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「〇〇歳までに〇〇しないと人生詰む」言説の心理構造。
「〇〇歳までに〇〇していないと人生が詰む。」
というポストはよく見かける。
そもそも「詰む」がどういう状態を指すのか、どのような根拠によるものなのか、などの疑問が多く出てくるが、ここでは内容には触れない。
内容よりも気になることがあるからだ。
それはその投稿がされた意図。
そういった投稿には強いあるいは挑発的な口調、が使われることが非常に多く、罵倒のような言葉が含まれたりする。
また、「勝ち/負け」「成功/失敗」のような階層化を促したり、二元論的な見方に読む人をはめ込んでいく。
投稿者は、そのような投稿に時間を割く以外にもすることの選択肢はいくらでもあるのに、あえて炎上するようなことを投稿する方を選択するのか。
それは炎上が目的だから。
このように短絡的に議論を引き起こすことで、あるいは炎上することで得られるのは、他者の承認とお金だ。
賛成でも反対意見でも、その投稿のインプレッションや影響力を増加させる。
投稿がされた意図・理由
まず、「〇〇歳までに〇〇した」者として自身を位置付けることができる。
自分の中でただ思っていればいい、あるいは大して誰も読まないような場所で書けばいいことを、わざわざ炎上を狙って投稿する。(「狙って」と書いたのは、こういうアカウントの多くが、そのような意図を確実に持って「定期的に」投稿しているからだ。だから、ほとんどは偶然炎上したのではない。)
(炎上により)大勢の他者の目を通して、「成功」者側としての理想的な自己像を強化することができる。
また「〇〇歳までに〇〇していない」自己像の外部への投影の可能性もある。自らの中にある「〇〇していない」自己像を否定することで、理由をその一点に集中させることで、安心できる行為でもある。
いずれにしても、その自己定義を独りで/自分の中で行うだけでは不十分で、大勢の他者がいることで「世界」における自身の立ち位置を確認する。つまり、炎上までしてそのような大勢の他者の承認がないと、自己の言説は成り立たないと思っていることの裏返しでもある。
また、投稿者自身に内面化された厳しい「世間の声」「審判」が、そのまま外部に発せられている可能性もある。
自身の中にある「〇〇しなければならない」という不安の表出だ。これは仮に投稿者が〇〇歳までに〇〇していたとしても、内面化された「世間の価値観」はその人自身に命令し続ける。
もし〇〇歳までに〇〇しなくても人生が詰んでいない人がいたとしたら、自身の行った〇〇が意味を為さなくなるようにも感じてしまうのかもしれない。
そういった投稿者にとってSNSの"良い"ところは、
・「〇〇歳までに〇〇することが正しい」という価値観を支持する人々からの共感を得ることができる。
・「〇〇しない者は詰む」と宣言することで、自らの努力の正当性を再確認できる。
・反対意見さえも、「〇〇しない人間はこういう反論をする」という確信を深め、自己の信念を補強することができる。
どんなコメント・意見が来ようとも、自分の言葉が影響力を持っている証拠として機能し、快楽を生む。
その上で「世間」的には他者の承認の具体的な形の一つである「お金」になる。
攻撃的な物言い、炎上目的の投稿がやめられなくなる所以の一つなのだろう。
まとめ
投稿者は、「〇〇歳までに〇〇しない者」を批判しているように見えて、実際には「〇〇歳までに〇〇しなければならない」という内的命令に縛られている自分自身と戦い続けている可能性がある。
この戦いは内面的には完結せず、SNSを通じて「世間」の中で高インプレッションを通して確認作業が繰り返し為される。そういった大勢の他者の承認がなければ、自身の投稿の言説がそれ自体では成り立たないこと(「自信がない」こと)を暗に示している。それでお金を得られることが、その繰り返しをさらに後押しする。
私には、そんな「症状・症例」に見えた。
そして、このような考察をする私自身にも「意図」があるのだろう。
その投稿と自身の中にある価値観との衝突による違和感の表明でもあり、社会的な価値観・命令に対してどのように関わっていくのかを再定義するプロセスでもあり、より自由な思考の獲得を目指すものなのかもしれない。