公的年金の財政検証、生産関数そして全要素生産性など
勿凝学問427
財政検証という仕組み
日本の公的年金は、5年に一度、財政検証という健康診断を行っている。律儀な日本らくし、今は、むこう100年先まで見越した試算を行っているわけだが、そうした国は他にはない。
財政検証で行われている試算は、投影projectionであり予測forcastではない。この考えは公的年金を理解する上で、最重要な考え方である。と言っても、その事実を受け入れたくない人たちは、財政検証は投影であるとう事実を無視した年金論を展開し続けていたりはする。どうも、投影projectionとう概念を理解できるかどうかあたりに年金論の分岐点がありそうではある。
それはさておき――年金の投影に使う経済変数について、何をどのように設定しようかと、公開の場で議論するのが、「社会保障審議会年金財政における経済前提に関する専門委員会」である――以下、経済前提専門委員会と呼ぶ。
財政検証は投影projection
第5回経済前提専門員会が開かれた(2023年8月24日)。この日の資料に、次があった。
そこで、次の発言をする。
サプライサイドのモデルにおける全要素生産性
さて。
ここで、吉川洋先生の言葉――「成長会計のモデルというのは、通常はいわゆるサプライサイドのモデルだと理解している」について考えてみよう。
サプライサイイドのモデルは、私の言う右側の経済学の系譜の話である。そうした話は、『ちょっと気になる政策思想』で延々と論じている。そして『もっと気になる社会保障』の第14章「第6回 手にする学問によって答えが変わる」に要約もしている。
次の図は、第1回経済前提専門員会で配付された資料1の23頁である。
コブ・ダグラス型生産関数の左辺に一国全体の総付加価値、右辺に生産要素である労働や資本を置き、それぞれの伸び率をとっている。サプライサイドのモデルは、労働と資本が付加価値を生む原因であると考えている。私流に言うと、こうしたモデルは、人を見たら労働力とみなす(対して私は、本の帯に書いているように、人を見たら消費者に見える)。
そしてこれら労働と資本、2つの生産要素で説明できない誤差の部分に関しては、それを全要素生産性total factor productivityと呼んでいる。この全要素生産性は、常に左辺と右辺が等しくなるように、伸縮自在に変化する変数として定義される。要するに、コブ・ダグラス型生産関数はいつもなりたつ、恒等式ではある。
サプライサイドのモデルとして読む場合は、左辺を結果、右辺を原因と読むことになるが、吉川先生が言うように「需要サイドをどう考えるか」という観点からの考察をやろうとすると、サプライサイドのモデルの中では、あらゆる話が全要素生産性の変化に還元されることになる。つまり、何らかのプロダクトイノベーションが起こり、それが新たな需要を創出して経済規模の拡大=経済成長が起こった――というような話は、サプライサイドのモデルの中では、誤差項として定義されている全要素生産性の中での話になる。
では、経済の「需要サイド」を考えることは間違えているのかというと、そうではなく、需要サイドから経済を考える立場からみれば、経済成長の主因である需要面で起こっていることが組み込まれていないコブ・ダグラス型生産関数の方がおかしいというだけであって、サプライサイドから考えるのが当然だと信じている人から見れば、この生産関数に違和感を抱かないということになる――そういう話だということである。
全要素生産性は、左辺の付加価値の総和を、労働と資本の生産要素で説明した後の残差である。そしてこの全要素生産性は、昔は、80%に近い、けっこう大きな値だった。大きな値だったときから、どうしてそんなに大きいのかということについては原因不明だったわけだが、歴史的には、この全要素生産性が次第に小さくなっていった。小さくなっていったとしても、全要素生産性がどうして小さくなっっていったのかは、未だによく分からないままでいる。
ここでは、上で何度も、コブ・ダグラス型生産関数の左辺は「付加価値」と書いてきた。付加価値は、モノの数量のみならず、価格、値付けの影響も受ける。モノの数量を生産関数の左辺に置いているのならば、いわゆる物的生産性の話をすればよい。しかし生産関数の左辺は付加価値である。となれば、付加価値生産性の話をしなければならなく。話がややこしくなるから、ここでは、『もっと気になる社会保障』第14章『第2回 経済成長と医療、介護の生産性」を紹介しておくにとどめておく。
全要素生産性はコントローラブルなものなのか
話をもどして、全要素生産性に関する考え方について触れておこう。次は、『ちょっと気になる政策思想 第2版』33頁からである
成長はコントローラブルなものなのだろうか
『もっと気になる社会保障』には、「成長はコントローラブルなものなのだろうか」という知識補給もある。
この先は、『もっと気になる社会保障』の340頁からをご笑覧あれ。
上述の文章にあるスウェーデンの経済政策のあり方あたりについては、次のnoteもある。
レントシーキング社会における低い生産性|kenjoh (note.com)
秦の始皇帝に具申した徐福とは
最後に、徐福という人物を紹介しておこう。
『ちょっと気になる政策思想 第2版』274頁より
成長は七難隠すと思うし、かのウィンストン・チャーチルは「成長はすべての矛盾を覆い隠す」とも言っていて、そのとおりだと思う。だから、日夜、政治面での「七難」や「すべての矛盾」を隠すために、世界中で、成長戦略が論じられていることはわかる。それはそれでいいのだが、公的年金の財政検証の経済前提でサプライサイドの経済モデルを用いているのは、他にないから便宜上使っているだけの話であることは理解しておいていいとは思う。
一国の付加価値の総額、すなわちGDPはなぜ成長したり停滞するのかということについては経済学の中では明らかになっておらず、未だに(おそらく永遠に)論争的なテーマであるということを知っておくことは、現代の徐福たちに対する免疫として作用するはずである。
追記:内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」について
あの日の経済前提専門会議では、内閣府により「中長期の経済財政に関する試算」の説明があった。そこで次の質問を・・・。