目盛りやスーパーボールや鏡のような。

タイトルだけじゃわからない、一見関係のなさそうな三つの言葉がある。


今年に入って「ほぼ日手帳」でほぼ毎日日記を書くようになった。最近はnoteも書くようにしている。これはもう少し考えてのことだけど(今年のやりたいこと100にも書いていたし)、日記はもっと気軽に書くようにして、三日坊主的な自分が、めずらしく半年くらいは続いている。

関係のなさそうな三つのことは「日々書く文章」について思ったものだ。目盛りやスーパーボール、鏡のような役割があるよね、と。もっといろんな考えが湧いてくるんだろうけど、最近思うものを残しておこう。三つというのは多くも少なくもなく説明しやすいからね。

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目盛りというのは日記をつけていてよく感じていた。その日にあったことや感じたことをありのままの感情で残す。人の記憶っていうのは割とすぐ忘れるもので、起きた感情はなるべく早く残しておかないと変わっていく。こんなことをこれぐらいに思っていたんだなぁということが後でみるとわかる。目盛りという表現は、ほぼ日をつくった糸井重里さんも書いていたと思う。

スーパーボールはイレギュラーな跳ね返りをみてそう感じた。これは主にnoteのことだけど、何か書きたいテーマがあってこんな感じで書いていこうと始めたはいいものの、いざ書きだすと思ったように書けなかったり、逆にすんなりいくこともある。意外とやってみないとわからないということと、その繰り返しのなかで自分の中の法則に気づいていけるんだろうということがわかる。

鏡というのは、自分の心の反映が文章にあらわれてくると思ったからだ。たとえその文章に直接あらわれたことではないとしても、日々どこが気になっているのかだったり、書くときの感情が言葉の端々ににじみでてくる。

このツイートのように、文章には人がでる。

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三つの役割には、どれも自分を見つめるきっかけになるものがある。書いてみることで自分の心の動きがわかったり、後で見返せば自分の文章で救われもする。

書くハードルをあげていたこともあったし、今も少しは考えてしまうけれど。それでも書くことはおもしろいし、実りあるといえる…と思ったここ最近のお話でした。



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