カメラマンのその後
今夏からフォトエージェンシーのカメラマンとして撮影現場に戻ってきた。
以前は室内競技(バスケットボールやバレーボール)が中心だったが、サッカーもラグビーも陸上も水泳も、ありとあらゆる競技を撮影するようになった。まだまだ不慣れなことが多いが、日々の撮影は発見の連続で「カメラマンしているなあ」としみじみ思う。
春まで勤務していた出版社では「制作ディレクター」という肩書きで出版物の制作に携わっていた。
制作は長い企画会議を経て、台割を決めるところから始まる。なお、台割が決まる=担当ページが決まる、ということで、それ次第で案件の負担度合いが変わってくる。例えば、取材を頼んだライターから届く原稿の完成度がイマイチな場合。これらを企画に沿うように適度にアレンジする(あるいはかなり軌道修正する)のもディレクターの仕事だ。
書籍ではインタビューの起こし原稿をまとめて記事にするページが多かった。文字数の制限があるゆえ、要点をそれに適したボリュームで抜き出さなければならない。こうして完成した原稿をラフとともにデザイナーに送ると「3行多いです」などと注文がついたりして、これらをどうにかして削る作業に入らなければならなくなる。
上記のように、取材が入ればライターやカメラマンを手配する。もっともカメラマンはなるべく自分でこなすようにしていたつもりだが、外部に発注する場合はかなり綿密に企画内容を説明し、いかなる写真が必要かをカメラマンに伝えるようにしていた。カメラマンが気を利かせて大量の写真を撮ってくれてもそれらを自分がセレクトするのも一苦労だからだ。
また、印刷会社ともクオリティと価格のバランスが取れるまで打ち合わせを重ねた。紙の厚さ、種類、加工の方法など、おかげで少しだけ印刷の知識がついたと思う。やはり制作物の「見た目」は重要なので印刷品質にはかなり神経質になった。納品日はいつも仕上がりに緊張したものだった。
といった感じで写真撮影の仕事とはやや距離を置いていた一年ちょっとだった。その間も小規模な撮影(インタビューや商品撮影など)はこなしていたものの物足りなさを感じていた。
毎月のように締め切りに追われるディレクター生活には張り合いもあったが、いつかは撮影の現場に戻りたいと思っていた。写真と向き合う日々が懐かしくなっていた。
スポーツカメラマンに戻るきっかけは何気なく見かけた求人だった。「これが最後のチャンスかな」と思って応募したところ、縁あって迎え入れてもらえた次第である。不思議な巡り合わせだ。
自分の撮影技術なんてまだまだだと思うが、撮影現場ではベテランのカメラマンたちに混ざって写真を撮っている。そんな拙い写真がわずかながらではあるが、世の中に浸透していっているわけだ。
何だかすごいところにまで来てしまった、というのが正直な感想だ。ただこの世界に飛び込んでしまった以上、生き残りをかけて戦い続けるしかないのだと思っている。斯くして写真と向き合う日々が戻ってきた。