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まとめ記事:「堀田量子」のまえがきにある「ボルン則を証明する」の不備について

この記事では,私と堀田昌寛先生との「ボルン則の証明」に関する一連の議論について,私の視点でまとめています。議論の概要と,実際にいただいた質問(および読者が疑問に思うであろうこと)を,質疑応答形式で説明します。読者の方がこの記事を読めば,私と堀田先生がこれまでに書いた膨大な記事を読まなくても主要な部分を理解できることをめざしました。

「なぜ問題なの?」の節(直リンク)までを読んだ後は,興味のある箇所のみを読んでいただいても構いません(ただし,用語の定義はその箇所より前で述べられている可能性があります)。もし,今後特筆すべきことがあったり,重要と思われる質問をいただいたりした場合には,追記するかもしれません。

これまで長期にわたり議論をさせていただいた堀田先生に,感謝いたします。

補足:本件に関して多数の記事を公開したため,これらを理解したいと思われる読者のみなさまにとっては大変な労力だったのではないかと思います。貴重なお時間を奪ってしまい,大変申し訳ありませんでした。一連の記事をとおして何かしら得られるものがあったことを願うばかりです。また,今回の議論を不快に思われた方も一定数いらっしゃると思います。この場をお借りして謝罪いたします。


準備:用語の定義

質疑応答に入る前に,いくつかの用語を定義しておきます。

堀田先生の書籍『入門 現代の量子力学』を,堀田量子本とよびます。また,彼のはてなブログ「『入門現代の量子力学』補足」を,堀田量子本の補足とよびます。堀田量子本の補足で提示されている5個の前提を,『前提』とよびます。さらに,彼の記事('24/12/16公開)で「標準的な量子力学の公理系」とよばれている5個の公理の組を,『公理系』とよびます。なお,『公理系』にはボルン則が含まれています。

便宜上,$${\mathbf{St}_Y \cong \mathsf{Den}_n}$$($${n}$$は自然数)を満たす系$${Y}$$を,量子系または量子$${n}$$準位系とよぶことにします。ただし,$${\mathbf{St}_Y}$$は系$${Y}$$の状態をすべて集めた集合($${Y}$$の状態空間とよびます)であり,$${\mathsf{Den}_n}$$は$${n}$$次密度行列全体からなる集合です。通常の量子$${n}$$準位系$${Y}$$は,この条件$${\mathbf{St}_Y \cong \mathsf{Den}_n}$$を満たします。さらに,量子論とはそのすべての系が量子系であるような理論のことを意味し,量子論ではない理論を非量子論とよぶことにします。系の準位がすべて有限であるような理論のみを考えることにします。

補足($${\cong}$$の意味):
$${ \mathbf{St}_Y \cong \mathsf{Den}_n }$$は,$${ \mathbf{St}_Y}$$と$${\mathsf{Den}_n }$$が凸集合として同型であることを意味します。この意味が理解できなくてもこの記事の内容は理解できると思いますが,私の記事('24/11/02公開)で補足していますので,詳細に興味のある方はご参照ください。

何が問題なの?

質問:堀田量子本の何が問題なのか?

堀田量子本のまえがきで述べられている「確率解釈のボルン則や量子重ね合わせ状態の存在などを証明する」という記述を問題視しています。堀田先生はボルン則を証明していると主張されていますが,この主張に問題があると考えています。

私が問題視していることのほぼすべては,この点に直接的または密接に関係しています。

なぜ問題なの?

質問:なぜ問題なのか?

少なくとも'24/12/15までは,この主張に誤りがあったといえるためです。また'24/12/16以降では,第3者が検証できるような形ではボルン則の証明が示されていないと思われるためです。

これから,具体的に述べていきます。

まず,堀田先生によると,「証明する」とは「演繹的に導く」の意味とのことです。この記事でも,この意味で用います。

補足:「演繹的に導く」の意味については,「前提が正しいならば,その前提から演繹的に導かれるものは必ず正しい」という性質を満たすものと仮定して話を進めています。もしこの仮定を満たさないのだとしたら,それは(よほどの事情がありその旨が明記されていない限り)少なくとも物理の議論とはいえないでしょう。

また,堀田先生によると,紙面の都合により堀田量子本では書けなかったことが多く,堀田量子本の補足や彼のnote記事,X(旧Twitter)のポストなどで補足説明をしているとのことです。このため,私からの具体的な批判の多くは,堀田量子本の補足と彼のnote記事が主な対象になっています。

当然ですが,「演繹的に導く」と述べたときには,その導出に用いた前提が明記されていなければその文言は意味をなしません。堀田量子本では,何を前提としてボルン則を証明しているのかが明記されていないため,堀田量子本だけを読んでもボルン則が証明できているか否かを検証することはできません。彼によると『前提』(つまり堀田量子本の補足で提示されている5個の前提)のみを前提としているとのことです。

この問題は次の二つの問題に大別できます。

  1. '24/12/15以前の問題

  2. '24/12/16以降の問題

このように分けられる理由は,'24/12/16に堀田先生が主張を変えられたと結論付けられるような記事を公開したことに起因します(後で説明します)。

補足:学術的な議論において,主な主張を途中で勝手に変えることは不誠実な対応であろうと思います。このため,'24/12/16の時点で議論を打ち切ってもよかったのですが,堀田量子本のまえがきに書いてある「ボルン則」に関連する話題でしたので,議論を続けました。

致命的な問題なの?

質問:中平さんのいくつかの記事では,この問題が致命的だと書かれているが,なぜか?

私が致命的であると判断する理由は, 書籍の最重要な箇所の一つであるはずの「まえがき」に記載されていて,とくにその本の大きな特徴の一つとされている内容に不備があるならば,致命的であろうと考えるためです。

なお,堀田先生の記事('23/07/04公開)によると,堀田量子本の特徴は次の二つのようであり,今回の私の指摘はこの(2)に関するものです。

引用:
この教科書の特徴を具体的に述べると、次のようになります。
(1) 量子力学は情報理論の一種であることを強調し、前世紀に議論された「観測問題」は疑似問題に過ぎないことを明確にしてある。
(2) 最小限の実験結果を使って理論を組み上げていくスタイル。特に確率解釈のボルン則や量子状態重ね合わせは仮定ではなく、導出されるもの。目の前に置かれた未知の系Xが、量子力学の法則を満たす本物の量子系かどうかを実験で確認する方法を与えている。その作業では宇宙にある他の物理系との関係を全部調べあげる必要はなく、そのXだけを実験することで、量子系であるかないかを確実に決定できる。

堀田先生のnote記事('23/07/04公開)

補足:この問題を致命的ではないと感じる人は一定数いらっしゃると思いますし,その意見も尊重できます。この判断には,私の主観が入っています。

また,量子論の数学的構造を導出するという問題は,現在でも研究者たちが盛んに取り組んでいる問題です。この問題に興味を持つ人に対する影響を考えると,今回の問題はとくに看過できないと考えています。このことに関する私の考えは,私の記事('22/08/15公開)の「なぜ今回の記事を公開しようと思ったか」の節(直リンク)で述べています。その最初の段落を引用しておきます(以降では,引用の一部を私の判断で強調することがあります)。

引用:
堀田先生の「書籍」や「補足」を読んで「多準位系の数学的構造は(自然な前提のみを用いて比較的容易に)演繹的に導ける」と信じる人が増えることは,この主張が正しいとはいえない以上,科学的・教育的には良くないことのはずです。しかし,量子論の数学的構造の導出に関する専門家でなければだまされてしまう可能性があり,実際にこの主張を信じている人が少なからずいらっしゃるような気がします。これでは,いろいろな弊害を引き起こしかねません。例えば,この問題は量子論の数学的構造を理解するということに直結する重要な問題と思われますので,このような正しくない主張を信じてしまうと量子論について十分に理解することができなくなる可能性があります。また,「量子論の数学的構造を素直な形で導出する」という問題は本当はまだ完全には解かれていないチャレンジングな問題であるにも関わらず,この問題に挑戦する人が減るかもしれませんし,挑戦する人が正当に評価されなくなるかもしれません。批判をすることは決して気持ちのよいことではありませんし,勇気のいることです。しかし,このような弊害を防ぐため,量子論の数学的構造の導出に関する専門家の一人からみて正しい情報をお伝えしたほうがよいと思い,公開することにしました

私のnote記事('22/08/15公開)

'24/12/15以前の問題とは?

質問:'24/12/15以前の問題とは何か?

堀田先生は

主張A:『前提』を満たす任意の理論は量子論である

という主張をされており,堀田量子本の補足および彼のnote記事('24/10/13公開)でこのことを示しているとのことです。また,ボルン則の証明も,これらの資料で述べられているとのことです。これに対し,私はこの主張Aが間違っていることを一貫して問題視してきました

仮に主張Aが正しいならば,素直な仮定などのもとでボルン則を演繹的に導くことは容易だと思います。このため,この場合には,まえがきの「ボルン則(など)を証明する」という記述や,堀田量子本の補足の内容には,私自身は大きな異論をもたなかったと思います。

逆に,主張Aが間違っているならば,ボルン則を証明したという主張にも不備が生じます(後で説明しますが,『前提』からボルン則が導けるとはいえないことなどを私の記事('24/12/21公開)で指摘しています)。

補足:「理論」を「系」に置き換えても,この記事で述べている議論はほぼそのまま成り立ちます。たとえば主張Aは,「『前提』を満たす任意の系は量子系である」という主張に置き換えても問題ありません。以降の議論でも同様です。このような置き換えについては,私の記事('24/12/29公開)の「回答2」(直リンク)で詳しく述べています。

私がこの主張Aを一貫して問題視していたことは,過去のXでのやり取り(長文ですがこのXの一連のポストからたどれます)や,私の一連の記事(例:'22/08/15公開'24/11/02公開'24/12/15公開)から明らかでしょう。

補足:主張Aは,「任意の$${n}$$準位系$${Y}$$が$${\mathbf{St}_Y \cong \mathsf{Den}_n}$$を満たすことを『前提』から演繹的に導ける」と言い換えられます。また,私の記事('22/08/15公開)では,「『前提』から多準位系の数学的構造を演繹的に導ける」のような表現を用いていますが,同じ記事の中で述べているように本質的には主張Aを言い換えたものです。

私の記事('24/12/15公開)では,量子論の基礎知識があれば「主張Aが間違っている」ことをほぼ完全に理解できるように,ていねいに説明しました。なお,この記事は,私の記事('22/08/15公開)の「論理的な穴:その3」の節(直リンク)で述べたことを幅広い読者に伝わるようにわかりやすく解説したものです。

堀田先生はそれまで,「中平の主張は間違っている」とし,「法的措置を検討する」などと騒いでおられました(「法的措置を検討されていたのでは?」の節(直リンク)をご参照ください)。しかし,私の記事('24/12/15公開)の後で公開された彼の記事('24/12/16公開)には,主張Aが間違っていたことを暗に認められたような記述があります。該当箇所を引用しておきます。

引用:
彼がΘと呼んでいるその「非量子論」では、一般確率論の意味で識別可能な状態が3つではあるが、それは3準位系の量子力学とは異なる理論として扱われ、かつ私の条件を全て満たしています
(中平補足:文脈から,「私の条件」とは『前提』のことのはずです。)

堀田先生のnote記事('24/12/16公開)

少なくとも'24/12/15までは,ボルン則を証明したという堀田先生の主張は間違っていたことになるといえるでしょう。

補足:主張Aが間違っていたことに対する訂正や読者への謝罪はなく,このことを直接的に認める記述も見つかりません。なお,こちらのXのポスト('24/12/23)では,堀田先生の主張を確認するために私から質問をしたのですが,回答を頑なに拒否されています。また,'24/12/16以降では,「堀田先生の主張は主張Aではなかった」と読者が誤読しかねないような記事を書かれているようです。

主張Aが間違っていることは,次のAmazonレビューでも述べました。

'24/12/16以降の問題とは?

質問:'24/12/16以降の問題とは何か?

堀田先生が主張を変えられ,さらに(合理的に考えると)前提まで変えられたとしか結論付けられないことが,'24/12/16以降の議論の概要です。このことにより,まえがきにある「ボルン則(など)を証明する」の部分にどのような問題が生じるかについては,「結論は?」の節(直リンク)をご参照ください。

'24/12/16に公開された彼の記事では,

引用:
私の教科書では、標準的な量子力学の公理系を満たすものという意味で「量子系」としています。多くの他の教科書にもある、その標準的な公理系とは、下記になります。
(中略)
私の上の回答のnote記事でも述べたとおり、これらの公理は2準位系でも多準位系でも、私の方法によって実験からきちんと演繹されます。この点は間違いのない事実ですし、中平氏が言うような「致命的な誤り」では決してありません。

堀田先生のnote記事('24/12/16公開)

と書かれています。このように,彼が演繹的に導いたのは,量子論であることではなく『公理系』を満たすことであると主張を変えられているように読めます。

彼が前提を変えられることはないという性善説に立って合理的に考えると,彼は主張を

主張A(再掲):『前提』を満たす任意の理論は量子論である

から

主張P:『前提』を満たす任意の理論は『公理系』を満たす

に変えられていると結論付けられます。なお,『公理系』の一つがボルン則を満たすことですので,この主張Pには「『前提』を満たす任意の理論はボルン則を満たす」という主張が含まれています。

しかし,その後のやり取りによって得られた情報から,堀田先生は

主張Q:(『前提』ではない)ある前提を満たす任意の理論は『公理系』を満たす

といった主張をされているように結論付けられます(次の質問に対する回答で詳しく説明します)。これでは前提が変わっており,もはや議論になりません。

補足:「'24/12/15以前の問題とは?」の節(直リンク)でも述べましたが,「理論」を「系」に置き換えても構いません。この置き換えにより,主張Pは「『前提』を満たす任意の系は『公理系』を満たす」となります。主張Qも同様です。

なぜ堀田先生が前提を変えたといえるの?

質問:堀田先生が前提を変えたといえる根拠は?

私は,堀田先生の主張が主張Pであると推論して,私の記事('24/12/21公開)にて主張Pの不備(『前提』からボルン則が導けるとはいえないことなど)を指摘しました。

補足:その後で堀田先生から反論があり,私から回答しています(私の記事('24/12/25公開)をご参照ください)。

これに対する彼の反論として,堀田先生のnote記事('24/12/25公開)では次のように書かれています。

引用:
まず本書の「まえがき」には
(中略)
と書いてあります。つまりここでは「『前提』を満たす理論は量子力学の標準的な公理系を満たす」と中平氏が誤解している内容は全く登場しておらず、代わりに「最小限の実験事実に基づいた論理」で、「ボルン則」と「量子的重ね合わせ状態」の存在を証明するという記述のみです。

堀田先生のnote記事('24/12/25公開)

この反論によると,これは私の誤解である,つまり主張Pは間違っているとのことです。すると,堀田先生は

主張Q(再掲):(『前提』ではない)ある前提を満たす任意の理論は『公理系』を満たす

といった主張をされているようにしか読めません。実際,同じ記事では

引用:
本書第3章で主張されているのは、「ある特定のエネルギー領域で実験される対象系が量子系であるか否か」という点です。具体的には、特定のエネルギー領域において、対象系がボルン則や状態の重ね合わせ、量子力学の公理系を満たす場合に、その対象系を「量子系」と定義しています。この考え方を本書の主張Aとします。

堀田先生のnote記事('24/12/25公開)

のように「特定のエネルギー領域」といった『前提』には書かれていない話をされています。このため,前提の部分を変えられていると思われます。

以上より,合理的には,堀田先生は前提を勝手に変えられたとしか結論付けられないはずです(詳細は,私の記事('24/12/29公開)の「回答3」(直リンク)をご参照ください)。

また,私の記事('24/12/29公開)Xのポスト('24/12/29)にて,もし前提を変えられていないならば釈明をしていただくよう堀田先生にお願いしましたが,釈明はありませんでした。このことからも,前提を変えられたものと考えられます。

状況証拠もいくつかあります。たとえば,堀田先生の「量子系」の定義(←この記事での定義とは異なります)として,'24/12/16に公開された彼のnote記事では

引用:
私の教科書では、標準的な量子力学の公理系を満たすものという意味で「量子系」としています。

堀田先生のnote記事('24/12/16公開)

と述べられています。一方,'24/12/25に公開された彼のnote記事では,「量子系」の定義が

引用:
本書第3章で主張されているのは、「ある特定のエネルギー領域で実験される対象系が量子系であるか否か」という点です。具体的には、特定のエネルギー領域において、対象系がボルン則や状態の重ね合わせ、量子力学の公理系を満たす場合に、その対象系を「量子系」と定義しています。

堀田先生のnote記事('24/12/25公開)

のように変わっており,「特定のエネルギー領域」といった文言が追加されています。

補足:彼の後者の「量子系」の定義は,標準的な量子論における量子系の定義とは大きく異なるはずです。堀田先生によると,私の記事('24/12/15公開)で述べた非量子系$${X}$$も,この定義により「量子系」とみなせるようです。堀田量子本では何の断りもなしに「量子系」という用語をこの意味で用いているのだとしたら,これはこれで大問題といえるでしょう。

前提を勝手に変えると何が問題なの?

質問:なぜ前提を勝手に変えてはいけないのか?

前提を少しでも変更すると,そこから導かれる結果は大きく変わる可能性があり,前提を変える前の議論がやり直しになるためです。堀田先生は過去にも前提を変えられたことがあり,その行為に対して忠告などを行ってきました。たとえば,私の記事('24/12/15公開)の「注意点」の節(直リンク)では,次のように述べました。

引用1:
演繹的な導出を考える上では,『前提』で明記されている一字一句が非常に重要です。『前提』に少しでも不備がある場合には一般に導出は行えません。また,『前提』を少しでも変更すると,そこから導かれる結果は大きく変わる可能性があります
引用2:
補足2:堀田先生の『最終回答』は,論としての根底部分は変更ないという意味で「最終的な回答」であるとのことです。このため,さすがに『前提』をまた変更する(または『前提』で明記されていない条件を勝手に追加する)といった不誠実な行為をされることはないとは思います

私のnote記事('24/12/15公開)

関連する私のXのポストも挙げておきます。

引用1:
これまでに前提が何度か変わっていますが,前提が変わると演繹的に導けるか否かを判断しなおすことが必要になりますし,この判断は相応の労力を要する場合があります。論理を追うことが辛くなる旨,ご承知おきくだされば幸いです。

私のXのポスト('22/08/30)

引用2:
私としては,(過去にされたように)堀田先生から前提などを変えられるといった腑に落ちない言い逃れをされて,「議論にならない」ことを懸念していました。今回は,そうならないことを祈りながら,他の人にも概要が伝わるように説明します。

私のXのポスト('24/10/15)

これらの指摘をしたにも関わらずまた勝手に前提を変えられたのだとしたら,学術的な対応として極めて不誠実であるといえるでしょう。

結論は?

質問:結論は何か?

'24/12/15以前の問題に対しては,「『前提』を満たす任意の理論は量子論である」という堀田先生の主張(つまり先述の主張A)が間違っていることを示しました(私の記事('24/12/15公開)でわかりやすく解説しました)。主張Aが間違っている限り,ボルン則を証明したという堀田先生のそれまでの主張は間違っていたことになるといえるでしょう。

'24/12/16以降の問題に対しては,堀田先生が前提を変えられたと結論付けられることを述べました。この結論が正しいとすると,前提がどのように変わったかは明記されていません。それにも関わらず,考察の対象としている理論(または系)が「ボルン則を含む『公理系』を満たすことを演繹的に導いている」と主張されていることになります。つまり,「演繹的に導いている」と主張しながら,導出に用いた前提を明らかにしていないので,第3者による検証ができません。このため,堀田先生の主張の信憑性は極めて低いといえるでしょう。この意味で,まえがきにある「ボルン則(など)を証明する」という文言には不備があると結論付けられます。

万が一,堀田先生が前提を変えられていないならば,「なぜ堀田先生が前提を変えたといえるの?」の節(直リンク)で述べたとおり,私の記事('24/12/21公開)で指摘したような不備が生じます。

エネルギー領域を考慮したらどうなる?

質問:堀田先生の記事に書かれている,特定のエネルギー領域を考慮したらどうなるのか?

堀田先生の記事('24/12/25公開)では,エネルギー領域の話が何度も登場します。しかし,その明確な定義は堀田量子本や堀田量子本の補足や彼のnote記事などには見つかりません。このため,結論は同じであり,導出に用いた前提を明らかにしていないので第3者による検証ができず,「ボルン則(など)を証明する」という文言には不備がある,と結論付けられます。

補足:詳細が知りたい人は,X(@KenjiNakahira)のDMやメールなどでご質問ください。個別に対応いたします。

堀田量子本の第3章でボルン則が証明されているのでは?

質問:堀田量子本の第3章ではボルン則が証明されているように思える。何が問題なのか?

「ボルン則を証明した」と主張するからには,ボルン則を証明するために用いた前提を明らかにする必要があります。しかし,堀田量子本(や堀田量子本の補足や彼のnote記事)ではその前提が不明であることが問題です。直前の質問である「結論は?」の節(直リンク)もご参照ください。

補足:「なぜ堀田先生が前提を変えたといえるの?」の節(直リンク)で,堀田先生による「量子系」の定義について述べました。これによると,『公理系』を満たす(したがってボルン則を満たす)ことが「量子系」であるための必要条件になっています。一方,堀田量子本の第3章では,「量子系」の話をしているようにしか読めません(たとえば,系の状態を「量子状態」とよんでいます)。このため,第3章ではそもそもボルン則を満たす系についての話をしていることになり,第3章の説明では「ボルン則を導いた」とはいえないでしょう。第3章に書かれているのは,せいぜいボルン則を満たすことの再確認だと思います。

この議論が始まったきっかけは?

質問:この議論が始まったきっかけは何か?

時系列で説明します。

  1. 私の記事('22/08/13公開)で,「任意の2準位系が量子系である」という前提を含み,かつ自然と思われるような前提の組から,「任意の$${n}$$準位系が量子系である(ただし$${n \ge 3}$$)」ことを演繹的に導くことは難しい,といった主張をしました。この話題は,私の専門の一つである,量子論の数学的構造の導出に関するものです。

  2. この主張に対して堀田先生は,「自然な前提から任意の$${n}$$準位系が量子系であることを演繹的に導ける」,「堀田量子本の第3章ではこのことを導いている」という主旨の反論をされました。

  3. この反論に対して,私は堀田先生に演繹的に導くために用いた前提を明らかにしてもらいました(この前提が,今回の記事で『前提』とよんでいるものです)。堀田先生によると,堀田量子本の補足で「『前提』を満たすならば任意の$${n}$$準位系が量子系である」ことを演繹的に導いているとのことです。なお,この「」内の文言は,主張A(つまり「『前提』を満たす任意の理論は量子論である」)と同じ意味です。

上の 2. と 3. は,長文ですがこのXの一連のポストからたどれます。3. より後の経緯は,私の記事('24/12/16公開,随時更新)でまとめています。

法的措置を検討されていたのでは?

質問:'24/10に法的措置を検討すると堀田先生から宣言されたはずだが,どうなったのか?

堀田先生からの要請に応じて,彼が問題視されていた箇所(私の記事の文言の一部)を私が削除しました。これにより,堀田先生は法的措置の検討を中止すると約束されました(詳細は,こちらのXのポスト('24/12/23)をご参照ください)。この件に関する私の認識を,私のXのポスト('24/12/24)でまとめています。なお,堀田先生からの宣言につきましては,こちらこちらをご参照ください。

なぜ議論が長期化したの?

質問:中平さんと堀田先生は何度も議論をしていたように思う。それほど難しいことを議論していたのか?

私の個人的な見解ですが,議題が明確になってさえいれば,議論がこれほど長期化することはなかったであろうと思います。また,議題が明確にならなかったことの主要因は,次の2点ではないかと感じています。

  1. '24/12/15以前の問題に対して,堀田先生の主張(つまり主張A「『前提』を満たす任意の理論は量子論である」)が間違っていることを,堀田先生が明示的には認められなかった(これにより議題があいまいになった)。

  2. 堀田先生が何度か主張を変えられた。また,彼はどのように主張を変えられたのかを明確にしなかった。さらに,彼が用いている用語の定義などにも,今回の議論に支障が出る程度のあいまいさが含まれていた。

堀田先生は,ご自身の主張を明確にしないまま議論を進めたり,私からの批判に対して反論が困難になった段階で初めて「あのときの主張はそのような意図ではなかった」といったような主張をされて,過去の主張とは異なることを主張されたりする(ように判断せざるを得ないように思われる)ことが複数回ありました。このような行為は,学術的な議論の進行を大きく妨げる要因となると思います。

補足1:自分の主張を明確にしないまま議論を進めることは,自分の主張に不備があることに気付いた時点で主張を変えられるといった意味では都合がよいかもしれません。一方,議論の相手に相当な労力を強いることになりますし,途中で主張を変えると過去の記事の内容と整合しなくなってきます。また,何よりも第3者からの信頼を大きく損ねることになるのではないかと思います。

補足2:彼が'24/10/15に法的措置を検討すると宣言されて,私が実質的に対応せざるを得なくなったことも,議論が長期化した主要因の一つだと思います。私のXのポスト('24/12/22)をご参照ください。

物理学と数学の立場の違いでは?

質問:堀田先生は物理学の立場から主張をして,中平さんは数学の立場から主張をしているようにみえる。単なる立場の違いであり,どちらの主張も正しい可能性はないのか?

そのような立場の違いという問題ではないはずです。この記事における議題は,'24/12/15以前では

主張A(再掲):『前提』を満たす任意の理論は量子論である

が正しいか否かです。『前提』や量子論の定義は概ね明確であり,この問題はかなり白黒の決着が付きやすいという意味では数学の問題に似ているかもしれません。この問題に対して,単に立場が違うだけでありどちらの主張も正しいといったことは,原則的にありません。

ここでは,主張Aが正しいか否かのみを議題にしています。たとえば,『前提』を破っている,または量子論にしたがわないような物理現象があるか(または将来的に見つかる可能性があるか)といったことは議論の対象外です。数十年後には新たな物理法則が見つかって主張Aの成否が変わるといったこともありません。

なお,「'24/12/16以降の問題とは?」の節(直リンク)で述べたように,'24/12/16以降では堀田先生が前提を変えられたと結論付けられるため,議論にならなくなりました。

なぜnote記事で議論をしているの?

質問:なぜ,note記事で議論をしているのか?学術誌に投稿するといったほかの手段はないのか?

もし学術論文に対して批判があるならば,その論文が掲載されている学術誌に批判論文を投稿するという方法が考えられます。しかし,批判の対象が書籍(およびWeb上の記事)の場合には,このような場は通常は用意されていません。念のため,出版社にも本件のことを連絡していますが,きっと出版社側では対応困難ではないかと思います。

また,もし議論の内容が学術誌(or プレプリントサーバー)に投稿するのに相応しいものならば,そのような手段もあると思います。しかし,今回の議論の内容は,とてもそのようなレベルにはないと考えています。

ほかの手段としては,議論の内容を一般公開せずに,堀田先生と直接メールなどでやり取りをする方法もあり得ます。しかし,このような手段はとてもよい案とは思えず,堀田先生と直接やり取りすることのメリットが全く思い付きません(今回の記事をここまで読まれた人ならば,この手段を選んだときに何が起こるかは容易に想像できるのではないかと思います)。

これらを考慮して,note記事を書くことにしました。

ボルン則は演繹的に導出可能なの?

質問:ボルン則をほかの前提から演繹的に導出することは可能なのか?

可能だと思います。たとえば,ある前提の組を満たす理論が量子論である(つまり,その任意の系$${Y}$$が$${\mathbf{St}_Y \cong \mathsf{Den}_n}$$($${n}$$は$${Y}$$の準位)を満たす)ことを演繹的に導ければ,あとは素直な仮定などのもとでボルン則を演繹的に導くことは容易だと思います。

量子論であることを演繹的に導くための前提の組を与えている論文は,多数あります。そのような論文の例として,量子論の数学的構造の導出の分野における代表的な論文を二つ挙げておきます。

[1] L. Hardy, "Reformulating and reconstructing quantum theory", arXiv:1104.2066.
[2] G. Chiribella, G. M. D'Ariano, P. Perinotti, "Informational derivation of quantum theory", Phys. Rev. A, 84, 012311 (2011). [arXiv:1011.6451]

また,拙著『図式と操作的確率論による量子論』のWeb補遺(森北出版のWebページからダウンロード可能)の第3章「広義量子論の導出」でも,そのような前提の組の一つを与えています。

『前提』は実験により検証可能なの?

質問:そもそも,『前提』は実験により検証可能なのか?

何をもって検証可能とみなすかによると思いますが,個人的には実際問題として不可能に近いと思います。たとえば,『前提』には

前提4:任意の状態は,基準測定機から出てくる1つの純粋状態に対する可逆物理操作と,それで得られた状態の確率混合の集合で与えられる

という前提が含まれています。与えられた系$${Y}$$がこの前提を満たすか否かを検証するためには,このような操作で得られた状態以外は存在しないことを実験により示す必要がありますが,このことは不可能に近いと思われます。

このような非存在性については,堀田先生も実験による検証が不可能であることを繰り返し主張されているようです。たとえば次のポストを引用しておきます。

引用:
〇〇という性質がある測定の存在は、特定の1つの実装を実験できれば、それで実証的に証明できたことになりますが、非存在性は「宇宙全体のあらゆる物体を用いて作る測定器でも、不可能である」ことを実験観測で示さないと確認できませんが、実現不能です。これは物理学では重要なポイントです。

堀田先生のXのポスト('24/12/17)

なお,この問題は,「測定結果の確率を厳密に求めることはできない」とか,「任意のユニタリ行列に対して対応する物理操作を準備することは実質的に不可能」とか,そういう話とは異なる種類のものだと思います。前者の「測定結果の確率を厳密に求められない」ことについては,厳密に求める代わりに何度も実験を繰り返すことで精度を十分に高めることはできます。後者についても同様です。しかし,上で述べた「ある操作で得られた状態以外は存在しない」ことについては,このような精度の問題とは異なります。ただし,膨大な実験を行っても前提4を破るような結果が得られないことを根拠にして,前提4を満たしていると仮定することはできると思います。

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