寡黙なエース
高校に入学したばかりの頃のことだ。
苦手な数学の提出課題が終わらずに昼休み返上でプリントと悪戦苦闘していると、同じ野球部で後にエースピッチャーになる同級生が他のクラスからやってきて僕に声をかけた。グラウンドに出てキャッチボールをやろうとか、そのような誘いだった。
彼は悪戦苦闘している僕を見て、
「なんでこの程度の問題ができないの?」
と、心底不思議そうに言った。
僕はムカっときたが、彼に嫌味という意図はなく、問題が解けない僕のことがつくづく不思議であるといった気持ちなんだろう、ということは分かった。むろん、言葉を選べよ!と言いたい気持ちもなくはなかったが。
そんな僕は、後にエースピッチャーになるだけでなく卒業後は東大に進むことになるこの男に対し、素直に解き方を教わったのだった。そうして問題は瞬時に解けた。
この男は小柄だが頭がデカく、かなりの上質な脳みそが詰まってるんだろうな、と思わせる見た目であった。ほとんどの場合表情を崩すことはなく、キャッチボールをするときも、冗談を言い合うときも、何をするときも、土偶のような、何とも抑揚のない目でこちらを見るのであった。こいつに慈愛という感情はあるのだろうか、などと時々思った。
彼は元々はキャッチャーをやっていた。しかし、素晴らしく速い球を投げる才能あふれるピッチャーが退部してしまい、この僕が一時期ピッチャーを務めていたこともあるものの、試合を任せるほどの力量と安定感が全くない僕は監督に見限られ、この頭のデカい男がキャッチャーから転向してエースになったのであった。
ある試合で、ワンアウト三塁のピンチを迎えた際、エースである彼が投げた球を相手バッターが流し打ちをし、ライトを守っていた僕のところにフライが飛んできた。
元から僕のプレーぶりになどなんの期待もしていない彼は、どのような形にせよ1点取られることを覚悟しただろう。
しかし幸いなことに、飛んできたのは平凡なフライだ。僕は落下点と予測した場所よりもかなり後ろの方で身構え、もう直ぐ落ちてくるだろうと察した次の瞬間その球に向かって突進して勢いをつけ、その勢いのまま左手のグローブで捕球して、キャッチャーに向かって低めの強いボールを投げた。肩にだけは自信があったのだ。
その低めの送球はそのままでもよかったのかもしれないが、堅実なプレーで安定感抜群であった二塁手が、身体を縦にして、片方は僕の方、片方はキャッチャーの方に向けて如才なく素早く捕球して中継し(いわゆるカットプレーだ)、すぐさまキャッチャーに返す。
果たして、タッチアップを狙った三塁ランナーはギリギリのところで本塁でアウトになったのであった。
頭のデカいエースは、マウンドの上から、遠くライトにいる僕に向かって、表情を緩めて
「ありがとう!」
と叫んだ。
3年間、苦楽を共にした男からの唯一の、感謝とねぎらいの言葉であった。
最後の夏の大会は3回戦で強豪、修徳高校に7回コールド、0-7で敗れた。僕はこの頃、今でいうイップスのような症状に悩まされて攻守ともに監督の信頼を大きく損ない、同じポジションを守っていた親友に出番を譲っていたので、敗れた瞬間をベンチから見た。
あまりにも苦しくて、つらい部活が終わりを告げた。
それと同時に、どこまでも清々しく、二度と味わうことのできない汗と涙の時間も終わりを告げたのだった。
デカい頭のエースに目をやると、もしかしたらヤツはうっすらと涙を浮かべていたかもしれない。
あくまでも、うっすらと。
僕はといえば、これからは水を飲みたいときに好きなだけ飲んでやる、そして明日は代ゼミに行くぞ!いや駿台にしようか、などと考えていた。
けれど、そんな僕も目には涙が浮かんでいたのを覚えている。
どこまでも素っ気ない彼と再会できる日は来るだろうか。