ここまでの道のり #5スポーツクラブ就職「心が動き出したその言葉」
前回から引き続き社会人になってからの話です。
「いきなり上司と言う立場になる」
就職して1年が経ち、アルバイトにレッスンの指導や業務を教える立場になりました。アルバイトへのレッスン指導では、スタジオやプール、トレーニングマシンの使い方、基本的な解剖学、トレーニング知識を伝えます。アルバイトがレッスンデビューするまで、テストや模擬レッスン、そして本番レッスンの指導を行います。こうした業務が増え、時には自分より年上や社会経験が豊富な人に指導することもありました。レッスン指導は、アルバイトと共にレッスンデビューに向けて頑張ることが、非常にやりがいがありました。
そうなると21歳で上司という立場になります。下からの圧力、上からの圧力、そして顧客対応に精神的に疲れることもありました。
「これからのキャリア」
数年後、上司との面談で今後のキャリアについて話し、会社からは将来的にマネージャーを目指すことを期待されました。心の中で「この時が来ると思っていた」と感じつつ、現場を離れることは考えていなかったので、「現場で働き続けたい」と正直に伝えました。すると上司は「わかった、それなら現場のスペシャリストを目指してほしい」と言ってくれ、とても嬉しかったです。
「教えて先生それがカイロプラクティックをまなぶきっかけ」
お客様からの「肩が痛い」「腰が痛い」「膝が痛い」「ダイエットしたい」「ゴルフの飛距離を伸ばしたい」といった相談に対し、トレーニング指導や水中運動のアドバイスをすることに大きなやりがいを感じていました。その頃から、体の状態を改善するためには、体を整える技術を習得する必要があると感じ、カイロプラクティックに興味を持ちました。
カイロプラクティックを学べる場所を探し始め、当時はHPなどがないため、資料請求して学校の説明会に参加する流れでした。色々と調べた結果、学校の理論やカリキュラム、働きながら通える場所を考慮して、卒業したカイロプラクティック学校を選びました。決め手となったのは、卒業生であり講師を務め、自分の治療院を開業しアスリートをサポートしている人がいたことです。当時の私にとって、それは理想的な活動でした。
「新たな学び」
そして、会社にカイロプラクティック学校への通学を承諾してもらい、仕事をしながら学校に通う生活が始まりました。学校は山口県の隣、北九州市小倉にあり、車で1時間半かけて通いました。
夜間部に通い、土曜日は休みを取って土曜日クラスに参加していました。
勉強するほどに楽しくなり、スポーツクラブでの仕事でも、手技を行えないにも関わらず、お客様へのアドバイスが変わってきました。
実際に習った手技を家族や知り合いに練習させてもらい、目の前で効果が出るととても嬉しくなり、さらに勉強したいという情熱が湧いてきました。しかし、習った手技をスポーツクラブで行うことはできず、一人だけ突出することは難しいでした。
「ストレスMAX」
習ったことを現場で活かせず、勉強会やセミナーに参加できないこと、そして当時の将来のことや人間関係での悩みで、かなりのストレスが溜まっていました。今考えると、組織で働くことは自分には合っていなかったのです。
そんな時、学校の同期が
「俺、会社を辞めて開業する」
と言ったのです。
私には開業するという選択肢はなかった、できると思っていなかったので、その言葉は衝撃的でしたが、私の心を動かし始めたのです。
つづく