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人間関係は依存が基本単位である

イントロダクション

「私は自立したのだろうか。」
あるとき私はそんなことをふと思ったことがある。

「なんだかんだ言っても結局は誰かに依存しているのではないか。」
「依存という鎖から断ち切ることができないまま今まで生きているのではないか。」
そのような疑問がふと思い浮かぶことがある。

「結局のところ、人間は自立できるのか」
哲学のような難しい問題が我が身に降りかかってきた。

依存と自立を定義する

 日本語において、依存という言葉はネガティブな印象があり、自立という言葉はポジティブな印象がある。漢字においても、依存は依る存在という意味があり、自立は自ずから立つと書くので、後者の方が前向きな印象を受ける。また、依存と自立は対立する単語とみなされている。
 一方、英語においても依存と自立は対立関係にある。ところが、両者の関係は日本語と異なり、関連性が高い。実際、依存(dependent)が先に定義されていて、自立(independent)は依存(dependent)に否定の意味の接頭語(in)が付与されている。つまり、英語においては、依存という状態が先にあり、自立はある条件をクリアしたときに到達できる状態を指している、と言うことができる。

 そこで私はある考えが浮かんだ。人間は本質的に依存が土台にあり、自立やその先の相互依存は依存の上に成り立つのではないか。

 英語において、依存が根底にあるということは理解できた。ただ、日本語の概念において適用できるのかは検証の余地がある。そこで、今回、依存の本質を理論的に解明することで日本語においても成り立つことを解明していく。

 依存というテーマの中で私たちがとりかかりやすいのは経済である。それでは、経済において私たちは依存状態にあるのか。あると言い切れる。株価は他者に変動して決まる部分があるからだ。給料においても他者に提供した価値によって決まるからだ。つまり、日常生活において依存した状態は常につきまとっている。
 経済において、自立という状態はありうるのか。経済は交換によって成り立つ以上、2人以上の生産者または消費者と関わる必要がある。それはつまり2人以上の依存によって成り立っているのである。ということは、自立した状態というのは存在が難しい。

 経済の話から一般化してみることにする。依存状態がない状態はあるのだろうか。依存がない状態、つまり自立という状態はあるのか、という問題に対する答えにもなる。結論から言えば、私の生活の中で自立した状態を実感した場面は今のところない。あると思っていた場面がないわけではない。だが、よくよく考えてみると、実は見えていなかっただけで、何かに依存している場面であった。何かしら自立した場面はあり、部分的に自立した状態があったにせよ、完全な自立は存在しないのだ。

依存の定義の精度を高める

 ここで、論証の精度を高めるために数学を導入することにする。少し小難しくなるため、読み飛ばしてもらっても構わない。

 自立または独立というのは数学的にどのように定義されるのか。独立というのはすべての場合において依存している場面がない、というときに初めて成り立つものである。一部でも依存している場合があれば独立しているとは言い切れない。つまり、数学においても依存が先にあり、自立は依存が完全にない状態において成り立つのである。

 それでは、自立した状態とはどのような状態を指すのか。数学の定義を借りれば、自立というのはすべての依存がない状態である。逆に言えば、私たちは依存していることを自覚している、あるいは計測できる状態にあり、ある一定の水準に到達してはじめて自立した状態にある、と言うことができる。

依存が基本単位である

 アルコールの摂取頻度、タバコの吸う本数、スマートフォンの利用時間のように、主観的であれ、客観的であれ、依存度という言葉が示す通り、依存を測ることはできる。一方、自立度は依存度が小さい状態として定義することはできるかもしれないが、直接測ることはできない。

 ここまでの議論で、依存が基本単位であることが見えてきた。それでは私たちは依存した状態から抜け出し自立することはできるのだろうか。

 先に、自立とは依存しているケースがない状態と書いた。そのため、私たちの努力次第で自立は実現できそうに思えてくる。
 ところが、自立した状態を目指すためにすべての依存状態を洗い出すことは一生涯かけてもできない。AIが発達し、シンギュラリティが起き、量子コンピュータが登場したとしても人間は依存状態から抜け出すことはできない。ある依存状態から抜け出したとしても、鎖のように別の依存状態に入っていくだけである。

 だからといってまったく依存状態から抜け出せないわけでもない。依存度は測定できるので、依存先、依存している状態を測り、知覚できたと実感できれば自立への道を切り開くことができる。道を切り開くためには依存状態を明らかにした上で依存度を小さくすればよい。その意味では、自立は目的地ではなく目標、地図ではなくコンパスであるかもしれない。

 以上の結果を踏まえてまとめると、依存というのが基本単位であり、自立とは依存の度合いを小さくしていくための目標またはコンパスであると言える。依存が基本単位である以上、依存に対して過度にネガティブなイメージを持つ必要はなく、自分を知るための指標である、ということができそうだ。


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