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東北を出た僕が再び地元へ戻り、家業の工務店を継いだ理由
2020年5月、コロナ禍真っ只中に僕は家業の工務店を継ぎ、株式会社あいホームの代表取締役社長に就任した。学生時代を首都圏で過ごし、他県の住宅会社で営業経験を積んだのち、地元宮城へUターン。
事業を営む一家の長男として絵に描いたような人生だが、実は、大学3年生まで地元で家業を継ごうという強い意思はなかった。
都会で満ち足りた生活を送っていた僕が、なぜ地元へ戻り、あいホームの社長となったのか。その背景には、自分でも気付いていなかった地元への思いがあった。
木の香りに包まれて過ごした幼少期
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あいホームの前身である株式会社伊藤ベニヤ商会は、もともと僕の祖母である伊藤ふみが立ち上げた会社だ。物心ついた時には、祖母から父へと代替わりしていたが、祖母とはよく会社の未来について話していた。
「将来は、けんちゃんが社長になるんだよ」と言われたのを今でも覚えている。幼少期の僕は将来やりたいこともなく、ただ漠然と「(会社を)継ぐことになるんだろうな」と思っていた。それ以外の選択肢が見えなかったのだ。
それもそのはず。家業は小さい頃から僕の日常に溶け込んでいた。
大工さんが木を切る音。製材された木の香り。ウィーン、とフォークリフトの機械音が鳴り、トラックが木材を運んでいく。
それが僕の日常だった。
かといって、木工工作に興味を示すことはなく、好きな遊びといえばテレビゲーム。会社の倉庫で、作業がない時間帯に弟と卓球をすることもあった。
小学校に上がると、会社の事務所で宿題をする毎日。働く大人たちが「けんちゃん」と声をかけてくれた。
当時は、家に住んでいるというより、会社に住んでいるという感覚の方が強かったかもしれない。
今でも深く思い出に刻まれているのは、時々倉庫で開かれた宴会。大人たちに混ざってジュースを飲む時間は、幼かった僕にとってワクワクするものだった。今年の春から倉庫で開いている「カレーの会」はそこが起源だ。
建設している住宅の骨組みが完成すると、上棟式といって、みんなで紅白餅をまく。それを拾いに行くのも楽しみだった。
そんな生活を送っていた僕には「社長」と「大工さん」以外の仕事は想像もつかなかった。
高校で都会に出て知った「地域格差」
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よく田舎が嫌で上京するという話を聞くが、僕は地元を嫌だと思ったことは一度もない。しかし、高校へ進学するタイミングで結果的に地元を出ることになった。
僕が理想とする環境が、たまたま県外にあったからだ。小学校では野球、中学校では柔道に打ち込んできた僕は、部活動にも勉強にも全力で取り組める環境を求め、調べるうちに神奈川県横浜市の高校にたどり着いた。
今思えば、自分にとって居心地の良い世界=コンフォートゾーンから出てみたいという好奇心があったのかもしれない。
初めて足を踏み入れた都会は別世界だった。特に強く感じたのは情報格差だ。最新情報へのアクセスのしやすさも、情報が駆け巡るスピードも段違いだった。
高校で入ったラグビー部では、実績豊富なコーチのもと、科学的根拠に基づいた正しいトレーニング、正しい食育が行われていた。試合で良いパフォーマンスを発揮するためのメンタルマネジメントもそこで教わった。
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野球でも柔道でも、がむしゃらに頑張ることしか知らなかった僕にとっては衝撃的な体験だった。なぜ都会にある指導体制が、地元にはないのだろうと、そこで初めて地域格差に対する違和感を覚えた。
都会には当たり前に存在するノウハウが、地元にもあればいいのに。当時、潜在的に抱いた「地元をより良くしたい」という感情が、のちに僕が地域貢献に乗り出す根源となる。
ただし、その時点では、地元に戻って何かをしたいという強い思いはなかった。
充実のキャンパスライフは誰のおかげ?
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ターニングポイントが訪れたのは、大学3年生の時。就職活動期に入り、家業に向き合うべき時がやってきた。
会社を継ぐか、別の道を生きるか。
そのことで、父とは1年ほど喧嘩をし続けた。子どもの頃は会社を継ぐ未来を想像していたが、大人になってその未来が現実味を帯びると、親に敷かれたレールの上を歩くことに葛藤が芽生えたのだ。
しかし、その葛藤が消える瞬間は唐突に訪れた。
当時の僕は、充実したキャンパスライフを送っていた。かけがえのない友人に囲まれ、勉学、スポーツ、アルバイトに励む日々は青春そのもの。毎日が楽しくて仕方なかった。
そんなある日、実家で父と酒を飲みながら話す機会があった。会話の内容は、やはり家業のこと。いつものように父は言った。
「(あいホームの)社長の肩には、150人の生活がかかっている」と。
当時のあいホームの従業員数は約50人。その家族まで含めると約150人いた。
それまでに幾度となく聞かされてきた言葉だったが、その日はやけにスッと胸に入ってきたのだ。
今、自分が謳歌している青春は、楽しくて仕方ない日々は、誰のおかげであるのか。自問自答した時に、幼い頃、会社の事務所で「けんちゃん」と呼びかけてくれた大人たちの顔が浮かんだ。
彼らが働いたお金で自分は何不自由なく暮らし、大学まで行くことができている。そう思い至った瞬間、それまで抱いていた葛藤は消え、妙な納得感が湧いてきた。
あいホームで働く人たちに恩返しがしたい。その一心で会社を継ぐことを決意した。
人生の決断を支えた故郷の存在
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そこからはトントン拍子に事が進み、全国の住宅会社に精通する知人に相談し、山形県にある住宅会社の就職試験を受けることに。面接では「うちの会社、厳しいけど大丈夫?」と聞かれたが、決意を固めた僕は自信を持って「はい」と答え、無事に内定をもらうことができた。
その時、大学の友人はちょうど就職活動の真っ只中。業界研究や自己分析に勤しみ、誰もが知る人気企業に応募していた。でも、不思議と決意が揺らぐことはなかった。
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「けんちゃんならできる」。スポーツの試合前や、学校のテスト前に祖母がよく言ってくれた言葉だ。
祖母はいつも誰かを応援しているような人で、家業を継いだ父の経営を応援するために、75歳で宅地建物取引士(通称、宅建)の資格を取得したほどだ。
そんな祖母の応援を幼少期から存分に浴びてきた僕は、人生において思い悩むことはほとんどない。
地元である加美町の風土もそうした僕の気質に大きく影響している。海も山もない、波風の立たない平穏な故郷は、気持ちをまっさらな状態にリセットしてくれる。
穏やかな故郷の存在が、僕の挑戦を支えてくれたのだ。
会社から宮城、宮城から東北へ
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こうして、僕はあいホームの社長となった。
コロナ禍で目まぐるしく変化する社会で、いかに会社を成長させていくかを追求する社長業は、想像以上に僕に向いていた。世の中のあり方が急激に変わるドサクサのなか、劣勢から這い上がっていく状況に不思議と力が湧いた。
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会社を変えようと走り続けるなかで、僕自身の心境にも変化が生じた。最初こそ、あいホームで働く人に恩返しをしたいという思いのみで家業を継いだが、仕事を通して地域と関わるうちに恩返しの対象は東北全体へと広がっていった。
「最高のホームをつくろう」
2022年、会社のみんなで何度も話し合って決めたスローガンだ。
「ホーム」には3つの意味が込められている。1つ目は、お客様にとっての「マイホーム」。2つ目は、地域の人にとっての「ホームタウン」、いわば故郷だ。そして3つ目は「アットホーム」。あいホームに関わる全ての人と温かい関係を築きたいという思いを込めた。
その根底には、学生時代から僕が持ち合わせている性がある。僕は、気が付いたらいつも誰かの「居場所」になっていた。
高校時代に暮らしていた寮の部屋も、大学時代に弟と共用していたアパートの部屋も、いつの間にか友人たちのたまり場になっていた。今振り返ると、無意識のうちに居心地の良い空間をつくっていたのだと思う。
お客様にとっても、地域の人にとっても、居心地の良い「ホーム」をつくりたい。その思いから、住宅の建設・販売に加え、ライフワークとして地域を盛り立てるための活動を行っている。
その一つに、地元の企業同士や企業と個人をつなぎ、新たな価値を生み出すことを実践している。
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2023年は、地元の米農家・酒造・画家と協力して、一つの「酒」をつくった。地元のきれいな水で育った米を、地元の酒蔵で醸して生み出した酒。ボトルのラベルには、東北の豊かな自然から着想した美しい原風景が描かれている。
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この「酒」をきっかけに、地元企業・地元で活躍する個人の魅力に気が付く人が一人でも増えたらという思いで企画を考えた。
「自分が生まれ育った故郷に恩返しがしたい」
記事を読んで、この思いに共感してくれた方は、ぜひ一緒に東北を盛り立てよう。
編集/三代知香
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