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「他己紹介」のススメ:自身に見えない「得意分野」を可視化する意義について
自分には得意分野がない。
何をやっても目立つことは無い。
平均で平凡で、特に変わったところもない。
全てが平均点であり、それに対して少しがっかり。
それに比べて、周りの人はすごい。
まさかこんなことが出来る人がいるとは。
運動が得意であったり、勉強がものすごく出来たり。
マルチでなんでも奇妙にこなす人から、リーダーシップが半端ないかっこいい人。
ものすごい美人であったり、多くの人を笑いで幸せにする芸人であったり、誰もがあこれるかっこいいヒーローであったり。
卓越した才能について、とても羨ましく感じる。
それと比べると、自分が小さい存在に感じるということ、このように感じるのは、誰にでもある事。
とはいえ、そのあた当たり前の感情のままでずっといるのはもったいない。
というのも、だれもが物凄い才能を持っていても、それを本当の意味で実感出来ていることはほとんどないのだから。
そもそも他人と比べることでしか、自分を見ることは出来ない。
比較することによって、はじめて見出されるもの。
特に、比べた時にはネガティブなものがより大きく映るのは誰にでもある事。
さらに、自分のいいところは、自分では認識したり見ることは出来ない。
というのも、自分にとっての当たり前は、そもそも気になることがない。
沢山多くの人と話すことがあったとしても、それは普通に感じるかもしれない。
料理を沢山することがあっても、それすら普通のこと。
何かに夢中になっているのも、それは自分の中では当たり前のこと。
当たり前程見ることが出来ないものはない。
そんな時に有効な手段、それは何なのか。
それは「他己紹介」で、その人のいいところを教えてもらう事。
他己紹介、それは自分以外の誰かを自分のように紹介すること。
それによって、客観的にどのような人なのかということがよくわかるようになる。
なぜなら、自身にとっても当たり前は、紹介する人の当たり前ではないのだから。
そして、思った以上に色々な面があるように感じることもあるかもしれない。
優しいという人であっても、ただのやさしさではない特別なものかもしれない。
大したことではないと思ったことが、実はものすごいと思われることもあるかもしれない。
弱点だと思ったことが、とてつもない魅力になっていることもあるかもしれない。
というのも、悪い面もひっくり返せばよい面になることも沢山あるのだから。
他の人から見ると、自分というものは思ったよりも興味深いことも多くあるに違いない。
当たり前すぎて気が付いていない部分に、実は特別な才能というものが見えるようになったりする。
そのように埋もれている自分自身を客観的に見てもらう事、これはとても素敵なことに違いない。
自分を一番知っているのは、もちろん自分かもしれない。
とはいえ、それでは見えていない自分自身というものたくさんある。
だからこそ、自己紹介ではなく「他己紹介」をしてもらうことに意味がある。
それによって、自身に見えない「得意分野」を可視化することは、とても大切なこと。
当たり前すぎて見えなかった得意分野を伸ばすこと、それはものすごい武器になるに違いない。
というのも、そもそも才能というものは自分以外の誰かが発見するものなのだから。
リップサービスではなく、本当のところの思うことについて紹介をしてもらうこと、それは実はとても幸せなことかもしれない。
自己紹介と他己紹介が重なって、本当の意味での自分が理解できる。
他己紹介をする機会を見つけて、定期的に繰り返すこと。
それによって自己肯定感も高まり、ますます楽しい世の中になって行くこともあるかもしれない。
幸せになるための他己紹介、色々と楽しいことが溢れているに違いない。
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ありがとうございました。