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単に植えれば良いのか?

今回のIUFRO(国際森林研究世界連合)世界大会では、森林研究に対する世の中からの期待を分かりやすく解説するKeynote speechが多く、とても面白かった。口頭発表については(自分のそれを脇に置くと)、面白いもの、ちょっとつまらないものの度合いにだいぶ幅があった。研究動向のレビュー報告が多かったのはちょっと問題かとも思ったり。こういう会合では、新しい知見を示してもらう方がありがたい。

Keynoteの一つで、パラグアイで大規模な植林を行っている事業会社のプレゼンがあったけど、その後のコーヒータイムや食事会で、かなり否定的なコメントを述べていた友人もいた。こんな感じで世界中の研究者仲間と議論できることがとても刺激的。IUFROの良さだろう。

私が一番おっと感じたのは、上記とは別の日のKeynoteの一コマ。

Sally Aitken, Keynote speech, Valuing diversity in uncertain times, June 28, IUFRO2024

海外のメディアの論調で、森林に関する課題は「木を植えること」ですべて解決する、というものが目立つという指摘。日本のメディアや企業の情報発信でも同様だろう。実際のところ、森林は非常に複雑な世界なので、植える、という行為だけですべて丸く収まるというわけにはいかない。

「木を植えればオールOK」という楽天的な論調の問題点は2つある。

1つ目は、本来、木が育つのに適さない環境に木を植えてしまう問題。森林があることが水源の保護につながることは多くの人に知られているので忘れてしまいがちだが、木を含む植物が育つ過程では当然、水が必要。地域の水収支は、植林によって以前とは異なるものになる。砂の砂漠に人為的に木を植え、水を与えても、そこが日本でイメージする森林になるとは考えにくい。砂漠でなくても、草原でも同じ問題が発生するかもしれない。日本にいると草原の重要性は感じにくいけど、地球規模で考えると、モンゴルなどに広がる草原がしっかり草原であることはとても重要。

2つ目は、木は植えてしまえばあとは勝手に育つわけではないこと。特に人工林は、定期的に人が手を入れ続けなければ、期待される機能を備えた森林には育っていかない。そこには時間とお金が必要になる。

木を植える、というのは非常に肯定的なイメージがあるので、環境問題について学びたいと考えている学生さんとの議論の中でこのような論調が見られることが多い。意欲の高さは大いに買うべきなので、その感情を活かしつつ、森林の持つ複雑な事情をどう説明したらよいのか、悩みます。

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