午後十一時の魔境

子供のころは
特別なことがないかぎり
夜十一時まで起きてると
紫色に光る細い線をまたいで
ひとり魔境に踏み込んだような
心細さを味わった

昼間と違う神妙な顔のテレビは
今日あったことを語りだす
店々は非常口の緑の光で寝息をたて
孤独な街灯たちが
人が寝静まるのを待ちわびて
ささやきあうのが聞こえてきそう

昼間見えてたものが
透き通った闇の布で静かに沈められ
光の下では見えなかったものが
しっとりとした境界を与えられ
見えないレリーフのように浮かびあがる

子供は寝なければならない
次に朝日を見るまでは瞳を閉じろ
そんな細かい砂のような圧力が
鏡のようにしずまった夜の上層から
ねっとりと降りそそぐ
このからみつくような拘束を解くのは
不意の尿意だけ

夜の圧に比べればずっと軽い
親の「早く寝なさい」をやりすごして
トイレまでの暗く暗い廊下に押し入る
自分の想像力を味方にうずまく魔物と
頭の中で棒きれ片手に戦いながら
陶器の表面になま暖かいものが当たる音を
折り返し地点に設定した
午後十一時の卑小なアドベンチャー

寝床にたどり着いた勇者は もはや
午後十一時に抵抗する力を持たない
砂風呂みたいな圧力の粒子と
布団の守護聖人の抱擁に首までつかって
想像力の魔物のしっぽを抱えながら
ぬくぬくと おずおずと
眠りの中へとすべりおちる

ゆらめくイメージと静けさの旋律が
発酵してにおう夜の領域
いつか心と体がその内に
同じ魔境を秘めるまで
子供は眠ってはさめてを
繰り返す

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