがみを正すのが社会保障であると書かれています。つまり、市場というものは国民の幸せ、個々の家計の幸せと一国全16 体の成長力を極大化するようには所得を分配してくれていないという前提の報告書になっています。国民、家計を、みんなを幸せにし、一国の成長力を高めるために再分配政策をやっていくというのが構築会議の報告書の位置づけです。
ということで、一昨日も話しましたように、再分配政策において負担という言葉が正しいのかどうか、この国の人たちは少し立ちどまって考え直してもいいのではないだろうかと日々思っております。
以上です。どうも。

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