NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・3)
訪問の出会いと別れについて
杉本:訪問についてお聞きします。訪問に行って、スタッフ利用者が会う。そうしたらそこは2人のテリトリーになるみたいな話を以前におっしゃっていましたよね。あと「相手のことをよく見る」ともおっしゃっていたかな。だから、乱暴な出会い方をするボランティアの人はいないと思うし、かつ20年来やってきて、アクシデントやクレームみたいなことも相馬さんが最初に行った訪問ひとつだけという話で。ボランティアの人もみんなしっかりしている感じがあるから、基本2人の関係を1年、あるいはもっと長くでしたか?
相馬:ん?
杉本:質問の仕方が下手でしたね。たとえば訪問に関してはボランティアの人が多いんですよね?
相馬:いや、今はそうでもないですね。半々くらいかな。
杉本:週に何件くらい訪問してるんですか。
相馬:月一回の人もいるから。週にならすと14~15件くらいですかね。
杉本:けっこうな数ですよね。ボランティアの人は何人くらい?
相馬:実働だと4人くらいかな。
杉本:そのうち学生さんは何人くらいですか。
相馬:今は1人ですね。
杉本:ぼくが気になったのは、卒業があるじゃないですか。ですから何年生くらいから始めて、お別れがどれくらいなのか。会って関係づけができた頃に別れちゃって、でも訪問を受けていた側の人はまだ訪問を続けたいみたいなケースで、ボランティアの人が卒業しちゃってもう行けないという時、引き継ぎの問題とかはどうなるのかなあと思ったんです。
相馬:その時は、人が変わってもいいなら続けます。嫌だというのであればそこでおしまいです。
杉本:うーん。可哀想っぽいですね。
相馬:そうですか?
杉本:そこでさようならをできる子はいいでしょうけど。
相馬:そこは本人に聞いてみないとわからないけれど。でも週にいっぺん1時間来ていた人が来なくなったからってなんなんだという気もしますよ。
杉本:ははははは(笑)。だってお金もらって行ってるんでしょう?
相馬:そうですけど、特に何をするでもなくいた人が来なくなって、まあ毎週観ていたテレビ番組が終わっちゃったくらいな(笑)。ちょっとは寂しさはあるかもしれないけれど。どうなんでしょうね。
杉本:(笑)いやー、相当期待していたらどうなんだろうね。
相馬:相当期待してたら、次の人を頼むということになると思います。
杉本:でも、その人が全然タイプが違うとなったらどうでしょう。
相馬:どうなんでしょうね。
杉本:だって嫌じゃない? 仲が良かったお兄さんが来なくなって、新たにきたお兄さんが全然性格が違うんだけど、みたいな。
相馬:いまのところ、そういう理由で終わったことはないですね。
杉本:引き継がれたケースは?
相馬:引き継ぎはあります。
杉本:結構ありますか?
相馬:結構というほどではないけれど、最初の話に戻ると、大学生が中学生のところに訪問に行ったとします。大学生だから2年間とか、どうしても区切りがある。でも、中学生も2年くらいで卒業するんですよ。そこはわりとリズムが合うんです。
杉本:なるほど。
相馬:そうじゃないこともありますけどね。大学生が大学院に行ってそのあとも訪問が続いたとか。就職したけど、その後も訪問続けたみたいなケースもあります。あとは社会人。働きながらボランティアしているというケースもある。
杉本:へえー
相馬:どこまでできるかは子どもとスタッフの打ち合わせ次第です。無理な時はどうしても無理で、本州行っちゃうとかになるとね。逆に、子どもが途中でもう要りませんということもあります。学校が忙しくなってきたのでもういいですということもあるし。
杉本:そこは自然ですよね。
相馬:それでいうと全部自然だと思うんですけどね。
杉本:そうか。子どもが「もう1人でやれそうなのでいいです」というのが格別、理想だと考えているわけではないんですね。
相馬:そうですね。
杉本:面白いなあ。
相馬:だって、終わりどきなんて想像してもしょうがないじゃないですか。
杉本:いちいち面白い。成果発表にならない話がすごく多いんだなと思って。そこが聞いていて、ごめんなさい。拍子抜けするような感じもします(笑)
相馬:「本当はもっと会いたかったな」ということはあるかもしれないですよね。だったとして、じゃあその2人が終わりに向けて気持ちを整理することだって、それはそれでいいじゃないですか。
杉本:ああ。それはいいワークだと思いますね。別れる準備をするのは。
相馬:だから続こうが終わろうが同じなんですよ。
杉本:うーん。そう考えると可能性無限大ですね。終わってもいいし、終わらなくてもいい。
相馬:関係の意味を決めるのはこちらではないので。ある特定の人との関係は終わらざるを得ないということはあるけれど、でも人生そんなもんじゃないですか。別に運命の出会いを演出しているわけではないし、それをプロデュースしているわけでもない。この人とこの人を合わせたいというのではないんです。ちょっと乱暴な言い方だけど、「代えのきく人」でいい。個人と個人が会っているだけだから。相手が代わったってそれ以外の自分の状況は変わらないでしょう。誰でもいいんですよ。
杉本:そうか。キャラクター分析みたいなのはいちいちしないですか。
相馬:一応この人は上手く行きやすいかなみたいなことは考えるけれど、でも誰でもいい。キャラクターよりは通いやすさとか、そういうことの方が大事ですね。
杉本:それは物理的な条件ということですか。
相馬:そうです。
杉本:なるほど。気持ちが通りやすいということではなく、物理的に通いやすいと。
相馬:そうです。移動の負担が少ない方がいい。
杉本:ははあ。おもしろいですね。漂流さんのやり方に関して、似たような業界というのかな。若い人たちのためのフリースクールとか居場所系をしている人たちと今のような話をしたことはあります?
相馬:最近はないですね。
杉本:かつてとかは?
相馬:かつてはありました。
杉本:すごくびっくりされたりとかはありませんか?
相馬:いや、されるんじゃないですかね。
杉本:(笑)
相馬:てらいのあるものを出そうと思ってないから。
杉本:何か言いそうでしょう、「かけがえのない時間」とか。あと、「アセスメント」みたいな。
相馬:ねえ。こざかしいですよね。
杉本:こざかしいですかね(笑)。ぼくは大事な気もするんですが。
相馬:大事じゃないとは言えないですね。まあ、大事ですよ。その子がどういう状況にあるのか知っておくのは大事です。お互い危険なことがあったりすると困りますからね。
杉本:うん。そうだと思います。
相馬:一方で乱発されて食傷気味というか。行政の不登校対策なんかでもアセスメント、アセスメント言ってますが、「便利な言葉覚えて楽しようとしてんじゃねえ」と思いますね。実際にその子がどんな子でどんな状況にいるのか、そう簡単にはわからないでしょう。
杉本:表層だけではちょっとわからないですよね。
相馬:話を戻すと、どこに導くとか支援するとかではない。人と人が会うだけ。漂流教室のやっているのはただそれだけのことなんです。
杉本:そうすると気持ちが盛り上がるか盛り上がってないかはどうでもいいんですね?
相馬:そうですね。まあ盛り上がってくれる方が満足度が高いかもなと思いますけど。でも毎回毎回盛り上がらなくちゃとなったら、それは変でしょう?
杉本:まあそうですね。
相馬:盛り上がるなら盛り上がっていいけど、盛り上がらなかったとしても、それでいい。また次がありますし。
杉本:始めた頃から相馬さんはそういう哲学だったんですか?
相馬:わりと最初からそうですね。「大事な人にならなくていい」と初期から言っているので。その人にとってかけがえのない人とか、大事な人とかにならなくていい。それはその子が探すものなので。ポンと出会ってそれが結果的に大事な人になってもいいけれど、目指す必要はないですね。
杉本:やはり相手の人をすごく信頼していますね。
相馬:うーん(長考)。相手の人ってどっちですか。
杉本:ああ、利用者の人です。
相馬:信頼しているかどうかなんて考えたこともなかった。
杉本:けれども、そんな風に(笑)「別に責任感じてないっす」というふうにも聞こえちゃうんですけど。何か微妙なラインの感じがしますね。話を聞くと。
相馬:信頼かあ。どういう意味の信頼でしょうね。
杉本:「人は自然に伸びていくものだ」という信頼かな。
相馬:ああ、なるほど。それはそうですね。
杉本:まあ大丈夫だとハナから思ってるというか。大変そうだけど、いずれ大丈夫みたいな。確かに日誌とか読むとね。そういう印象を受けますけどね。
相馬:そこらあたりはちょっと難しいところで。そう思ってるんですよ。大丈夫と思っているんですが、結局、その見方にも自分の人生が反映されているじゃないですか。俺が思いもしないような状況だったりするかもしれないから、そうそう迂闊に大丈夫とは言えない。でも、一方で迂闊に大丈夫と言った方がいいよねという気持ちもあって。
杉本:だからそれは大枠ですよね。理念的な、まずはそれを持った方がよくって、その上で状況状況によっては気にする。*『家栽の人』という漫画の話にも聞こえるなあ。
相馬:ありましたね、そんな漫画。
杉本:植物を相手にするような感じかな。
相馬:全体と細部と両方ですよね。植物だって、細かいところを見ていかなくちゃというときは、どうしても名前がいるし。
*『家栽の人』 原作:毛利甚八 作画:魚戸おさむ 1988〜1996 ビックコミックオリジナル連載 ビックコミック全15巻