決められた死刑宣告と突然の死
人はいつ死ぬかわからない。
こうやって文章を打っている次の瞬間に心臓が止まるかもしれない。不慮の事故がおきるかもしれない。
案外人はあっけなく死ぬ。
先日、私の人生で程々に影響を与えてくれた男性がなくなった。70歳だ。大腸がんで死ぬ前の1週間はモルヒネをずっと打っていたそうだ。
死ぬことがわかっていたかどうかわからないが病気で死ぬこともいつそうなるか自分では図り知ることは出来ない。
予防してても病気にもなるし事故にも合う。先述の通りだ。
私の死はいつくるのだろうかと考える。
明日とは全く思っていない。
多分何十年単位で考えてやっと先にあるだろうって安堵している。
それでもいつ死ぬのかわからないから死の宣告がなされた時、初めて実感するのだろう。
私に影響を与えた男性は
詳細にいえば「自分が主体的に動けば周りがそれに伴って動く」ということを教えてくれた人だ。
場所は建設会社。
工期内でみんなが日々を時間の消費として過ごしている中でその人は人一倍細かく、人一倍動いていた。
それを疎ましく思ったり定時内に無駄に疲れるだけだと揶揄した人もいた。
しかしその人は止まらなかった。動かないもののおしりをたたき!頑張れと鼓舞もとった。
そのお陰で回る仕事が多かった。
私はその人の真似をすることが多くなった。
敵も多くなった。ダンプの運転手に首根っこもつかまれた。あの現場はめんどくさいとも言われた。
しかし結果は確実についてきていた。
そして自分も自分の意義をもって取り組めていた。
私は結局、9年従事してその仕事を辞めることになったが、男性は私をずっと見てくれていて心から信頼してくれた。
自分の行動は常に誰かに見られている。
気にすることないとは思うが、どう見られているかは人によって変わる。
どんな人にどう思われようと勝手だが、
自分が主体的に動くことはマイナスなことなど何も無い。
とかく忘れがちだし、私も何度も忘れてしまうが
自分が常に自分の為に努力し、精一杯を出し切ることが重要なのだ。
主体的に生きることで私自身の意義も見いだせる。
環境や背景は違えどやることは同じ
常に自分が動くこと
それだけは変わらない大切な生き方だ。