「ドーナッツ経済」ケイト・ラワース著 第三章、第四章 読書会発表用まとめ
ドーナッツ経済 第3、第4章
第3章
人間性を育む
「合理的経済人」ー陰影ある肖像画から粗雑な漫画へ。
⚫︎アダム・スミスー市場は利己心で成り立つとしながらも、利己心と利他心が複雑な道徳感情を人間に呼び起こすので、人間の行動は予測できない、と考えていた。
⚫︎ジョン・スチュアート・ミルー 人間の描写を削ぎ落とすことで、経済学の最初のカリカチュア画家となる。もっぱら富を欲するのが人間だと。人間の行動を単純化しつつ、科学的に考える道を開いた。
⚫︎ベンサムー 効用概念の体系化。快楽計算(快楽の数値化)。
⚫︎ジェヴォンスー 経済活動を「単一平均個人」に還元し、経済理論の中心に”効用”を据える。「効用逓減の法則」(あるものを消費するごとに、同じものを欲する気持ちは低減する。ただし、欲望自体は尽きない)。
ミルやベンサムの道を推進する。ニュートンの原子の運動法則にも影響を受け、数学的な可能性を経済に見出し、「計算人」なるものを考えた。
こうして、19世紀末には“孤独で、常に効用を計算し、あくなき欲望を持つ“という人間像が出来上がる。
1920年代、フランク・ナイトという人が、ホモ・エコノミクスに「超人」の能力を与えた。のちにミルトン・フリードマンがナイトの正当化を補強し、人間は現実で“あたかも“合理的経済人のように振る舞う、とした。
決定的だったのは、経済学者の多くがこの人間の戯画化(カリカチュア)を模範と見做し始め、現実の人間はこのモデルのように振る舞う「べき」と考え始めたことだった。
※ロバート・フランク
「私たちが人間の性質をどのように考えるかで、実際の人間の性質は決まる」
傍証実験
大学生に「消費者の反応調査」への参加を求めた時と、「市民の反応調査」への参加を求めた時では、前者の時のほうが富、地位、成功という概念に対する執着が強くなった。言葉をひとつ変えるだけで、微妙に、しかし深く、態度や行動は変わる。
「市民と違って、消費者の持つ表現手段は限定されている。消費者は市場の中でしか表現できない」(ジャスティン・ルイス)
「21世紀の人間はどういう自画像を描くか。そのための五つの大きな変更点」
この五つの変更点で、誰を肖像画のモデルに選ぶかー WEIRD(ウィアッド)と呼ばれる「西洋の、教育が普及し、工業化が進み、豊かで、民主的な社会に住むもの」。さしあたり、その社会に暮らす人たちの実像が肖像画に最も近い。
近代の人間は利己心の追求が人間の本来の姿、という仮定をされる。しかし実際の私たちは自分を大事にする一方で、他者も大事にする。取り引きするだけではなく、分け合ったり、与えたりする。ホモサピエンスは地球上でもっとも協力的な種である。
「最後通牒ゲーム」実験ー プロポーザーと、レスポンダー
互いに顔を見合わせない二人に分け合うためのお金をプロポーザーに渡される。
北米のウィアッド、ペルーのマチゲンガ族、インドネシアのラメララ村との比較。
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互酬性の社会的規範はそれぞれの文化の経済構造に応じて異なり、家計、市場、コモンズ、国家のどれが社会に必要なものの提供者として、重視されているかで違ってくる。
ポール・オームロードー 他人の意見や判断や選択や行動がこれほど強く意識されるようになったのは、歴史上、はじめてのこと。
社会的ネットワークの力が、わたしたちの嗜好や購買や行動にいかに強い影響を及ぼしているか。→「見せびらかし消費」―上位1%に入らない人々がますます収入以上の生活をしている。(行動のトリクルダウン)
1900年に都市に住む人の割合は10%くらいだったが、2050年には70%になると予測されている。
ホモサピエンスには明らかに合理的経済人のような正確無比さはない。
政策立案者が人々に行動変化を促すにはリスクに精通したヒューリスティックス(経験則で判断を下すときの、無意識な思考のショートカット)と行動を引き出す軽いつつき(ナッジ)の両方をうまく組み合わせるのがいちばん効果的。
人間中心の価値観を超えて、生命の世界に基づく価値観を知ること。
私たち自身や他の利害関係者のことだけではなく、経済活動の場を与えてくれる生態系全体の利益を考えて行動できるよう、意識を変えていかねばならない。そのような意識転換がとりわけ必要なのが、ウィアドの社会。
それには、私たちが「世界に組み込まれていること」を表現する適切な言葉が見つけられるかどうかにかかっている。例えば、
↪︎イロコイ・オノンタガ族の酋長
「みなさんが資源と呼ぶものを、私たちは親戚と呼びます。親戚関係と考えれば、もっと大切に扱うようになるのではないでしょうか。親戚関係に戻しましょう」
ジャニン・ベニュス 地球は「私たちの家だが、私たちだけの家ではない」
⚫︎市場とマッチー 取り扱いに注意せよ。
深刻なのは、ものによっては価格をつけられると、台なしになるものがある。とくにモラルに基づく関係によって成り立つものに、そういうことが起こりやすい。
お金を介在させると、生命の世界に対するわたしたちの畏敬の念は著しく損なわれてしまうようだ。
さまざまな取り組みー 教育支援から森林保護まで ーの結果に示されているように、公共の領域に金銭的インセンティヴを持ち込むことには危険がつきまとう。
むしろ長期的で根本的な行動の変化を引き出そうとするときは、人々の財布よりも、価値観やアイデンティティとその変化を結びつけるのが最も効果的な方法になる、という。
⚫︎多数の価値観と動機を持つ私たち人類
人間はタコに似ている。(P.184)
第四章 システムに精通する
経済の機械的モデル
すべてはニュートンのリンゴから始まった。
経済学の物理学に対する羨望。
19世紀後半、経済を物理学に負けない立派な科学にしようと考える、ひと握りの数学思想の経済学者が現れた。その経済学者たちは微分を用いることで、経済を一組の公理と方程式で表そうとした。
ジェボンズやワルラスなどの経済学者たちは、振り子の動きが重力の働きで次第に止まるように、市場は価格の働きによって均衡に向かうと唱えた。
ミクロ経済学を学ぶものの第一歩である「需給曲線」。
需給曲線ー 売り手はみんな、利益の最大値を求めていると仮定し、買い手はみんな、効用の最大化を目指していると考える。
ワルラスは需給曲線の分析の対象を一つの商品から、すべての商品に拡大することができると信じ、そこから市場経済全体のモデルを構築しようとした。
↪︎ 1954年、それは「一般均衡理論」として、数値化された。→以来、「現代マクロ経済学」と呼ばれる分野の土台にもなった。
※ 実は均衡をもたらす市場メカニズムの振り子に重大な不具合があることは、伏せられたままにされた。
その結果、一般均衡理論は、20世紀の後半を通じてマクロ経済学の分析を長く支配し続け、最後に2008年の金融崩壊に突き当たることになる。
均衡理論では、金融部門、景気の波、不況について対処することは不可能だった。
(ロバート・ソロー〜サミュエルソンの弟子)
「経済学には潔癖なところがあり、すべてのことを「もし」とか「しかし」を使わず、欲望と合理的思考と均衡できれいに説明し尽くしそうとしたがります。(中略)一般均衡理論は綺麗に整っていて、学習可能で、極めて難解というわけではありませんが、「科学」のように感じられる程度には専門的です。何よりも、実際的な面では、まちがいなく自由放任主義的な助言をします。それがたまたま、1970年代に始まった世の中の政治的な右傾化にぴったり合うものだったのです。」
科学の「単純な問題」(公理化)と、「無秩序な複雑な問題」(統計化や、確率論を使う)の二つの間に、「系統だった複雑な問題」がある。そこに有機的な全体と相互に関係し合う変数が数多く含まれ、そこから現代の「複雑系科学」がある。→生態学や、コンピュータ科学、天候から病気の広がり方まで、さまざまな研究分野に変革が広がっている。いわゆるシステム思考の分野。
システム思考の中核をなすのは、「ストック」、「フロー」、「フィードバックグループ」というシンプルな3つの概念。
システムー 特徴的な行動のパターンを示すような仕方で、互いにつながり合っているもののこと。例えば有機体の細胞、デモの参加者、群れをなす鳥、家族のメンバー、金融ネットワークの銀行など。
そして個々の部分と部分の関係ーストックとフロー、フィードバック、時間のずれによって形成されるものを「創発」という。
ストックとフロー→増えたり減ったりするもののこと。浴槽の中の水、海の中にいる魚、地球上にいる人間、地域社会の信頼、銀行に預けられたお金。
フィードバックグループ ー ストックとフローを結ぶ要素。「自己強化のフィードバック」と、「バランスのフィードバック」の二種類がある。
自己強化型フィードバックが“システムを動かすもの“だとすれば、バランス型フィードバックは“システムの暴走や内部崩壊を防ぐ働き“をする。バランス型フィードバックは現象を抑制したり、相殺したりするので、システムの制御につながることが多い。
複雑さは、自己強化型フィードバックと、バランス型フィードバックの相互作用の産物。
(政治経済学者:オリオット・ガル)「複雑系の理論が教えてくれるのは、世の中の大事件とは、まだ表に表れてはいない時代の趨勢が成熟し、ある一点から噴出したものであるということだ」
ベルリンの壁崩壊、リーマン・ショック、グリーンランドの氷床融解。どれもシステムの中で圧がゆっくり高まり、重大な転換点を迎えたことを示す。
均衡思考が支配的だと、経済政策の立案者たちは経済のダイナミクスのせいで経済が不安定化すると考えなくなる。
(経済学者ハイマン・ミンスキー)
「経済の好調が投機の過熱に変わる傾向があることが、資本主義の根本的な不安定さだ」
私たちが実際に暮らす不均衡の世界ー「自己強化型フィードバック」が強力に働く世界ーでは、富の好循環と貧困の悪循環が生じて、本来は似たもの同士の人びとが、所得分配の分布で両極に分かれてしまう。
自己強化型フィードバックによって産業界に寡占状態が生じうる。
多くの産業では、生産拡大によって単位当たりの生産費用は低下する。その結果、市場は次第に完全競争から遠ざかり、寡占や独占に近づく。
現代のビジネスの風景で、集中化の現象は、食料部門でも、金融派生商品市場でも、メディアからコンピュータ、通信、スーパーマーケットまで、ほかの多くの産業でもみられる。
「モノポリーゲーム」→もとは「地主ゲーム」と呼ばれた。発案者は土地共有の思想の信奉者で、人生ゲームの要素があった。しかし、特許を買い取られた後、モノポリー(独占)ゲームとして発売された。
モノポリーや、シュガースケープシュミレーション(ミニチュアの仮想社会)のはるか昔の2000年前、「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」という考えが聖書に記されている。「マタイの法則」の名で知られる。
「成功を呼ぶ成功」のフィードバックグループを相殺し、弱める方法が見つけられるかどうかが鍵を握る。
気候変動のコンピュータシュミレーション、「C~ROADS」(各国が誓約した温室効果ガスの排出量を入力、大気中の濃度、気温の変化、海面上昇にどう長期的効果が見られるかがわかる)
(環境歴史学者ジャレット・ダイアモンド)
「社会を支えている資源の基盤が壊され始めたとき、もし同時に社会の階層化も進んでいて、少数のエリートが一般の大衆と切り離されていると、その社会は変化に対応する力を著しく欠き、また意思決定の権限を持つそれらのエリートの短期的な利益が、社会の長期的な利益と異なれば、社会は厄介な事態へまっしぐらだ」
1972年 「成長の限界」の研究→世界に先駆けて、世界経済のダイナミックコンピューターモデルを開発した。「ワールド3」の名で知られるコンピューターモデル。
⚫︎スパナを捨て、植木ばさみを持て
機械としての経済に別れを告げ、有機体としての経済を迎え入れよう。
「機械脳から庭園脳へ」
物事は自動的に調節されるものではなく、ものごとは管理しなくては調節できない。
エリック・リューとニック・ハノーアー『民主主義の庭』
経済学の庭師ー経済が発展し、成熟できるよう、育み、間引き、植え替え、接木し、刈り込み、雑草を取り除く。
ドネラ・メドウズ
「レバレッジ・ポイント」
いきなり改革案に着手するのではなく、まずは謙虚に、システムの鼓動に耳を傾けよ。
不振にあえぐ経済でも、死にかけている森林でも、壊れているコミュニティであっても。つまりシステムを観察して、それがどのように動いているかを理解し、これまでの歴史を知ること。どのように,ここへいたったのか?これからどこへ向かおうとしているのか?今も上手く機能している部分はあるか?あればどこか。
「改善しようと手を下す前に、すでにそこにあるものの価値に注意を払うべきだ」
メドウスの効果的システムの三要素ー健全なヒエラルキー、自己組織化、回復力。
健全なヒエラルキー ー下位システムが上位システムのために利用されるということ。
肝細胞と肝臓の関係、経済では金融部門が生産的な経済に利用され、生産的な経済が生活に利用されるようなこと。
自己組織化ー システムが自ら構造をより複雑にできる能力。例えば細胞分裂、社会運動の広がり、都市の拡大など。市場、コモンズ、家計でも起こる。これらはそれぞれ効果的に自己組織化して、人々の要望やニーズを満たしている。
回復力ーストレスに耐えたり、ストレスから立ち直ったりするシステムの能力。経済構造に多様性と余剰を持たせることで、経済の回復力は強まり、ショックや苦境に効果的に対応できる。
●倫理を持つ
21世紀の経済学者が心に留めるべき倫理原則を4つ提唱。
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