黄色い電車と封筒の重みについて
いつものように酔った僕は、国分寺という駅から、とある私鉄に乗った。
なかなかに面白い駅で、JRと私鉄(西武線)が部分的に並走しているという特徴がある。
僕は西武線の車両の先頭に立ち、運転手の手さばきを左の視界にとらえながらぼんやり正面を見ていた。
すると、信州から山梨を通って東京にやってきた特急列車が、惚れ惚れするようなスピードで誇らしげにすれ違っていった。
僕が乗る黄色い電車はそれを見送ってから右斜めに方向をとり、我が道をゆっくりと進む。
その黄色い西武線の電車は、やがて東村山という駅に着く。
駅前に、あの偉大なる志村さんの銅像がある街だ。
僕はそこから、同じく黄色い電車を乗り継いで、
所沢駅に降り立った。
32くらいの頃だったか、人生をこじらせて、家族もあるのにいろいろと迷走していた時期に、日雇いバイトをするためにこの駅に降り立ったことがあった。
駅前で待っていると、マイクロバスがやってくる。そして同じように集まったさまざまな年齢層の人々とともに、なんだか最果ての地に連れて行かれるかのように、僕たちは絶望的な顔で下を向いたものだ。
連れて行かれた先は小さな工場で、僕たちは何かのチラシを、のり付けの入ったビニールの袋に詰め込む仕事をあてがわれた。
不器用極まりない自分が、時間の経過とともに信じられない手さばきでチラシをビニールの袋に詰めていく。人とは慣れるものだと実感したのはその時が初めてだった。
夕方に作業を終えたころには、いつのまにかシンパシーを覚えた者どうしで健闘をたたえあったものだ。そして、封筒で渡された日当の重みを、僕は生涯忘れないだろう。
働くことのとうとさや、報酬をもらうことのありがたみを学んだ時期であった。
そんなことを思い出しながら、その所沢駅で改札を出ると、流行りのストリートピアノが置いてあった。
僕は弾かない。
子どもの頃、音楽室で弾いていたのとはわけが違う。だいいち小っ恥ずかしいではないか。
弾かないけれども、30代初めの頃の自分の気持ちを思い出して、ああ、生きていてよかった、などと噛みしめる冬の日だった。