NPO法人 訪問と居場所 漂流教室 理事 相馬契太さん インタビュー(後編・4)
「知らないよ」と言えるためには
相馬:頑丈さでいうとですね、俺は「生きづらさ」とか本当にわかんないんですよ。
杉本:生きづらさねえ。これは変に取りたくはないというか、みんな奮闘して言葉をつくっているんだろうけれども。若者支援の人たちはそれぞれ適切なイメージを惹起する言葉を見つけて共通言語にしたいかもしれませんしね。
相馬:「困り感」とかね。なるほどと思ったりもしたんですよ。なるほどと思うんだけど、やっぱり使えない。
杉本:仏教で言えば、相馬さんは小乗系の人だからしょうがないですね(笑)
相馬:(笑)親はキリスト教ですけどね。
杉本:キリスト教に一番親和性を感じるんですか?
相馬:そうですね。
杉本:あ、そうなんですか。それは意外でした。
相馬:だから基本は自己責任論者なんです。自分で努力すればいいじゃないか。それでうまく行こうが行くまいが自分のせいでしょと。基本方針はそうです。漂流教室もね。うまくいってないのは結局努力が足りないからだと思ってる。ただ、それは自分に関してそうだということで。人に向けてもしょうがない。それぞれみんな状況が違うからね。
根っこの根っこは、それぞれがそれぞれの人生を勝手に生きていきなさいと思っているし、そう言いたいんだけど、それには条件がいるじゃないですか。誰もが自分の人生を謳歌できるようになっていないとそんなこと言えないから、じゃあそういう世の中にしたい。本当はね、「お前のことなんか知らねえ」と言いたいんですよ(笑)。それを言える環境にしたいなあと。
杉本:そうか。努力するんですね。世の中も救済したいでしょう。
相馬:「知ったことか」と安心して言うためには、「知ったことか」と言われた側が困らない状況が必要じゃないですか(笑)
杉本:困る前に怒るのでは?
相馬:それはいいんですよ。その人の気持ちがどうであってもそれはいい。だから環境的に困らないのが前提で、これなら大丈夫、平和に生きていけるという環境が整えば、「知ったことか」と言えるでしょう。その上で相手が怒ったとしてもそれは相手のことなんで。
杉本:これは原稿に記載すべきことの究極かもしれないです。
相馬:そういう動機で始めたワケじゃないですけどね。たまたま始めちゃっただけで。たまたま始めちゃったら、自分の中の「自己責任」や「努力」の部分を発見して、でもそういうのは人には言えないな思ったり、やっぱり、「言いたい」と思ったり。「俺のことは俺でやるから、お前のことはお前でやれ。知ったことか」と言いたいなー、じゃあ、言うにはどうすれば? と、そういうことです。
杉本:甘えは許したくないですか?
相馬:いや、そんなことは全然ないですよ。
杉本:ベタベタつきまとうみたいな。
相馬:つきまとわれたくはないですね。
杉本:ぼくは意外とつきまといたいタイプだから、やばいな。
相馬:それこそ不登校なんて甘えだろうという人もあるじゃないですか。「いや、甘えじゃないよ」と言ってもいいけど、「甘えだったら何が悪い」って話で。いいじゃないですか、甘えたって。甘えを許さない世の中なら特に、甘えさせてくれるものがあった方がいいと思います。なので、甘えが許せないことはないですよ。俺の許容範囲を超えるほどこられると、それはよそにしてくれという気持ちになりますが。で、さっきの距離と権力の問題が出てきて……まあ、それぞれそれなりにやっていれば、いいようになるんじゃないですか。
杉本:なるほどね。だから平等の論理がすごくあって。
相馬:そうですね。
杉本:「村社会」みたいなものも嫌いなのでは?
相馬:そうですね。
杉本:で、かつ、支援界隈では究極、あまり考えすぎない、広げるんだと。まさに「布教だよ」というところもありそうですが(笑)。
相馬:広げようという気持ちは自分たちにもあったんですよ。漂流教室だけじゃ当然足りないから、このやり方をちゃんと広げて。山田なんかは「全国制覇だ」と言ってましたからね。
杉本:全国制覇(笑)
相馬:漂流教室始めた時に「目標は?」と聞かれて「全国制覇です」と答えてましたから。
杉本:夢破れたり、ですね。
相馬:で、これは自分たちが立てたシステムが間違ってるんだと。自分たちだって食うや食わずなんですから、元々の計画がおかしかった。間違ったものは広められないので(笑)。ただシステムはおかしくても、関わり方の中には面白いものがあるんじゃないかと思うので、うまくエッセンスを取り出して他の誰かが活用してくれたらと思います。
杉本:活動の仕方を聞いていると、やはり広げられるものじゃないよね、という気がしますけどね。
相馬:(笑)
杉本:ただ、ぼくも幸せとは言えないかもしれないけど、よいセラピストに出会ってけっこう心は救われたから。漂流さんのやり方も当たる確率は低いかもしれないけれど、当たった人はよかったなと。だから確かにエッセンスを拾うひとがもう少し現れて欲しいところですよね。
相馬:やっぱり広がらないですかね?
杉本:広がらないと思いますよ(笑)
相馬:でも、人と人が会って話すだけなんですよ。それだけのことなんだけど、やってるのは。特別な技術や資格がいるわけじゃない。
杉本:でもね。誰でも彼でも「人と人が出会ってうまくいく」というのは継続しないんじゃないかな。喧嘩になっちゃったり、決裂しちゃったり。
相馬:でも、実際は起きてないですからね。だから、多分そこはやれるんだと思いますよ。
杉本:そうそう。だからそれは明らかに上回ってますよ。目標が正しいんだと思いますよ。人との関わり方としては。でも現代ではシステム上、社会的な適応や活動みたいなところにいきがちで、その方策の目標に沿おうとしますよね?
相馬:人と人とが会って話をするだけなんだけどな。
杉本:(笑)ははは。何かすごくしみじみと。
相馬:「何をしてるんですか?」と聞かれたらそうとしか言いようがない。
杉本:実感を持って言いますね。それはそれでぼくは不思議なんだけどな。人と人が会って話すだけでなんとかなるという。
相馬:カウンセリングだって人と人が会って話すだけじゃないですか
杉本:いや。そうなんだけど。「俺が変わるというのを保障するんだよね?」とこっちは要求するから。
相馬:ああ、それはね。あなた次第ですよ(笑)
杉本:そこの華麗な突き放し方をクライアント側は考えませんからね。「あんた役に立たなかったね」って一方的に離れてドクターショッピングしますから。
相馬:まあ、そういうところも実際はあったかもしれませんね。
杉本:ぼくは2~3回でカウンセリングやめたところ、4~5箇所くらいありましたよ。今のセラピストに会うまでは。
相馬:まあカウンセリングは専門職だし、専門職のやり方や倫理観もあるんだろうし、同じに語っちゃいけないですね。こっちは目的もないですしね。
杉本:ぼくはカウンセリングでうまくいった思い出があったから、カウンセリングに対する敷居ってめっちゃ低いんですよ。成功体験が早かった。親よりもわかってるみたいなことにびっくりしたんでね。
相馬:「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」というじゃないですか。やって見なきゃわからない。
杉本:ちょっとした冒険ですね。
相馬:そう。だから、騙されたと思ってちょっとやってみようということですね、うちの場合はね。で、騙されたと思ってやってみて、何か劇的なことがあったら「うわ、やっぱり騙された」となるかもしれないけど、何も起きないので。「何が起きるのか?何が起きるのか?」みたいな感じずっとやってみてるのかな。わからないけど。
杉本:それは相互の関係性の中でそうなんですか?
相馬:まあ、ボランティアスタッフも騙された気分で。
杉本:(笑)ですよね。
相馬:騙されたと思って訪問してみて、という。
杉本:お互いに手探りという感じで。
相馬:人間関係って本来そうじゃないですか。会う人間同士、お互い手探りでしょ。
杉本:ああ、だからそこを離れないような形にするというのが一つのポイントかな。
相馬:そうですね。
杉本:なるほど。
相馬:一方で関係ができたからって近づきすぎないようにするのもポイントですね。さっきの安全性の話じゃないけど、常に手探りして欲しいワケです。「これまで築いた関係を覚えていながら初めて会う」が理想。これも矛盾ですね。