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5/14 特別セミナー「The Underground music scene in HK in a ‘Post-Hidden Agenda’ period」レポート 後編

Hidden Agendaの活動(2009~2017)

Hidden Agendaも、まさにこの工業ビルをめぐる再開発の変移とともに生まれ、展開し、消えていった文化空間だと言えます。Hidden Agendaは、2009年に観塘の工業ビル「Yeung 58」に住んでいた実験的音楽の愛好者たちによってスタートしました。最初は個人のアパートにライブ機材を持ち込みライブハウスとして使ったことがはじまりでした。それ以降、3回の引越しともに拡大していいき、四つの場所での営業を経て2017年に閉店することになりました。私がHidden Agendaに関わっていたのは第2期(2012~2015)で、主な役割は警察対応でした。香港警察には警察市民課があり、市民の様々な活動に対する取り締まりを行っています。香港では、ライブハウスの運営には、興業許可や酒類販売許可が必要ですが、Hidden Agendaはいずれも申請することなく運営を続けていました。その理由は、興業許可に必要とされる法的・設備基準が設けられた場合、家賃や経費の負担が格段に重くのしかかり、商業目的でない実験的な音楽シーンを目指すHidden Agendaの運営方針では到底存続不可能だったからです。

Hidden Agendaの一回目の立ち退き理由は入居ビルの売却でしたが、次の場所に移転して一年もたたないうちに今度は営業許可の問題で行政から再度立ち退きを迫られました。そこで、2012年に私たちが中心となって過度な規制、高騰する家賃問題とその原因としての再開発、そして行政の執拗な立ち退きに対抗するメディア・キャンペーンを展開しました。これはデモや陳情だけでなく、新聞への寄稿を通じて広く世論に訴えかけたることを目的とした「IRP (Independent revitalization partnership)」プロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトは「再活性化(Revitalization)」という言葉に対する強い異議申し立てでもありました。再活性化という言葉は、すでにコミュニティや街の活気が失われた地域の再生という名目と同時に投機的な大規模再開発への口実だったのですから。観塘地区の工業ビルに自立した文化的なコミュニティが存在しており、行政や企業の介入するトップダウン的な再活性化は必要ないと大多数の住民は考えていたのです。

このIRPプロジェクトの中で実行されたデモ「生勾勾被活化大遊行」は、アート、音楽、演劇から市民運動まで、これまで別々の領域で活動していた香港の各集団、個人が集まり、「再開発」という共通の問題に対して協働した最初のアクションとなりました。これが、後々の香港における文化表現と社会運動の結びつきを生み出し、その後の持続的な協働関係を築く端緒となりました。500名ほどが参加したこのデモでは多数のアーティストも参加しており、香港芸術文化発展局へと行進しつつ、歌ったり、ドラムを叩いたり、演説をしたりしながらオフィスビルへと向っていく様子が映っています。香港芸術文化発展局の入るビルに到着すると、Hidden Agendaのメンバーたちが、Hidden Agendaのドアを神輿のように担ぎ、玄関まで運ぶパフォーマンスを行いました。ドアには再開発反対を求めるメッセージが書き込まれており、発展局の建物前に設置し、その前で抗議声明を行いました。(ドアを運んできた理由は、「新しい移転先が見つかるまで、このドアを発展局が責任を持って面倒を見るべきだ」という主張が込められていたとAhkok氏は述べる。)面白いことに、このドアは2012年のベニス建築ビエンナーレの香港館で展示されることになりました。当時、東九龍の再開発のプロモーションを兼ねた内容の展示プランのなかに、東九龍、観塘地区の人々の暮らしとコミュニティについての記録を紹介するプランの中で、HiddenAgendaの活動もその一つとして展示されることになったんです。その際に得た資金の一部で、ドキュメンタリー「Hidden Agenda the Movie」が製作され、日本でも2012年、(art space tetra, 福岡)、2013年(素人の乱, 高円寺)2017年(渋谷アップリンク,2017年)に友人たちのネットワーク経由で自主公開が行われました。結果的には、2回目の移転先でも興行免許の問題に直面し移転することになりましたが、このようなメディアを介したキャンペーンの功罪として、広く世論に知られる反面、結果的にインディの東京ドームと呼ばれるほど有名になりすぎてしまったという点があります。最終的には4番目の場所に移転するも規模が大きくなり、結果的に家賃の問題で閉店することになりました。ただし、Hidden Agendaは200人くらいの小さなライブハウスではありましたが、その場所での活動は、香港における以下のような様々な社会的、文化的問題、コンフリクトや矛盾を照らすものでした。

1.再活性化 2.興行許可証 3. 消防法 4. 移民労働者 5. 騒音問題 6. 再開発 7. 官僚制 8. 空間的正義(spatial justice)9. クリエイティブ・クラス 10. トップダウン型文化政策 11. 酒類販売許可証 12. コピーライトライセンス 13. 合法/違法薬物。

その点こそがHidden Agendaが、香港の自律的な文化シーンにおいて果たしたとても重要な役割だったのだと今になって実感しています。


香港の現状とHidden Agenda以降の香港の文化シーン

最後に、アコー氏は香港の政治的、社会的状況を、赤のまま変わらない横断歩道信号、すなわち「Read Light Situation」と呼び表した。香港の行政はもはや市民の声を聞こうとせず、中国本土の命令の代理人となりつつあり、香港における民主主義が瀕死の状態であると言及した。しかしそれと同時に、この状況における、香港の文化的な動きについて、「Cultural Practice under the authority」というタイトルのなかで、権威的政治体制における香港の文化実践は、政府に押し付けられた赤信号を毅然と渡っていくような文化的実践の変化について語った。2019年4月に演奏ツアーで久しぶりの長期滞在をしつつ、香港におけるHidden Agenda以降の音楽シーンでは、約10箇所の新しい場所が生まれており、それらすべてが営業許可を持たない非合法のライブハウスであった。これらのライブハウスは、演奏だけではなく、集会や勉強会、上映や展示といった複数の機能を備えていた。また、これらの空間は表立ってオープンな場所というよりも、友人や知人たちの口コミでつながるネットワーク経由で訪問可能な、セミクローズドな場所であった。

このような新しい場所の特徴について、Ahkok氏は以下の点を挙げている。

1. 脱中心化-分散
HiddenAgendaがそうだったように、一箇所の中心となる拠点をベースに
全ての活動が集約されるのではなく、複数の異なる小さな空間が、都市の各地に点在し、それらが互いに有機的につながっている。脱中心的で、分散型の文化ネットワークの構築。また、複数のジャンルの活動が並存しているスペースの増加。

2. DIO, DITO
DIY(DO IT YOURSELF)から、DIO (DO IT WITH OTHERS)、DOTO (DO IT TOGETHER)という、異なる他者との協働への指向性が生まれている。コマーシャル的(サウンドシステムの会社のプロモーション)ではあるが、一緒に野外ライブやパーティを作りあげることで、脱中心的、一つの場所に集中しない文化の形が生まれてきている。香港における文化的ハビタット(生息地)の拡張、文化に関わる人々のスペクトラムが広くなった。ゲリラギグ、スクワットなど。重要な点は、スペースに閉じこもるのではなく、積極的に外に出ていく姿勢。

3. Independent から Undergroundへ
チェコ、Plastic Universe of the People の事例を挙げて、権威主義的体制における抵抗文化の戦術が香港でも見られるようになったと指摘。インディペンデントからアンダーグラウンドに移行するプロセス。大きなグループやシーンの形成から、より分散化し、小さな集団をベースにした表現活動へと移行。インディペンデントとは、どのような文化的資源を選択し、また距離をとるかという文化的資源へのアクセスの経路と選択の問題だったが、アンダーグラウンドは、主に表現におけるメディア表象の問題に関心を置く。インターネットやSNSが自由で公平な空間でなくなった今、どのようなメディアを利用/創造するのか、そしてそれらのメディアを介してどのような表現を作るか、伝えるか。これは、ソーシャルメディアの転換期にあって、その使い方をそのものを大きく考え直す必要から生まれた戦術。SNSを長らくプロモーションのために使っていたが、ほんとうに自分たちの役に立つものになっているのか。

4. Participant agency
場所にあつまる人々は、単なる客ではなく、むしろシーンを一緒に作り出していく関係性、関与していく主体でもある。客の参加の形態や、関わり方がより主体的、積極的、多様なものになっている。

感想

Hidden Agendaがオルタナティブな場であり得たのは、その場所の存在と活動そのものが、香港の様々な問題と矛盾を浮かび上がらせる場であり、抗争の現場そのものであった点だ。オルタナティブスペースの特徴は、その空間、そこに集う人々の活動そのものが、社会的、文化的、経済的な諸矛盾と不可避的に対峙することになるような逸脱と対抗、自律を備えているという点にある。Hidden Agenda以降、中心的な拠点がなくなり、かつ抑圧が強くなっていく中で、状況を逆手にとりつつ、より新しい空間の隙間を見つけ出し、柔軟かつ臨機応変に対応していく現在の「赤信号」下の香港の状況についてAhkok氏の見方は単に悲観するだけでない、新しい文化運動の萌芽の可能性をそこに見出しているように思えた。

(通訳/文責:江上賢一郎)

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