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スタートアップのマーケット論その1:「大きなマーケット」とは何か

テックスタートアップのベンチャーキャピタルへのピッチ資料には、チーム、プロダクト、ビジネスモデルなど様々なことが詰め込まれていると思いますが、その中の一つで意味があるのかないのかよくわからないと思われがちなのが「マーケットサイズ」です。

起業家の皆さんはVCに「ちょっとマーケットが小さいなあ」などと言われ、「そしたらちょっと市場規模増やしとくか」と無理やり計算したり関連市場を増やしたり、「これ意味あるのかな」ともやもやしたりすることが多いのではないでしょうか。

マーケットサイズの算出は主に、a. 自分の意思決定のために行う時(事業選定)、b. 他人を説得するために行う時(主にピッチ)、に行います。a. 自分の意思決定のための市場選定を"正しく"行う事は非常に重要ですのでこの記事を書くことにしました。

多くの起業家の方はすでに市場選定が終わっていると思いますので、参考までにお読みください。b.他人を説得するために行う必要があるなら、割り切ってあまり時間をかけずにマーケットサイズを考えるといいと思います。

マーケットサイズは大切なのか

SequoiaのファウンダーのDon Valentineが下記の講演でこのように市場について話しています。

We have always focus on the market, the size of the market, the dynamics of the market, the nature of the competition because our objective always was to build big companies. If you don't attack a big market, it's highly unlikely you're ever going to build a big company.
我われはつねに市場を重要視してきた。マーケットの大きさ、マーケットダイナミクス、競争環境。なぜならば我々の目的は常に大きい企業を作ることにあるからだ。大きい市場で勝負しない限りは、大きな企業を作ることができる可能性は限りなく低い。

DCMでも投資検討をする際に市場がどれだけ魅力的かという判断はとても大切にしています(マーケットサイズは市場判断の一部です)。一方で、マーケットサイズは時に重視されすぎたり、時に軽視されたり、起業家、投資家、事業会社で考え方にズレがあることも散見されます。
そこで、本記事では僕のマーケットサイズの考え方、マーケットサイズを元にした意思決定のあり方、について書きたいと思います。

まずは難しさやいくつかのよくある誤解について。

将来の市場規模を算出することは難しい

スタートアップは新しい市場に挑戦すること、世の中にはない新しいプロダクト/サービスをつくることが多いです。そのため、正しくマーケットサイズを算出することは容易ではありません。

よく、市場規模の算定に世の中に出回っているレポートなどを参考にする方がいます。ただ、果たして世の中のレポートに依存することは正しいのでしょうか。

例えば、1980年代初頭、McKinseyが電話会社最大手のAT&Tとのプロジェクトで2000年の米国での携帯電話の市場規模を算出したことがありました。そのプロジェクトの結論はこうです。

「携帯電話は、驚くほど重く、バッテリーは充電切れになりやすく、通信エリアはまばらで、電話代が高い、したがって20年後に米国で普及している携帯電話の"予測台数は90万台"である」

しかしながら、1999年末の"実際の"携帯電話の普及台数は1億900万台でした。未来を予測することはあらゆるリサーチ、頭脳をもってしてもとにかく難しいのです。

このような未来予測の難しさは他にもいくつも例があります。下の例は太陽光発電の普及の予測。色がついている線がIEAという団体による予測で、黒い矢印は実際の普及です。毎年毎年「もうこれ以上は伸びない」というIEAの予測を、上回り続けています。

このように、コンサルやシンクタンクによるレポートの、新しい産業、新しい製品についての将来予測は難易度が高いです。

そして、そもそも起業家として大切なのは、ピーターティールが言う「賛成する人がほとんどいない、(自分にしか知らない)大切な真実」があるかどうか。自分がやろうとしている事業への理解、ユーザーについて理解、誰よりも深く自分にしか知らない真実がある起業家なら、自分の意思決定のためにはコンサルのレポートを参考にする必要はないかもしれません。

ただし、マーケットサイズは前述した通り自分の意思決定のためだけではなく、他人を説得するためにも使うと思います(資金調達や社内への説明)。そういう時は第三者のレポートを割り切って使えばいいと思います。
でも忘れて欲しくないのは、一番大切なのは自分の意思決定、自分への説得です。

精緻に計算して間違えるのではなく、ざっくりと正しく

TAM(total addressable market: 市場規模みたいな数字)を正確に計算することは当事者ですら難しいです。Uberがシード期で使っていたピッチ資料に市場(当時のタクシーとリムジン市場)を記載したページがあります。そこには全体の市場規模の"予測"は$4.2Bと記載されていますが、2019年の"実際の"Uberの取扱高はその15倍の$65Bあります。(Uberの売上の6割以上は北米です)

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例えばUberのシード期のピッチ資料に書かれている数字が、$10Bなのか、$2Bなのか、それによってスタートアップの投資や事業の意思決定が変わるとしたら、少し市場規模を重視しすぎではないかなと思います。

Uberの投資家のBenchmark CapitalのBill Gurley (Uberの社外取締役もつとめました)もTAMの分析を重視しすぎている。」と苦言を呈していました

マーケットサイズにおいては、バフェットがよく引用するケインズの言葉、Precisely wrong (精緻に計算して間違える)よりVaguely right (ざっくりと正しい)ことを意識するのがいいと思います。

自分の意思決定のためにはざっくりと正しいと信じられるかどうかを重視して、"ピッチ資料に書くための"数字を作るのに時間を使いすぎないようにしましょう。(自戒を込めて、投資家はその数字をもとにして投資を決めないようにしましょう。)

では、ざっくりと正しく市場が大きそうか小さそうか、どのように判断すればいいでしょうか。

よくある誤解: 産業の規模 ≠ 市場規模

ざっくりとした判断の仕方の前によくある誤解を紹介します。大きい市場というときに、どのような市場を思い浮かべるでしょうか。自動車、建設、不動産、医療、物流、いろんな業界が頭に浮かぶと思います。

ただし、世の中でよく言われる"大きい市場"とは往々にして"大きい産業"(=その業界で生産されているモノやサービスの総量が大きい)という誤解が散見されます。
大きい産業の中の小さな事業(小さな市場)もあれば、小さい産業の中の大きな市場も存在します。市場の大きさは、産業規模ではなく、プロダクトやサービス、ビジネスモデルによってかわります。

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参照: https://stat.visualizing.info/msm

例えば上にある"規模の大きな産業"であっても、事業者数が限られていたり、ほとんどシステム費用がない産業、システムによる効率化やインセンティブが少ない産業などは、ビジネスモデルによっては市場が大きくないこともあります。

簡単に医療を例にとってみましょう。上記が市場規模として参考にしている国民医療費は43兆円(平成29年度)です。上の例だと「4番目に大きい市場」となります。国民医療費43兆円の主な内訳は、病院が22.0兆円(入院15.8兆、入院外6.1兆円)、診療所が8.8兆円、歯科が2.9兆円、薬局調剤が7.8兆円です。

もしクリニック向けのSaaS企業があったとします。8.8兆円市場をターゲットにする医療向けのSaaS、いかにもTAMが大きそうに見えます。

しかし、細かくみると一般診療所の数は平成30年3月時点で約10万施設です(中には診療をアクティブに行っていないところも含まれますが簡単な計算のため無視します)。もし、そのSaaSが月額1万円だったとします。するとそのSaaSの市場規模は1万円x12ヶ月x10万施設で120億円です。

8.8兆円もある巨大産業でも、プロダクトやビジネスモデルによっては途端に市場が小さくなってしまいます。産業規模=市場規模、ではないのです。

市場規模の算出には、トップダウン(産業の大きさからブレークダウンする)アプローチと、ボトムアップ(ユーザーから積み上げて算出する)アプローチがあります。どちらが正しいという訳ではないですが、僕はボトムアップで考えるタイプです。

ボトムアップアプローチによる市場規模

ボトムアップアプローチでざっくりと判断するときは端的に下記のように考えています。(それぞれ厳密には計算できないので"イメージ"です。)

# of user: ユーザー数
WTP (Willingness to pay) : ユーザーが払ってくれるお金
Growth: 市場の成長率

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1. ユーザー数: 欲しがるユーザーはいるか。小さく始めて、大きく広げられるか

まず、欲しがるユーザーがいなければ、どんなに大きそうな業界で事業をやっていても、マーケットサイズはゼロです。ユーザーが多ければ多いほどマーケットサイズが大きいというのは誰もが疑わないと思います。一方で、マーケットサイズを広げようとするばかりに、漠然としたターゲットユーザーにすることは避けてください。

シリコンバレーの多くのVCが"Start small" (小さくはじめろ)と言います。こちらのSequoiaのJim GoetzのプレゼンテーションのタイトルもThink big, but start smallです。Google, Youtube, Yahoo!, Facebookなどを例に出し、最初は市場を小さく絞れと繰り返します。 

ただし、ターゲットにできそうなユーザー数が小さければいいわけではありません。ニッチサービスと、ニッチから始まった巨大サービスの違いは、その後ユーザー数を拡大できたかどうかです。

下記の引用はY Combinator時代のSam Altmanのものです。

You have to find a small market in which you can get a monopoly, and then quickly expand.
小さい市場を見つけてそこで独占し、その後すぐに市場を拡大しないといけない (Sam Altman)

なので"ユーザー数"の検討のポイントは、"ユーザー数は今フォーカスしているユーザー以外にも広がるのか"です。ここで、いきなり大きな市場がないといけないと思いすぎて、あまりにも広すぎるユーザー層をターゲットしていないか注意してください。

2. WTP: ペインポイントやニーズはあるのか

WTP (Willingness to pay) : ユーザーが払ってくれるお金は、ユーザーがどれだけ困っているか、どれだけ夢中になっているか、どれだけそのプロダクトを欲しがっているかで決まります。

いくらお金を払ってくれるかどうかは、今ユーザーが使っている製品の価格やコストを参考にしてもいいかもしれません。競合製品かもしれませんし、同じ市場ではないけど同じ効果を得るために払っているコストかもしれません。後者で言うと、先述したUberの投資家Bill GurleyがUberのTAM分析で使っているWTPは、車を持つ人が払っているコスト(保険料やガソリン代など)です。ZoomのWTPは飛行機代や経営陣の移動コストだという考えもあります。(Bill Gurleyは1994年のFAXのレポートでビデオ会議と航空機の価格を比べていました)

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ここで注意したいのは、いくらプロダクトが刺さっていて、多くのユーザーに認められていたとしても、安く値段をつけすぎて自分でマーケットを小さくしているケースがあることです。既存プロダクトの1/10の価格ということは、既存プロダクトより市場が1/10であるということになります。

1.ユーザー数と2.WTPは、つまりPMFがあるかどうか、です。PMFがなく誰も欲しがらなければユーザー数はゼロ、PMFがなければユーザーが払ってくれるお金はゼロ。つまりPMFがなければ、狙っているマーケットサイズはゼロです。

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3. Growth: 市場がどれだけ大きくなるか、ユーザー行動やテクノロジーの変曲点を迎えているか

これが巨大になったテック企業に共通することで、その市場自体が大きくなり続け、その企業の成長の要因の多くの部分は市場自体の伸びであるということです。

1.ユーザー数と2.WTPは主に現在の市場について、3. Growthは将来の市場についてです。これが一番難しいパートです

ストレージサービスBoxの創業者のAaron Levieのtweetです。

革新的なサービスの市場規模をはかるときに既存市場の大きさをもとにするのは、「馬が何頭いるか」をもとに1910年に自動車市場の市場規模をはかるのと同じ。

Googleの初期従業員で、Gmailを開発し、Google AdSenseのプロトタイプを開発したPaul Buchheitの言葉です。

(巨大なテック企業になるためには何が必要かと聞かれて)
Google, Netflix, Amazonのようになるために必要なことは、指数関数的な変化の上で事業を行っている事。インテルや初期のマイクロソフトやアップルは"マイクロコンピューターの勃興"という変化の上で事業を行っていた。マイクロコンピューターがなければ、マイクロソフトは当然成功していなかった。Googleも同様で、Googleは"インターネットの成長"という変化の上で事業を行っていた。オンラインでの情報が指数関数的に増える事で、Googleの使いやすさは増していった。

よく起業家の方には"Why now" (なぜ今だから成功するのか)と聞くことがありますが、その質問を言い換えると、「どんな指数関数的な変化が今後起きると考えているか」です。

"Why now"は市場を考える中で最も大切だと思っているので別記事にしました。

Uber, Dropbox, Facebook, Slack, Stripeの創業者が語るそれぞれの"Why now"と、"Why now"の考え方について書いたのでご興味ある方はご覧ください。

隣接市場はTAMとして考えるべきか

TAMの計算と同じように、よく最初のプロダクトからの将来の展開、隣接市場を練る方も多いと思います。確かに実際にAmazonやGoogleはそれぞれ本と検索エンジンからスタートしてカテゴリを広げてきましたし、ライドシェアのUberにおけるフードデリバリーの売上の割合は大きくなり続けています。
初めから隣接市場 (adjacent market)を考えるのもいいですが、まずは何よりも最初のサービス。マーケットサイズを初期に考えるときにも、絵に描いた餅になりがちなので、まずは最初のマーケットの解像度だけを高めることが大切かと思います。最初のドミノが倒れないと始まりません。隣接市場をどう捉えるかはまた別の議論としてとっておこうと思います。

まとめ

マーケットサイズは当たり前ですが、大きい方がいいです。ただ、その大きさを信じるのは、誰よりも起業家自身(そしてそれを信じる従業員と投資家)であるそのマーケットについて理解しているのは、起業家自身ではないでしょうか。

ですので、あまり"計算"自体を精緻に行うことに時間は使わず、PMFがありそうなのか、"Why now"は何かそれを考えていただけたらと思います。

ユーザーのペインポイントやニーズは大きい、この市場は大きくなる、その信念があるなら第三者のレポートではなく自分を信じてください。

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