見出し画像

数奇な時代を生きられますように

隔年で行われている世界規模の美術展覧会「ビエンナーレ」
ビエンナーレ公式サイト

表題はイタリアはヴェネツィアで行われた
第58回「ヴェネツィア・ビエンナーレ」のタイトルに選ばれた言葉である。




「May You Live in Interesting Times」


本来は上記のように英語で表記されている。

つまり表題は日本語訳されたものなのだが
訳に皮肉が効いていて非常に面白い。

Interestingと言われたら面白い興味のあるといった
前向きな意味に捉えられることが多いが
今回はこれを数奇なと訳したのである。



「数奇」の意味を改めて調べてみると

[名・形動]《「数」は運命、「奇」は不運の意》
1 運命のめぐりあわせが悪いこと。また、そのさま。不運。「報われることのなかった数奇な人」
2 運命に波乱の多いこと。また、そのさま。さっき。「数奇な運命にもてあそばれる」
(goo辞書より引用)

改めてみてもネガティブな意味合いであるように思う。

元より、この言葉は通例として皮肉なことに使われる言葉だ。

英語に通じている人からみれば違和感を覚えるかもしれないが
意味、的を得ている訳だと思える。





タイトルに隠された二つの意味

さて、ここからは私の自論となる為に
論理的な信憑性はないのだが。


「数奇な時代を生きられますように」

を誰にでも伝わる言葉に変えると

「こんなさ、一貫性のない時代を本当に生きられると思っているの?
変えられるとでも思っているの? 無理だと思うけど?(笑)」

といった非常に腹立たしい言葉となる。


では逆に

「数奇な時代を生きられますように」

を文字通りの意味として捉えると

「今はまだ、まとまりのない時代ではあるけれど
どうかこんな時代でも、幸福の中で生きられますように」

といった未来へ懇願する言葉となる。


「ヴェネツィア・ビエンナーレ」におけるテーマは
正にこの二種類の意味があることのように思う。


「ヴェネツィア・ビエンナーレ」の代表であるパオロ・バラッタ氏は
「世界が抱えている最大の問題は、闘争と環境変化に関する移民問題と一般的な思考の極端な簡素化である」
と断言していた。

この言葉を見る限り
今回用いたタイトルは決して
後ろ向きな意味ばかりではないと考えられないか。

いうなれば問題提起、数奇な現状を受容して解決へと導こうとしている。





"数奇"とは一体何者か

それでは具代的に何が問題であるのか。


現代を一言で表すならば「混沌」だと思っている。


様々な価値観や思考が蔓延り
それらを「個」として狭められた考えの元で生きている。
故にそこらで簡単に、生産性のない暴動や討論が行われる。


価値観や思考は一律ではないのに
自身の「個」を正しいものとして
「他の個」を受容できない時代だ。


そこには一言ではいえない多くの問題が関与している。

その大半がネットや人種による環境問題だと思うのだが
本当に恐ろしいのは、その考えが各々で偏っていることにある。

これを数奇な時代だといっている。
故に現代をひどく虚しく感じる。



これまでの話を、私の最も敬愛する宮澤賢治の言葉を借りてまとめたい。
教師時代に述べた「農民芸術概論綱要」で、彼は次のように訴えている。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
(「農民芸術概論綱要 序論」より一部抜粋)

幸福と聞けば真っ先に思い浮かぶ言葉だ。

賢治の訴えを汲んで、今の時代に当てはめると目指すべき未来を示唆している文言ではないだろうか、そのように思えてならないのは私だけだろうか。





未来に託された生き方

話を未来へと方向転換しよう。
では、数奇な時代を生きられる未来へと変えるのは誰なのか。

他でもない今を生きる私達である。


日本の元号が"平成"から"令和"に変わり
今月で丁度一年が経過した。

令和という元号を聞いて
非常に感動したのを今も覚えている。


発表当日である「2019/04/01」
私はアルバイトでテレビもニュースも見れなかったために
最初に聞いたのは「れいわ」という発音だった。

漢字を知らない私は「零話」と当て字した。


この偶然にとても感動した。


祖父の生まれた「大正」は戦争への時代。
事実私の祖父は二度の戦争に赴き、
生還し、97歳まで長生きした自慢の人だ。

父母の生まれた「昭和」は改革の時代。
日本は高度経済成長期に突入し、
今を生きる基盤の基盤をつくっていった。

私の生まれた「平成」は混沌の時代。
デジタル化が進み価値観は多様化したが
景気は低迷したまま、思考は排他的になった。


大正が教訓となり
昭和が基盤となり
平成が方向性を決めたのならば

令和はようやく、ゼロをイチにする時代がきたのだ。

零話から始めることが許可された
ハーモニー
正に調和の時代、波がやってくる。


そして、その型作りを任されたのが

他でもない今を生きる私達であり

次世代を担っている若い世代なのだ。





最後に

ここまで話をしてきたが
その若い世代に名称があることをご存知だろうか。

次回は「ジェネレーションZ世代」について考えを残そうと思う。



<参考にさせて頂いたサイト>

授業内で教えて下さったことを基準に、上記サイトを参考にさせて頂きました。講義して下さった先生をはじめ、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?