フェイクニュースの楽しみ方
嘘とは何か。
嘘がない世界があるなら
私達はどのようにして生きていただろうか。
そのような考えを巡らせていると
数年前の世にも奇妙な物語で嘘をテーマとした作品があったことを思い出す。
2015.11.28付け放送の「嘘が生まれた日」だ。
そうそう、こんなタイトルだった。
内容は至ってシンプルで「嘘の存在しない世界を舞台に、本当のこと以外——つまり"嘘"を言える事実を知った青年の、行末を描いた一作」である。
嘘の重要性と、恐ろしさを伝える、印象深い作品だった。
余談が長くなってしまい申し訳ない。
このようにして人間と嘘は
昔から密接に関わってきたのだが
昨今ではインターネットの普及により
嘘と真実が、同系色で混在している。
お気付きの人もいるだろう。
新たな「嘘」の形が生まれていた。
人間と嘘の付き合い方も大きく変化しているのだ。
私とネットの嘘
インターネットは嘘で塗り固められた世界だ。
そう思ったのは私が中学生の時である。
当時、色々な由縁があり
ネット検索を用いて発達障害者について調べていたのだが
どこを見ても誤った情報や偏見ばかりだった。
本当に心苦しかった。
あれ以来、ネット検索は滅多にしなくなり
情報を得る時に頼るのは、本や知人の声となった。
けれども
今はネット検索で知識を得るのが当たり前の時代。
「もしかして、これも私が知らないだけで嘘かもしれない」
「この事実が間違っていたら」
「嘘の情報を無意識の内に納得してしまったらどうしよう」
心的外傷あれど、利用しない訳にはいかない。
そこで私は
嘘と真実のインターネットの見方を
独自に考えていった。
嘘を信じて楽しむ
嘘の情報を日本で一般的に
フェイクニュースと名指すのは
よく知られているだろう。
フェイクニュースと言われたら
誰もが「嘘か真実か」
を論点とするだろうが
私は敢えてそれをしない。
私は不確かなニュースを
「7:3」として捉えている。
要するに
7割は信じて
3割は信じない
真実でも嘘でもだ。
私は常々
「自分の持つ知識を100%真実であると思わない。
だけれど100%嘘だとも思ってはいけない」
といった矛盾した考えを持っている。
真実は日々進化する。
極端な話をすれば
ずっと昔は油やガス灯でしか
夜の明かりはつくれないと思われていたが
エジソンが電球を発明したことにより
この事実が覆ったのだ。
今ある知識を100%当たり前として認識するのは
非常に勿体ないことだと考えている。
この考えをフェイクニュースに利用すれば
物事をより客観的に観察することが出来るのでは
と思ったのがきっかけだ。
これにより
フェイクニュースか吟味する時間を省いて
むしろ楽しませてもらっている。
「7:3」という割合は丁度良い。
信じ過ぎては嘘に踊らされてしまうし
疑い過ぎては疑心暗鬼に陥ってしまう。
嘘の可能性が高まったら「4:6」として
明らかに嘘だと感じたものは「2:8」くらいに見ている。
「5:5」と判断した情報は損失覚悟で基本的にスルーしている。
心的外傷もちの私には程よい方法だった。
嘘を俯瞰して楽しむ
フェイクニュースと対峙するうえで
もう一つ必ず考えることがある。
「何故この人はこれをネットに書いてあげたのだろうか」
と目的を推察することだ。
目的を把握することにより
真実か嘘かを見破りやすくなる。
自分の知恵を広げることが目的なのか
有識者として見解を示すことが目的なのか
ネット上で注目を集めることが目的なのか
人々の不安を煽ることが目的なのか
記事の観覧数を増やすことが目的なのか
理由のない行動はあり得ない。
必ずそこには心理的要因が存在する。
嘘にも必ず理由がある。
それを考えることで
自身を一歩立ち止まらせて
情報を俯瞰して考える方に向かうことが出来る。
これは
相手の立場になって考える癖が
上手く作用した為に気付けた方法だ。
従って普段の会話の中にも活用できる。
人を好きになれるのでお勧めだ。
情報を俯瞰することで
自分の意見を保つことにも繋がり
より客観的な判断へとも繋がっていく。
まとめ -嘘とZ世代
ネット上では嘘と真実が共存していることを
常に念頭においた上で、情報の判断を楽しむ。
これにより
多くの情報を正しい角度で見られると
私は思う。
フェイクニュースは不安な時ほど
飲み込まれ、信じやすくなる。
楽しむことは何事においても大切だ。
最後に一つ面白い話をしよう。
最近記事にしているアートシンキングに対する考えは
学校から与えられた宿題であるのだが
ほとんどの生徒が
「フェイクニュース」を題材として書いていた。
(本来は複数のテーマから一つだけ書けばいいのであって、全部制覇しようなど馬鹿な試みをしているのは私だけである)
生徒のほとんどがZ世代に当たるのだが
「これは面白い現象が起きた」と思った。
一つはフェイクニュースが身近なものであると自覚し
記事として書きやすいテーマであること
二つにはフェイクニュースに対して関心があり
また対策すべきことであると認識していること
最後はフェイク=嘘が人の心を動かす言葉=ワードであること
嘘といったネガティブな感情は言葉にしやすい
といった心理的要因があるのかは定かではないが。
少なともZ世代が安定志向であるのは
嘘と隣り合わせの日常を
オンライン上で過ごしてきた背景があるのかもしれない。
フェイクニュースも内のひとつだが
Z世代の価値観を形成した土台の一部と思ったもので
もうひとつ伝えたいものがある。
次回はその第二回目として
「エコーチェンバー現象」について考えを残そうと思う。
>>これら記事もフェイクニュースかもしれない、私の自論である。