この世から消える日を設定し、その日を目指してお金を使いきればいい
人生において、いつ死がやってくるかはわからない。
それは50年後かもしれないし、10年後かもしれない。
人によっては1か月後かもしれないし、1時間後かもしれない。
病気になってある程度残り時間を想定できるようになったらある程度準備が出来るかもしれないが、ほとんどの人はその想定をすることはほとんどない。
そして現代は寿命が過去と比べると大幅に延びていて、長生きがリスクということばもあったりする。
というのも、長く生きたいと思う割には、その長い人生が金銭面に恵まれず不自由な状態であったらどうなのかということを考えるから。
それならば、しっかりとお金をある程度使って人生を便利にして、幸せな状態でこの世を去るほうが良い。
実際に人は死ぬ直前が一番お金持ちということはざらにある。
その資産を後の人に引き継ぐのもアイデアとしてはありかもしれないが、それだけの資産を稼ぐために使った時間を考えると、もっと早くリタイアすればよかったという風にも考えることが出来る。
死ぬ直前に億万長者になるよりは、生きている間にしっかりと人間関係や信頼、思い出のような本物の財産に変換する。
そして残金がわずかにある程度のほうが、間違いなく自由度が高かった人生であり、より幸福である可能性が高いのは間違いない。
ただ、その状態にすることは至難の業。
ではどのようにすればいいのか。
自分がこの世から消える日を設定してしまえばいい。
とても乱暴に聞こえるかもしれない。
というのも、設定した日が来たら自分からこの世から消える選択をするということの覚悟がなければ無理だという事。
そもそも、折角生きているのにこの世を去る選択をするのはとてももったいないと考える人が多いのは間違いない。
だが、本当にそうなのか。
未来に心配ばかりして、本当の意味で充実させられない人生は、本当にそれでよいのか。
質素倹約で不自由が続き、後悔ばかりが残ってしまったまま生きるのは、本当にそれでも良かったと言えるのか。
そしてもしその日を過ぎてしまったらどうすればいいのかというものがあるかもしれない。
それはその日を超えて生き延びたらその時に考えればよい。
その日までにやりたいことを全て果たしていたら、この世から去ることに後悔はないはずだから、おそらくそこまでお金は必要にならないはずである。
そしてそこまでに作ってきた本当の財産が、その日を超えたときからその人を支えてくれるのは間違いない。
Die with Zero
どれだけ稼げばいいか分からない、どれほど使って問題ないのか、そしていつまで生きるか分からない。
だからこそこのタイトルの本が売れているとともに、この言葉が生まれて流行するのだと思う。
だから、いっそのことゴールを設定して、まずはその日を目指してお金を使い切るというのもいいかもしれない。
そしてしっかりと自分が決めた分を使いきって、後悔が残らない形にしてこの世を去ればいい。
後悔を出来るだけなくすこと、これこそが生きている間に出来ること。
もちろんこれ以外にも色々な意見や考え方があるようにも感じる。
中途半端に未来に備えて現在をほどほどに楽しむという状態は、悪くないかもしれないが、ベストではないのは間違いない。
折角1回きりの楽しみであるのなら、出来ればベストを目指したい。
自分の稼いだ分や、やりたかったことをやり切った状態でこの世を去ると決めた日に臨むことが出来るならば、後悔することは少ない。
もちろんさらにやりたいことが増えるかもしれないが、まずはしっかりと使い切ることが出来るように設定することは大切な気がする。
自分自身の最終日を設定してみませんか?
そしてその日を目指して後悔なく0になるようにやってみませんか?
ありがとうございました。