見出し画像

ワインに深入りしないワインの話(1)~ 天ぷら屋さんでトンカツを頼む人

ことしも、ボジョレー・ヌーボーがやってきます。
 
一時期、「濃いヌーボー」というキャッチフレーズの付いたボジョレー・ヌーボーの販売が行われていました。
大手スーパーが競ってチラシやHPでそんな告知をしていたのは、つい数年前のことです。
 
新酒は、できたばかりの溌剌とした瑞々しさを愛(め)でるのが主眼です。季節の風情を五感で感じることが目的です。
風流人の粋の領域といってよいかもしれません。
 
風流人は多くないはずなのに、それを大衆化しようとするから無理が生じます。
 
梅のほころびに対して、「もっとワーっといっぱい咲けばいいのに」とか、桜の散り際にあって、「そんなに簡単に散らずに、何週間も咲き続けるべきだ」と言う人がいたら、誰からも相手にされないでしょう。
 
ところが、「濃いヌーボー」という真逆の仮想物体(=化け物)を求める「お客様」に、過剰な「おもてなし」精神を発揮してしまったのが、「濃いヌーボーあります」という「散らない桜」だったのです。
 
いまから思い出してもぞっとします。
 
ボジョレー・ヌーボーでは、渋味のない若々しさを引き出すために、あえて濃くない酒質になるような醸造法(炭酸ガス浸漬法)を採用しているのはご存じの通りです。
 
最初からそのように造っているのに、それと正反対を求める声をたしなめるどころか、無理を承知で応えようとする、あるいは、(上司または組織が)無理と知らずに応えるように命ずるところに、我国ワイン市場の辺境地としての宿痾を感じます。
 
「濃いヌーボー」を追い求めるのは、上品な天ぷら専門店でトンカツを揚げてくれと頼むようなものです。
お世辞にもお行儀の良い作法とはいえません。
 
今年は、そんな奇行が沈静化しつつあるのでしたら、それは一応安堵の材料といえます。
 
もっとも、為替レートと購買力の低下のせいで、海外の産地に無理難題を押し通せなくなったのが真因かもしれません。
 
だとしたら、やっと実現したヌーボー市場の正常化の立役者は、国力の低下だったということになります。
 
ワインなど飲んでいる場合ではないって? 
飲まずにやってられないというべきでしょう。


いいなと思ったら応援しよう!