NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(前編・5)
自然なものでありたい
杉本:最近よく聞くオープンダイアローグ。あれってどう思います?
相馬:いや、こざかしいなと思います(笑)
杉本:(笑)
相馬:新しいものは好きなんですよ。何によらず新しいものが入ってくると「お。ちょっとこれは面白そうだな」と注目します。仕事に使えないかなとか、上手いことやってちょっと一儲けできないかしらと思う。当事者研究もそう名乗る前の、「自己探究」とか違う名前でやってましたね。その時に知って、これは面白そうだなと思ったんですよ。でも結局やらない。
杉本:相馬さんたちの中で訪問文化ができたんでしょうね。
相馬:まあそれはそうですね。
杉本:20年プラスだもんね。20年失敗しないで来てるわけだから。
相馬:それもあるし、何というのかな。どこか「自然じゃない」んですよ。それじゃ訪問が自然なのかと言えば、自然じゃないんだけど。
杉本:なるほどね。確かに自然じゃないですよね(笑)。だってボランティアさんなり、相馬さんたちも含めてだけど、会いに行って、場合によったら1時間ただいるだけということもあるでしょう。ただ見ている、お互いに喋らずにいるということもあるでしょう。それは一般論から言えば不自然な状態ですね。
相馬:そう。だから、自分たちがしていることも自然じゃないんだけど、何が違うのかな。何かこう、ね。
杉本:頑張ってくれてるのかな、利用者の人も。
相馬:そりゃそうでしょう。
杉本:(笑)
相馬:そりゃそうですよ。自分の家に知らないヤツが来て、1時間居座って帰るんですよ。ウンザリだ(笑)
杉本:でも、その子だって別に親が強く勧めるから応じているというわけではないでしょう。
相馬:まあ、それもなくはないと思いますけど。
杉本:その子が親の期待に応えたいのもあるのかな。
相馬:うん。でも、そこも含めてどうでもいいと思っています。
杉本:(爆笑)そりゃまたすごいね。
相馬:だってそこはわからないもの。どこまでが親の期待に応えたくて、何割が好奇心で何割がイヤなのかとか。
杉本:すごく正直すぎる、今の一連の話。
相馬:だって実際わかんないですからね。わかんないことを考えても仕方ない。それよりも、どのようなスタートであれ、その後がどうなったかですよ。
杉本:それはそうですね。でもよく途中で打ち切られませんよね。
相馬:打ち切られることもありますよ。
杉本:やはりありますか。
相馬:親のニーズに応えきれてないということで終わることが多いですね。勉強教えないとか。
杉本:元々理念に勉強のことは書いてないんですよね。
相馬:今は書いてないですね。
杉本:で、最初は親御さんですか、利用したいと相談に来るのは。その時は相馬さんたちは言うんでしょう、勉強を教えるわけではないと。
相馬:伝えるんだけど、そうはいっても多少はするんじゃないかって思うようで、まるっきりしないとちょっと……。
杉本:そうするとやっぱり最初の関係づけの時に誤解したまんまで。
相馬:そうですね。それはこちらのミスです。あとはごく稀に本人から断られることもある。
杉本:そこは興味深いですね。
相馬:特に成人の場合ですね。焦っていると待っていられない。この方法でどんな見返りがあるかわからないからもういいと言って終わってしまう。だから、いま緊急で困っている人には向かないですね。悠長に構えられる人でないとちょっと厳しいところがある。そうなると余裕があるところじゃないと使いづらいという問題が出てくる。
杉本:それはぼくの分析との付き合いと少し似ているかな。27歳の時からだからもう30年以上ですね。3~4年で終わると思っていたのに。
相馬:ははは。それを言ったら漂流教室も4~5年でやめようと思っていたから。
杉本:(爆笑)終わらない。そうか、4~5年で終わると思ってたんだ。相馬さん。
相馬:何か違うことをやろうと思っていました。次は移動図書館をやりたいなとか。
杉本:へえー。
相馬:オープンダイアローグの話に戻すと、何らかの目的を持って集まって、その中でルールに従って行動して、という構造化されたやり方が俺にはちょっとピンと来ないんですよね。一方でそれは安心だったり安全だったりの担保になるので、無下にはできないんですが。
杉本:だから意識せずともその要素はどこか入っているんでしょうね。
相馬:そうですね。ただ、それを前面に出すのは変な抵抗がある。新しい手法を見るたび「これ、もしかして、いけるんじゃないか?」と思うんですが、最終的に却下してしまう。
峠の茶屋のように
杉本:「心理的安全性」とかそんな言い方するじゃないですか。会社組織でも、「コミュニケーションを取りあえる心理的安全性を確保して組織の葛藤を防ぐ」みたいなね。そういう点では、すごくわかりにくい話になりますね。
相馬:そうですね。言うなら「峠の茶屋」みたいなイメージです。店の外に縁台があって傘があって。こっちから人が登ってきて、反対からも人が登ってきて。で、たまたま同じ場所でちょっとばかし休んでお茶を飲んで、団子を食ってまた別の方向に分かれるという。それが俺の訪問のイメージですね。たまたま一時、同じ時間を過ごした。で、その後も定期的に山に登って「ああ、また会いましたね」くらいな。
知らない人と同じところに座って、まあ大丈夫だろうとお茶を啜って、でもひょっとしたら……みたいな思いもある。それが顔を合わせてるうちに馴染みになって、でもそれ以上深い関係にもならない。少し休んだらまたお互いの道を行く。で、ある日「今日で仕事辞めるんです」と言われて、じゃあ来週からは会わないんだなって思って。寂しいかもしれないけれど、でも生活が変わるわけではないですよね。
杉本:そうか。通りすがりの感じなんですね。それは何だろう。世間というか、出会い方としては例えば相馬さんはお酒を飲んだりする人だから、飲みの席で出会う人と、「またいらっしゃいましたね」みたいな関係ができるとか、初対面の人でも気持ちよくなって話をするとかで馴染む。そういうイメージがあるのかな。羨ましいなと思うんですけどね。ぼくは飲める人の「飲みニケーション」みたいなのがないので。
相馬:あれはアルコールで強制的にガード下げてるだけですからね(笑)。コミュニケーションなのかどうか怪しいものがありますけど。まあまあ、でもそうですね。「行きずり」ですよ。
杉本:行きずりね。なるほど。行きずりだけど、大人の行きずりというわけではなく、やっぱり難しい問題を抱えている人との行きずりだから、気遣いは必要ですね。
相馬:そうですね。その点、学生スタッフは立場が彼らと似ているので、自然とできていますね。お互いに荷物を抱えて坂を登って大変そうね、という。
杉本:聞いていると、訪問先の人たちってそんなに深刻な感じには思えないようにも聞こえるんですけど。
相馬:それはわからないですね。
杉本:ははは(笑)
相馬:状況的にはなかなかハードだなと思うこともありますけど。でもこっちから見て大変そうだ、深刻そうだなと思っても相手が自分の状況をどう捉えているかはまた別の話ですからね。だから今の質問への答えは、こっちから見て深刻そうに見えると言うことなら、それはあります。
杉本:大丈夫なんですか? それで出会いを継続することは?
相馬:大丈夫じゃないですか。
杉本:そうなんですか。
相馬:むしろ何が大丈夫じゃないんですか?
杉本:いやあ、ちょっと対応するのが難しいくらい深刻なケースもあるのかなと思って。
相馬:なくはないですね。自分たちの手に負えない状況は当然あります。でも、そうなったらもう訪問の範疇じゃないですよね。
杉本:そういう人はいないということですか?
相馬:深刻なケースはよそと組んで自分たちの手に余る部分はそっちに対応してもらいます。
杉本:なるほどね、カウンセリングとかもありますもんね。で、それを受けつつ訪問も応じてくれると。
相馬:そうですね。もうちょっと詳しく言うとその辺はもう逆転していて、すでにどこかにかかっていて、プラスアルファで訪問の依頼が来る方が今は多いです。
杉本:そうなんですね。なるほど。じゃあその心理的な面を深掘りするような部分は他の人が関わっていて、さらに人と会いたいということで利用するケースがあるわけですか。
相馬:深掘りしてほしかったらしますけど。何かの拍子にぽっとヘビーな話が出たりもしますし。でも、それを話すも話さないも向こうの自由じゃないですか。
受け止めきれない話が出た時に
杉本:相馬さんはほぼできると思うんですよ。むしろ学生さんとかですよね。結構なヘビーな話を聞いてしまったときにどう対応するのかなって。まあ、興味があると言ったら怒られますけど。
相馬:ええと。まず訪問の内容は聞きます。重たい話が出たとき、もしかしたらスタッフが受け止めきれない話が出たとき、こちらに相談するだけでもだいぶ負担は減るので。内容によってはちょっと動いて関係機関と連絡を取るみたいなこともあります。ただ、子どもらもなんだかんだで人を見てるから、相手の手に余る話はそんなにしないですよ。
杉本:訪問受ける人はそんなに手に余る話はしないということですか。じゃあ、あんまりディープな感じにはならないということかな?
相馬:うーん。どうなのかな。
杉本:来てくれるお兄さんをすごく信頼しちゃって、「こんなことを考えてしまう」と打ち明ける。で、言われた側が「結構な秘密を聞いてしまった」「親にも言ってないようなことを聞いてしまった」と悩むみたいな。
相馬:ディープというのは何を……?
杉本:まあねえ……。じゃあこうしましょう。訪問に行った学生さんが相馬さんに「いや、ちょっとびっくりしたこと聞いちゃったんですけど。聞いたことに対してアドバイス必要ですかね?」みたいな。「アドバイスほしいと言われたけど、ぼくには難しくて答えにくいんです」とか。ボランティアの人からそういう相談を受けることはありますか。
相馬:それはあります。
杉本:自分では処理できない。あるいは「そんな程度?」みたいなことでも、その人には刺さる話で判断が難しいってことはありますよね。
相馬:そこは入れ子構造になっていて、こういうことで困っているとボランティアスタッフが俺や代表の山田に話しますよね。話しても特段解決策が出てくるわけじゃない。もちろん解決策を出さなきゃいけないこともありますよ。児童相談所に連絡を入れなくちゃいけないみたいなこともあるけど。心的負荷がかかったという話を聞いて、話し終えて、解決策が出たわけじゃないけどちょっとすっきりしましたと言って終わる。その経験はそのままボランティアスタッフと利用者の関係に置き換えられます。
杉本:おそらくその次に行くときのボランティアの人たちの安心材料に、明るい影響にはなりますね。
相馬:話すことで、あるいは話を聞くだけでも多少はどうにかなるんだという経験をボランティアスタッフがしたことで、自分が子どもの話を聞くだけで同じようにどうにかなると思える材料のひとつにはなりますね。
杉本:今ふと思ったんですが、ディープな話をしてくれるというのは、結構信頼関係ができているってことでしょうか?
相馬:いやあ、どうですかね。そこはわからない。内面のことはわからないので何とも言えないですね。秘密のつもりがうっかり言っちゃったということもあるかもしれないし、困らせてやろうと思って言うことだってあるじゃないですか。
杉本:困らしてやろうとねえ。
相馬:そんなケースにあったことは多分ないけれど、「なぜ言ったか」みたいなことをずっと考えてもしょうがないと思います。にわか探偵になって追及を始めるとむしろよくない気がする。
杉本:なるほど。じゃあどうなんでしょうね。物理的な対応をしなくちゃいけないというケースではなく、ちょっと自分自身が知らない世界なので、ふいをつかれてびっくりしました」みたいな話を聞いた時は? 聞いて、まあ「そうなんだ」みたいな感じ?(笑)
相馬:そうですね。それをいうなら、相手だって「うっかり言っちゃって失敗した」と思ってるかもしれないじゃないですか。「そこまで言う気じゃなかったんだよな」とか。だからそこは言った、聞いた内容は大丈夫じゃないかもしれないけど、これまでと違うことが起きたあとも同じように訪問して、腹に一物ある同士でどういう関係をつくろうかというのが大事だと思っています。
杉本:転移とか、逆転移とか、投影とか。心理的な話題にはならないんですね。
相馬:専門家じゃないのにそんな言葉使えませんよ。それに深い関係は求めていないので。すれ違うだけ、行きずりですから。それこそ、峠の茶屋で会う人から「実は子どもを亡くして」みたいな話を突然されることだってあり得るじゃないですか。なにも言えず峠を降りて、家に帰って「こんなことがあって」と家族に話して、布団に入ってからも次はどんな顔をして会おうって悩んで。実際、会ってもちょっと前よりよそよそしいかもしれない。多少身構えたりして。でも、それだって翌週、翌々週と続けて会っているうち、緊張はすこし薄れるんじゃないですか。
聞いた話がなくなるわけじゃないから、お互いの中に「言っちゃった」「聞いちゃった」ってのはあるだろうけど、関係はそこからでも繋いでいける。といって深まるわけでもない。それくらいでいいと思っています。むしろ、「そこで留めておけるか」という心配の方があるかな。留めるにもエネルギーが要りますからね。
杉本:深いところまで聞きたいという欲望が出て来ちゃうかもしれませんしね。
相馬:それは相手の無視じゃないですか。
杉本:相手の人に対する好奇心的な態度ですから、よくないかもしれないですね。
相馬:そうですね。
杉本:淡白な人が一番いいのかな。ボランティアには。
相馬:淡白な方がいいのかな。でもボランティア募集のチラシに「淡白な人求む」ってどうだろう(笑)
杉本:それも面白いかもしれない(笑)
相馬:まあ最初はね、子どもの役に立ちたいと。みんなとは言わないけど、そういう人は多いですよ。
杉本:ぼくもインタビューしてて教育系とか福祉系の学生さんにそういう活動は多いと、教員さんから聞きますよ。
相馬:で、肩透かしを食らって。「果たして何だろうか?」と。「これは何の役に立つのだろうか?」と考えて、そのうち「役に立ってるかわからないけど、まあいいか」ってただの日常になっていく。そういうプロセスを経て変わっていきますね。で、最終的に何だかよくわからない関係だったけど、こういうのがあってもいいかもしれないなと。
杉本:そうか。人生とはわけのわからない人との接点か(笑)。ぼくがひきこもったのも、人と人との関係を特別ロマンチックに捉えちゃって、ヘビーすぎて疲れちゃったのかな。
相馬:それはあるかもしれないですね。
杉本:だってこれだけまわりにたくさん人がいて、まして学校のクラスに40人近くいて、会社だったら10人とかからいてね。一人一人の関係が重要だと思っていたら、とてもじゃないけど出ていけませんね。
相馬:そうですよね。俺はね、他人無視だった時代はまずかったなと思う反面、よかったなとも思っていて。他人の影響を受けずに非常に楽に生きてこられたと思うんですよ。
杉本:そうだと思います。関係ないですからね(笑)。タスクだけやってればいい(笑)
相馬:そう。全然関係ないので、変な圧力を感じずに生きてこられた。そこはよかったと思っています。
杉本:そういう人いますよね。前に対談したときに、相馬さんカッコいいなと言ったのはそこなんです。中学時代とかにいましたからね。勉強もスポーツも万能なんだけど、人のことは本当にかまわない。だけど、何かカッコいいんだよなあという。まわりに自然に人が集まるしね。特別彼がアプローチしなくても。
相馬:全然人は寄ってこないですけどね。スポーツも苦手だし。まあ、漂流教室で、まわりのことを気にしなくてもいい時間をちょっとでもつくれたらいいなあとは思っています。何かに熱中している時ってまわりのことを気にしてないわけですよ。
杉本:本当にね。
相馬:困難を抱えている、悩んでいる、葛藤している状態の時って、葛藤しているものとの距離が取れないんですね。例えば学校に行ってない時に、そのことを忘れて本に没入できるかというとちょっと難しい。自分自身、コロナでワーッとなったときに本が読めなくなったり、眠れなくなったり、ラジオの音が辛くなったりした。コロナから距離を取れなかったんです。そんなときに週にいっぺんでも関係ない人間がやって来たらどうか。
警戒心もあって、とりあえずその人に注目しますよね。自分の部屋に人がやってきて、多少はもてなさなきゃな、とかね。その時間はもしかしたら少し学校のことを忘れているかもしれない。そうやって2人だけのエリアができて、若干でもそれ以外のことを気にしないで済むといいなと思うんですよ。で、そのうちそれが1人でもできるようになったら、きっと訪問も終わる。
杉本:ああー。1人でやれるようになればね。そうか。そのためのちょっとした杖みたいな形を提供する感じですかね。
相馬:世界と繋げに行くんじゃなくて、世界をシャットアウトするために行く。
杉本:そうか。ぼくもひとりぼっちだったけど、世界が俺に関係づいているような感じでしたもの。それは創価学会から逃げた時もそうだったもんな。どこで学会員に出会うかわからない、そんな恐怖だったから。よい意味の過集中もあるけれど、自分の妄想の過集中に留まっている時って、その人間は全然まわりを気にしてないと言えば真逆で、世界は全部自分に関連づいていると思ってるんでね。だから逆に「あなたのこと全然気にしてないけど、来ました」みたいな(笑)
相馬:いろんなしがらみにグルグルになっているときに。「まあまあ、それは置いておいて」と。ちょっとこの間はこの2人だけの状況にしておきましょうという。
杉本:なるほどね、面白いな。そうか、まさに峠の茶屋に出会う2人なんだな。盗賊怖いなと思いながらやっと茶屋まで登ってきて、そしたら向こうからも登ってきて、何かお互いほっとするみたいな。
相馬:やれやれ、みたいな。
杉本:お互い荷物下ろして「何か怖いものいましたか」「今度そっちの方に行くんですけど、危ないところはあります?」「いや、大丈夫ですよ」みたいな。ちょっと距離というか、力関係は違うかもしれませんけれども。