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西垣通さんの『AI原論』を読んでみた。

どうも!気まましゃちょーのまつです!
今回は、独り言ビジネス本の要約です!

今回読んだビジネス本は西垣通さんの『AI原論』です。

AIとは?
タイトル通り、AI(人工知能)とは何かという点から本書が始まる。私はふと思ってしまったことがあり、AIとは常に合理的であるべきであり、非合理なのは人間なのかなって。

例えば、AIが合理的に全てのモノゴトを判断するからこそ、納得する部分がある。
でもAIが人間のように非合理な決断をしていたら人間がAIの開発を進める必要ってなくなるような気がした。
更に伝えると、非合理と感情的という感覚は実はかなり近いところにあるような気がするが、合理的に考えても感情的になることがあるように感じる。

昨今のAI(ChatGPT)が今のレベルに達する一番の要因と言ってもいい深層学習について、どう理解しているだろう。
私は感覚的にしか理解していないが、本書ではこう説明されている。

AIの深層学習と機械学習の大きな相違は、『「教師なし学習」と「教師あり学習」の違いである。』自ら共通点や分類パターンの特徴をとらえ分類を実行できるように学習していく。

この深層学習に必要なことは膨大なデータとそれを処理する能力になるのではないかと考えている。
これはある種、人間にも同じのが言えるのではないかと考えている。

成功を導く人やアイディアが豊富な人は自分なりの分類パターンを持っており、それをどこに当てはめるか、当てはめてみた時の効果などをイメージできるかどうかに関わってくるように感じる。
分類パターンを早く見つけることこそが大切なことであり、IQが高いと呼ばれる要因にもなっているのかもしれない。
IQテストでもよく分類パターンを探させるような問題が出るし・・・。

そして最近見かけるAIに〇〇描かせてみたシリーズで若干ズレた画像が描かれる要因もきっと、この分類パターンによるものなのだと思う。
私たち人間が勝手に分類したモノを当たり前だと認識していること。そしてその分類パターンがAIと異なることで生まれる差が分類のズレ、感覚のズレを引き起こしている。

じゃあ人工知能とは一体何なのだろう?
これを考えるためには本書でも取り上げられている「心」とはなにかを考える必要がある。
結論からお伝えすると現代では「心とはなにか」ということをつきとめることはできていないらしい。

「心とは何なのだろう?」
心を考える時に大きな要素となるものは、喜怒哀楽といわれる感情だろう。この感情とは何か?
私は一つの大きな要素としては「生存本能」であると考えており、生存本能をベースとして喜怒哀楽という感情が生まれるのではないかと考えている。
しかしこれはマイナスの感情、マイナスをスタートとした感情だと考えられる。

じゃあユニバース25という実験のようになんの不自由もない生存が確実に保証された世の中になった場合に感情が生まれないのかというとそうではない。
今の日本において生存を脅かすようなことはほとんどなくなっているにも関わらず、ほとんどの人間は感情によって行動している。

これを考えたり、説明したりすることは私の知能では難しい。強いて伝えるなら「脳のバグ」とでも言っていいのではないだろうか?
そうとでも言わない限り説明できないのが感情であり、バグを発生させながら活動することが可能になれば人工知能は生まれるのではないだろうか。

という私の考えはおいておいて、本書で書かれている内容を少しだけ要約させていただくと、私たち人間は私たち人間の能力を基準に考えシンギュラリティとか、AIとかを考えている。
そしてその判断をしているのはやはり人間であり、その判断は本当に正しいのだろうか?必要なのだろうか?

人間を基準とした考えではなく、人間もAIすらも俯瞰する存在になることが必要なのではないのだろうか?

基準をつくらなければ評価はできないが、その基準で上下をつくること自体が実は視野や選択肢を狭めている可能性に気付いているのか?
例えば、経営者や稼いでいる人の中で、安いお店や民度の低い人とは付き合わないって、私が付き合うに値しないって思い込んでる人ってよく見かける。
その事自体が本質を捉えていないし、成功していることが運やタイミングに過ぎないことに気付いていない。
稼げている人だってそうだ。たまたま得意なことを見つけられてたまたま生きている時代に合っていただけ。

偉くもなければ、すごくもない。
この前提を持った上で選択することが大切だとは思うし、選択肢を狭めないために必要なことだと考えている。
ただ、そもそも気付くことが良いことなのかすらもこの時代においては不明確だけど・・・。 

そんな中で本書でも書かれている『思弁的実在論』が同じようなことを証明している?証明しようとしている。
要は世の中に起きている全てが「偶然的に起きている」と考えている。

成功や失敗において「因果応報」
確かに過去の行動が今に繋がっているし、今の行動が将来の自分を形成することは理解できる。
しかし100%そうだろうか?

きっと違うだろ?
30%を80%にすることはできるかもしれないけど、100%にすることは絶対にできない。この差が運であり、タイミングであり、「偶然的に起きている」ということを言える理由だともいえる。

とはいえ、逆に物理や化学のようにほとんどのモノゴトは何回やっても私たち人間が生きている間では不変的なことであり、そう考えると世の中のほとんどのことは安定しているといえる解釈もできる。

じゃあこの解釈の違いは何かということになるけれども、「変数」である。
その瞬間瞬間で必ず決まった結果になることと必ず異なることが混在している。それを含めて考えてみると変数がある限り、世の中は偶然的に起きていると考えてもいいのかもしれない。
ここまで考えた時に結局のところ、自分の見えない世界、考えられない世界があることが前提となるからこそ、この見えない世界において「不変」なのか「変数」なのかは人それぞれの解釈になることは分かるよね。

ここで私たちには2つの選択肢がある。
だったら動かないほうがいい、挑戦しないほうがいいと思うか、だからこそチャレンジする方を選ぶかは各々の見ている未来と考え方でしかないし、どちらでもいいと思うが自分で決めることが重要になる。

話がそれてしまったが、AIについて考えるということは私たち人間とは、どんな生き物でおるかも同時に考えなければならないと感じる。
人間はどこまでいっても「主観的な生き物」であることは変わらない。

そして私が先ほどお伝えした考えが本書にも書かれている。『生命体は過去の記憶にもとづいて「運=潜勢力」による変化に対処、不可知を「偶然性=潜在性」から性起する未知の出来事への対処』
更に生命体とは自律系であり、その作動ルールを正確に知ることができないこと。これが機械と人間の違いであると定義している。

じゃあ目の前の相手が人間かどうか、自律的に思考しているかどうかってみんなはどう判断してる?
ここで本書で議論に出していることは『自律系なのか他律系なのか』という論点である。
じゃあみんなが思っている自律系って本当に自分で考えたことなのだろうか??そもそも今自分がいる環境によって植え付けられた知識を元に判断していると考えれば、自律系か他律系かを判断する要素としては、自分にとってどの段階、タイミングでの情報が・・・どのレイヤーや階層の情報なのかを考える必要があるように感じる。

なぜこのような議題がでるかというと、当然、AIが起こしてしまったことに対する責任の所在についてになる。
アルゴリズムやプログラムによって判断し行動しているAIは自律系と言えるのか、もし自律系と定義できたときに責任をもたせることができるだろうか。

その判断に倫理的な考えや要素が含まれているのだろうか。じゃあそもそも倫理とは何か。俺は実に曖昧なものだと考えている。
結論、その判断に対して多数の人が「納得する」かどうかだと考えており、それ以上でもそれ以下でもない。
倫理とは、それくらい曖昧なものでなんとなく決められている。要は倫理に答えなんてないんじゃないかとも思う。

AIやロボットの普及において切っても切れないような問題に感じるが、上澄みや末端部分でいくら議論したところで答えなんて出ない。
ここで大切なことは「前提はなんなのか」ということだ。

本書でも「前提」が重要だと書かれている。
例えば自律性についても『自ら行動のルールを定めること』という点が前提にある以上、人に作られたコンピューターや機械は他律系でである。

じゃあ自律性の根本となるモノは何か?それは心だ。じゃあ心とは?
本書では『身体的な行動の歴史から経験によって生み出されるもの』という考えもあるらしい。
更には人間は『リアルタイムで現在にリアルタイムで生きており、身体をもっていま刻々といきている』存在である。

本書を通して「AI」をベースに「AI」とはという視点で考え書かれているように思った。
でも逆に「人間」をベースに「人間」を中心に考えたらどうだろう??

例えば、人間が持っていると思っている自律性とは何か?
自律性とは自ら行動のルールを定めることであると本書にあり、他律性とはデータや確率によって他者が設定したものという解釈があり、自律性と他律性の解釈や捉え方に対しても大した違いがない可能性がある。

人間が思う自律性だって過去の経験や知識、環境によって他者から植え付けられたものであり、唯一の違いは一人によって植え付けられたものなのか、複数人によって植え付けられたものなのかの違いであり、一人によって植え付けられたものであれば責任はその一人が取ればいいかもしれないが、複数人、環境によって植え付けられたものなのであれば、それは果たして自律性といえるのだろうか!?

要は人間とAIには大きな差がなく、その思考や行動に移させた要因が個体なのか複数なのかの違いであり、全ての行動が因果関係に基づくモノであり、その因果関係の先のものによって自律性か他律性かの違いだと感じた。

そしてもっとわかりやすくお伝えすると、人間は過去を強く考える生き物であり、AIは今ある過去のデータを元に一つの答えを導き出すものだとも言えるのではないだろうか。

本書を読むにあたりかなり考えさせられたし、気軽に読めるような密度ではなかったように感じるけど、かなり考えるきっかけになったような気がする。


最後まで読んでいただいてありがとーござい「まつ」。

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でわでわ!まつでした。またね。

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