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岡本よりたかさんがシャンティクティを訪れてくれました

無肥料栽培で有名な岡本よりたかさんがシャンティクティを訪れてくれました
夢見る農学校のテイピマンダラガーデンをご案内してコメントを戴きました
シャンティクティの朝の案内ツアーです
寒い朝でしたが日差しが出て 北アルプスも顔を出した朝でした
岡本さんから著書すべてと 夜のシェアー会の講演料 中味も見ずにドネイションして戴きました
岡本さんとのシェアー会はポトラック1品持ち寄りパーティ
テーマもなく 時間も流れで 私は場の提供 ベースの食事を用意することだけでした
食事の用意も仲間たちがやってくれました
参加費はドネイションでした
ドネイションは成り立つのですか
と皆さん心配してくれますが
上限も下限もありません
少なければ徳を積んだと思えばいいのです
日本円 お金は縁を切ります
お金は血液であり貯めるのでなく流れることが大事です 
そんな意味でお金も大事です
ドネイションは お金のない人でも参加できます 
労働でも物納 出世払いでもかまいません
価値を決めるのは内発的なもので 定価は外発的で 門が閉ざされてしまいます 門は常に空いていて 誰でも出入り可能であるのが望ましい 
安いか高いかではありません 
ここが重要です
学びも内発的なものでないと不登校に繋がります
感謝は内発的なものです

お金の問題を解決しない限り
幸せはやってきません

モモを書いたエンデはそういいます

岡本よりたかさんは
何かに苦しんでいるなら、むしろこの地を訪ねてみると良い
少しのお金を握りしめてシャンティクティを訪れるといいと勧めてくれました

分ける時代から融合する時代です
分かち合う 
完成の時代です
それを伝えるのは日本人の役割です
日本には素晴らしい文化があります
茶道 禅 合気道
効率でなく 所作振る舞いに無駄のない 敵を作らない世界です

日本は大和
大きく和する国です
象徴は富士山です
ふたつにあらず 不二
なのです

梵我一如
一つなのです

ジョンレノンはうたいます
国がない
あなたと私の分別がない
一つだということを想像してごらんと
夢かもしれない
でもその夢を見ている仲間がいる
君も仲間になって一つになろう

平和な世界です

陰陽2匹の鳩が
神である太陽に向かって
飛んでいきます
次元が違うので
行き着くことができません
そこでオリーブをくわえて
帰ってきます
あなたにとって
オリーブはなんですか

それは希望であり
ビジョンかもしれません

たくさんの刺激をくれた
岡本よりたかさん 参加された皆さんに感謝です 
有り難いです

朝のツアーの様子です
是非アクセス下さい

詳しいレポートは下記です

岡本よりたかさんwrite
「雨のち曇り、晴れのち雨」

https://www.facebook.com/share/p/FWtCdSxxDkRyapo7/

どんな死に方をしたいかという選択肢を無くしてはいけないと思う。

臼井 健二さんのシャンティクティの自然に囲まれた素敵な畑を見ていて、ふと思い出したことがあった。

僕が最初に会った自然農に勤しむ老人、篠爺は80歳を超えていたと思う。

40歳を超えて自然農を目指した僕は、彼の家のドアを恐る恐る叩いた。

老人は、いかにも迷惑そうな顔で僕を迎え入れたが、椅子に座るなり僕にこう問いただした。

「お前はどんな死に方をしたい?」

あまりにも唐突だった。面食らった僕は答えを喉元から放り出すことができなかった。そして、それっきりその話は進まなかった。

何度かその老人の家を訪れたが、僕に自然農を教えてくれることはなかった。

そもそも、老人は自分の農が自然農だという認識もなく、当時有名だった福岡正信氏のことも全く知らなかった。何度か話題を振ったが全く興味を持たなかった。

その老人から教わったのは、ただひたすら寝ることだった。醤油や米糀や保存食を作っては、暇さえあれば寝ていた。

今思えば、「寝て暮らすための自然農なんだよ」と言っていた福岡正信氏の暮らしを、見事に体現している人だったのである。

それから、10数年して、すっかりその老人のことは忘れてしまったが、風の便りでその老人が亡くなったのを知った。

僕は再び彼の家を訪ねた。その家はすっかり朽ち始めていたが、玄関には連絡先のメモが貼ってあった。

その連絡先に電話すると、一人の老婆が消えかかるような声で応答した。

事情を話すと、老婆は僕にこう言った。

「縁側の椅子に座ったまま天国に旅立ちました。収穫籠には野菜があったので、農作業の後だったんでしょうね…」

そう言った電話の声は、涙で滲んでいた。

臼井健二さんの畑は、その篠爺の畑にそっくりだった。デザインも配置も野菜の種類も全く違うのだけど、何故か同じような景色に見えた。

人はどう生まれるかよりも、どう死んでいくかの方が大切である。

どんなに不幸に産まれようが、どんなに幸福に産まれようが、人は産まれる時は泣いている。

そして、その境遇から自らの意思で抜け出し、悩み苦しみ、そしてある時生きがいを見つけて命を注ぎ込む。

最後は、どんなに幸福な人生を歩んだとしても、涙に包まれてこの世を去っていく。

つまり、全ての人生は、「雨のち曇り、晴れのち雨」なのである。

僕より10歳ほど歳上と思われる臼井さん。10歳はもう同じ世代と言える年齢差だが、彼はどう死んでいくかをすでに決めているように思う。

僕に足りないものがあるとすれば、おそらくそこなんだろう。死ぬための覚悟が、僕にはまだ無いのである。

とても心を動かされました。臼井さん、ありがとうございました。

シャンティクティ
http://www.ultraman.gr.jp/shantikuthi/ 

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