或る日、イタリアで due-2
料理を生業としている僕、久嶋健嗣は、イタリアの家庭料理に触れてみたくて、2010年にイタリアへ渡り、2ヶ月間、ホームステイ先のマンマに現地の家庭料理を教わりました。これは、当時、現地で書き留めた日記やレシピをそのまま載せた、僕の思い出の記録です。
僕が見たイタリアを、マンマから教わったちいさなレシピとともに、おたのしみください。イラストは、当時、僕が見た風景、光景を思い起こしながら描いています。
giovedi,21.Ottobre.2010
「美にかかわる」
「愛はつづいている」
「勇気をだすとき」
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夕食
マッケローニのトマト、バジリコ、モッツァレッラのソース
昨日の、茄子のパルミジャーノ(前回の記事、uno-今日のriccetta 参照)、モッツァレッラ
ルーコラのサラダ
ペペロー二(パプリカ、ピーマン)を煮たもの
パン
茄子のパルミジャーノは、茄子がしんなりしてトマトソースとよく馴染んで、層をつくっていて。ちょっとラザーニャみたいでもある。すごくおいしい。家庭の味だ。
そして、驚いたのが、新鮮なモッツァレッラ。
水牛の乳から作られた、mozzarella bufala。噛むとしこしことしていて、ナイフで切った断面から乳が染み出すくらいにジューシーで。
街にモッツァレッラの専門店が点在するのも、こんなにおいしいものが低価格で買えるからなんだな。
venerdi,22.Ottobre
「古いものを手放して」
「すこしずつゆっくりと」
「克服しつつある」
・
朝、洗濯物を、Cleliaにお願いする。
学校帰り。サレルノの街を散歩する。
同じ学校に通っている日本人、Shokoさんと
Duomoドゥオーモ✳︎ に行ってみる。
サレルノのドゥオーモ。
坂道の上にあり、テラコッタみたいな素地に白がぬられた、均一でない、うつくしさ。大きくて、荘厳で。
フランスやイタリアの教会は、いつでも僕を静謐な気持ちにさせる。
そして、地下室。
聖マッテオが眠っているという、地下。
そこには、すべて大理石でつくられた、床と壁。パステルカラーの、ピンクやら薄みどりやら、薄い茶色やら。
色の洪水、のはずなのに、なんともやさしい、うつくしい、調和。
そして、ほかには誰もいない。
家に帰ると、きっちりアイロンがかけられた衣類。きれいでうれしい。五本指靴下もきっちりたたまれている。
今日教えてもらうのはMINESTRA CON ZUCCINI(ズッキーニのスープ)
PEPERONI A GRATE`(パプリカのパン粉焼き)。
ズッキーニのミネストラは、じゃがいもと、少しのにんじん、玉ねぎ、3まいだけのセロリの葉、それらすべてが合わさって、一つの素材だけでは出せないおいしさ、組み合わさるからこそのおいしさを作っている。
驚いたのは、パルミジャーノチーズの硬い皮(buccia)をいっしょに入れて煮ること。よい出汁がでるのだそう。
パプリカのオーブン焼きは、あらかじめ網で焦げ目がつくまでパプリカを焼き、冷めてから皮を剥く。
耐熱皿に、オリーブオイル、パン粉をひき、その上にパプリカを手で裂きながら並べていきプレッツェーモロ(イタリアンパセリ)をちぎって散らし、表面を覆うくらいパン粉をまぶして、にんにくの粗みじん切り、酢漬けのカペッリ(ケーパー)、塩、オリーブオイルをかけて、オーブンで焼く。
もともとは、フランスからきた料理だそうだ。
パン粉がかりかりで、パプリカは果物みたいに甘くて。そのなかにちょっと酸っぱいカペッリが入っているのもまた、おいしい。
実のことをいうと、最初、Cleliaはあまり料理上手ではないんではなかろうか、と思っていた。
着いたその日に食べさせてもらったタリアッテッレは、麺がところどころくっついていて硬くなっているし、料理そのものがとてもぬるい。
フリッタータは、これまたぬるくて、中のモッツァレッラは固くなってしまっている。
あんまりおいしくないな。家庭の料理を教わるために来たのに、これは困ったな、と内心思っていた。
しかし、日が経ってみると、初日のあの料理はなんだったのだろう?というくらい、Cleliaの料理はどれもおいしい。
誤解で、本当によかった。
初日は、料理が出来上がるタイミングと食べた時とが合わなかったということなのかな。
とにかく、おいしい家庭料理を教われて、うれしい。
デザートに、メロンとマンダリーノ(みかん)を食べる。
毎晩、食後にくだものをたべている。
✳︎ Duomo = イタリアの教会堂・大聖堂。
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